東日本大震災鎮魂祭行事「木の葉の舟流し」は、津波にあった永野さん宅に残った、1冊の本『じろはったん』から生まれました。
鎮魂祭行事「木の葉の舟」とは…
2011,3,11、宮城県の永野泉さん宅(現、福島県伊達市在住)は、東日本大震災で津波に襲われた。家財がすべて流され、1冊の本が残った。それが、森はなさんの『じろはったん』。『じろはったん』は、以前、図書館の処分コーナーにあった本で、何か気になり、貰い受けた本である。永野さんは、『じろはったん』との2度目の出合いに、運命的なものを感じた。つらい被災の中、『じろはったん』を読むと涙が止まらなかった。永野さんから「森はな顕彰会」に問い合わせがあり、「木の葉の舟」の企画が持ち上がった。
森はな代表作品『じろはったん』の1場面「木の葉の舟」再現により、追悼の気持ち、希望、「慈しむ心(いのちを慈しむ)」を東日本大震災の地に、届ける。 メッセージを書いた木の葉を被災地に送り、海に流す行事。
(森はなゆかりの兵庫県、被災地の学校園の子どもたち、一般の人も参加、今年、6000枚集まる)
兵庫県の児童文学作家、森はなさんとその作品を紹介します。
森はなさんを紹介します
森はなさん
兵庫県の児童文学作家 明治42年~平成元年 80才没
代表作『じろはったん』『こんこんさまにさしあげそうろう』で知られる
作品の底に流れるテーマは、「ひと」、「いのち」、「ふるさと」を慈しむ心
読む人を優しい気持ちにさせる
森はなさんの略歴
明治42年 現、朝来市和田山に生まれる。 父・中島信之助、母・とり
昭和 3年 明石女子師範学校卒業 その後、養父郡南谷、秩父、大蔵小学校に勤務(昭和3~11年)
昭和 7年 同僚の森種樹と結婚 23才
昭和11年 現、高砂市立荒井小学校に勤務 27才 (15年間) 俳人永田耕衣に師事 俳句始める
加古川町寺家町の実家に移る
昭和13年 荒井町に転居 29才
昭和27年 退職勧告43才 伊保小学校に助教員として勤務 (9年間)
NHK放送劇に児童と出演 放送劇コンクール最優秀賞2度 加古川町寺家町に転居
昭和35年 退職 児童文学を志す 51才
昭和49年 『じろはったん』で児童文学新人賞を受賞 65才 「遅咲きの新人」と呼ばれる
昭和50年 夫種樹死去
昭和52年 加古川の自宅を開放し、「森はな学校」を始める 68才
昭和58年 紙芝居「じろはったん」を加古川・高砂市内の学校、保育園等で上演
昭和60年 御巣鷹山の日航機事故で、長男秀樹氏死去 76才
平成 元年 80才で永眠
森はなさんの作品紹介をします
①『じろはったん』 梶山俊夫 絵 アリス館刊行(1973年)
誰よりも純真で温かい心の持ち主「じろはったん」と村の人々、疎開の子ども達との心の交流を、おばあちゃんが孫に語って聞かせます。お話に出てくる人みんなの、あたたかい心のふれ合い、心のつながりが、読む人の心もあたたかくします。
『じろはったん』で、森はなさんは、日本児童文学者協会新人賞受賞
第20回毎日新聞青少年読書感想文コンクール(昭和49年) 課題図書(小学校高学年の部)
森はな顕彰会主催「森はな作品読書感想文コンクール」 課題図書(平成28年度~) ゆかりの地の児童対象
現在も出版されています
②『ハナ先生ものがたり』 松井行正 絵 アリス館刊行(1975年)
村の分校に初めて若い女の先生がやってきました。山奥の分校を舞台に、ハナ先生と子どもたちとの心あたたまるものがたりです。
③『わたしはトシエです』 梶山俊夫 絵 アリス館刊行(1977年)
子どものころのできごとは、大人になった時、なつかしく思い出されます。幼い日、ハナ先生とすごしたなつかしい思い出を、教え子が語ります。子どものころの思い出は、やさしい、あたたかい心のふるさとです。
④『ひいちゃんとタチアオイの花』 梶山俊夫 絵 PHP研究所刊行(1978年)
タチアオイの花に自分の名前をつけてどちらの花が長く花をつけていられるか競う遊びが、マキとひいちゃんは大好きでした。大きくなって、別々の道を歩むようになっても、二人の友情はいっそう深まります。
⑤『キツネの花よめいしょう』 梶山俊夫 絵 PHP研究所刊行(1980年)
スギノキ山のかあさんギツネは、およめにいくむすめに、川向こうのそめものやのぬので花よめいしょうをつくってあげたいと思ってました。ある日、かあさんはたに川をわたります。でも、ほんとうにうつくしい花よめいしょうは・・・
⑥『おばあちゃんは落語屋さん』 梶山俊夫 絵 学校図書刊行 (1981年)
孫たちといっしょに、子どもの心になって語り合えるおばあちゃん、生きていることを、心から楽しんでくらしているおばあちゃんのお話です。
⑦『もどてくるもどってこん』 若菜珪 絵 PHP研究所刊行 (1981年)
ハナも村の子どもたちも、佐あじいがだいすきです。ある日、佐あじいは「やぶ入り」で村を出て行き、秋になっても帰ってこないのです。コンペイトウの花を一つ一つちぎって「もどってくる、もどってこん」とうらないながら、佐あじいの帰りを待ちわびるハナ。
⑧『こんこんさまにさしあげそうろう』 梶山俊夫 絵 PHP研究所刊行 (1982年)
なんにちもなんにちも雪がふりつづいて山も畑もまっしろです。
「おかあさん、さむいよう、おなかがすいたよう。」くらいあなのなかで、子ギツネがないています。飢えと寒さにふるえる子ギツネのために、雪の野原に食べ物を探しに行く母ギツネの愛情を、但馬の伝承行事「野施行(のせぎょう)」をもとに描かれています。
絵本にっぽん大賞受賞(昭和57年)
森はな顕彰会主催「森はな作品読書感想文コンクール」 課題図書(平成28年度~)
現在も出版されています
⑨『おさよつばき』 梶山俊夫 絵 PHP研究所刊行 (1982年)
うじがみさまのけいだいに、なんじゃもんじゃの木にだかれたつばきがあります。むらの人たちから「おさよつばき」とよばれています。但馬の山奥の村の氏神様の境内に今も残る「なんじゃもんじゃの木」にまつわる言い伝えを描いた絵本です。
⑩『ほい一二とうげ』 梶山俊夫 絵 PHP研究所刊行 (1986年)
村から村へこすには、ながいとうげがありました。とうげの上のささやぶにすむキツネは、おちよちゃんにあえるのがまい日のたのしみでした。ひがん花のさくころ、「あっつほい、あっつほい、おちよちゃんのってきな。」日ぐれのとうげをこえていくおちよちゃんを助けてあげることはないかとキツネは考えました。奥但馬(兵庫県))の「とろかわいなり」に伝わる言い伝えを描いた絵本です。
⑪『わたしはめんどりコッコです』 梶山俊夫 絵 みんなの文学刊行 (1985年)
わたしは、コッコ。アキヒコくんに買ってもらいたいと思ってアキヒコくんの手をコツコツつつきました。わたしが、にしむら家のみなさんとすごした、ゆかいな毎日をぜひ、みなさんにも聞いてほしいのです。
⑫『お葉つきいちょう』 梅田俊作 絵 サンリード刊行(1988年)
うるわしき乙女さくらの横笛は、むねにしみいるやさしい音色。 いちょうの木の化身のけだかい若者にいだかれるようにさくらは、うすみどりいろの光の中にしずかに吸いこまれていく・・・。お葉つきいちょうは、兵庫県指定天然記念物として加西市殿原町の山に今も生きています。その由来を、幻想的に語ります。
⑬『こはる先生だいすき』 梅田俊作 絵 ポプラ社刊行 (1987年)
父親は、はとが生まれた時、ハトは平和の使いだからやさしい女の子にそだつようにと、「はと」と名をつけてそれはそれはかわいがとった。とつぜんの父親の死で、口のきけなくなった「はと」とこはる先生の心あたたまるものがたりです。
⑭『キツネとしゅんぺいじいさん』 梶山俊夫 絵 教育画劇刊行 (1988年)
トントンだれかが戸をたたいています。しゅんぺいじいさんは、そっと戸をあけましたがだれもいません。「きつねだな。きっとたべるものがほしいんだろう」こころやさしいおじいさんは、きつねのためにたべものをおいてやりました。雪深い山すその一軒家で、一人暮らすおじいさんとキツネの心のふれあいを描いた絵本です。
⑮『土の笛』 梶山俊夫 絵 PHP研究所刊行(1996年)
おじいさんは目をつむり、笛を吹いています。わたしは、だまって笛の音にききいりました。おじいさんが、どうして陶器の横笛を作ったのか、「湖底の笛」という歌ができたのかが、佳奈ちゃんという少女の目を通して語られています。
「じろはったんの会」の作品紹介から