羽生選手の美がもたらした平昌五輪の変容 | 加納有輝彦

羽生選手の美がもたらした平昌五輪の変容

 

羽生結弦選手の五輪連覇で日本中が、いや世界中に感動の嵐が吹いているといっても過言ではない賛辞の嵐。

 

羽生選手の美しさ、凛とした強さ、透明感、しなやかさ、清潔感、爽やかさ、そして崇高さ、神々しさ・・・・ありとあらゆる良き言葉、形容詞が羽生選手を讃えるために存在しているかのようだ。

 

羽生選手の「美」は、民族を超え、競技のジャンルを超え、普遍性を持った。世界性を持った。

 

羽生選手の金の前と後では平昌オリンピック(第23回冬季五輪)の「美」の質が変わった。

 

 それまでの平昌オリンピックにおける「美」は、北朝鮮の「美女応援団」のそれであった。

 

 羽生選手の美しい演技を見て、北朝鮮政府の操り人形の如く応援団で派遣されている美女お一人お一人の「悲劇性」を感じた。


 彼女たちの「悲しみ」を想像してみました。

 
羽生選手の普遍的「美」の前に、北の「美」はその偽装が剥がされ、その「空しさ」が白日の下にさらされたのではないでしょうか

 

 普遍的美と、偽装された美とは、もちろん観念的なものです。
 観念の遊戯と批判されるかもしれませんが、私には、本当に囚われの身としての彼女たち、美女たちの「悲しみ」を体感しました。


 羽生選手の美の普遍性が、北の指導者の欺瞞を露わにした私にはそう思えました。

 

 なにより、美女達自身が羽生選手の神的にまで高められた「美」を目撃したでありましょう。

そして彼女達自身が、一番、その「偽」を魂で感じ、空しさを感じたでありましょう。

 

 真実は美しい。

 

 さらに敷衍して、韓国の反日、従軍慰安婦像等の偽装も、羽生選手の「金」がその偽りを炙り出すのではないか。

 

 嘘、偽りは美しくないからである。羽生選手の美が、自ずとその「醜」を浮かび上がらせるのである。本人は全く政治的意図はないのであるが。

 

 美しい羽生選手と、美しい日の丸(金・銀)が、韓国から世界に発信されたのである。

 

  羽生選手の金により、平昌オリンピックは、その本来の「正統性」を取り戻したと思うのである。

 

 羽生選手の美の神々しさに世界が驚嘆している。

 

 こんな美しい青年の住まう国、日本も美しい国に違いないと世界は憧れを持って認識しているのではないでしょうか。

 

 

 

 

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