全然違った。
 

 

映画のイメージが刷り込まれていた「ティファニーで朝食を」。

原作は優雅さからかけ離れた泥臭い物語だった。

 

「ティファニーで朝食を」は作家を志す青年の「僕」がひとりの美しい女性・ホリー・ゴライトリーに翻弄される物語。

ホリーは「僕」の部屋の一階下に住み、「僕」に部屋を開けさせたり、男から逃げるために「僕」の部屋に隠れたり、パーティーに呼びつけたりする。いつもきらびやかなドレスを身にまとい、怪しげな男からお金をもらって生きている危うい女性だった。

ホリーはその美貌から女優になることを薦められたが見向きもしない。女優になるための大変な苦労に身を置くよりも、競馬や星占いを楽しみ、男たちと遊び、ティファニーで朝食を取ることを夢見る方が楽だからだ。

ラブストーリー的展開は一切なく、ホリーはオードリーの上品さが微塵も感じられない粗野な娘だった。自分で成功を掴み取らなくても男がいるからいいの、と言いたげな卑しさが滲み出ていた。
ホリーの奔放な生き方が上手くいくこともなく、ホリーはどんどんうらぶれていく。
「僕」はホリーに惹かれながらも、ホリーのさもしい生き方をいたたまれなく思い、不安げに見守るしかできないのだった…。

「僕」のホリーへの惹かれ方は、「偶然席が隣になったクラスの憧れの女子に、勉強を手伝ってあげる」という程度の好意だ。
ホリーのことを思っているようでいて、実はそんなに気にしていない。そんな内に秘めた酷薄さを垣間見た物語だった。

本書には他に三編の物語が収録されていて、どれもがどこかうらぶれた雰囲気のある物語だ。

「花盛りの家」は娼婦のオティリーが山育ちの男・ロワイヤルの家に嫁ぎ、ロワイヤルの祖母のいじめに耐え抜く物語。純愛と呪詛が混じり合う日々をオティリーは耐え、“自分のもの”にしてしまう。オティリーの強さに引き込まれた。

「ダイアモンドのギター」は囚人農場で服役するミスタ・シェーファーがダイアモンドのギターを持った新入りの囚人・ティコ・フェオに惹かれる物語。年をとりすぎたミスタ・シェーファーにはダイアモンドのギターは眩しすぎた。目が眩んでしまった男の悲しい物語だった。

「クリスマスの思い出」は7歳の「僕」と60歳以上の「親友」とのクリスマスをめぐる物語。
ちまちまと貯めた小銭でフルーツケーキの材料を買い出し、モミの木を剪定し、ツリーを飾り付けし、31個のフルーツケーキを作り、クリスマスプレゼントを選ぶ…「僕」と「親友」はクリスマスのために一年かけて準備する。そして当日、お互いのプレゼントを喜び合い、ふたりだけのかけがえのないひとときを過ごす…。今はもうない、さみしい物語だった。

どの物語もうらぶれた切なさと心細さを感じる。読了後、読書前の優雅さは飛んでいき、冬の凍てつく寒さを容赦なく受けたような気分になった。

ティファニーブルーの装丁が冷たく感じる。ティファニーの輝きがあるからこそ人間の酷薄さが際立つ物語だった。
 
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 せめて写真だけでも優雅に…。