地震と不確実性から考える、国土から遊離した国民意識という浮足立った状態 | 反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地

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地震と不確実性


 

 今回の大阪近辺の地震は上記の平松禎史さんの記事によると、発生確率は殆どゼロと推定されていたようです。

今回の地震は、有馬-高槻断層帯の東端が動いたと思われます。

この断層の西端は阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震で動いた六甲-淡路島断層帯に隣接しています。

当時、危険性が指摘されたものの、30年間の発生率はゼロに近いと見込まれていた。

 

しかし、人間が計算した予測などまったく意味がないことが今回も証明されました。

 人間が計算できるのは「リスク」までであり、リスクとは危険な状況が確率論的にどのようなパーセンテージで起こるか?という話ですが、これは万能でも何でもなく、人が生きることとは常に不確実性と隣り合わせになっていると思い知らされた地震であったと思います。

 リスクは計算できるのに対して、不確実性とは計算ができないという定義です。

 

 これは例えば2008年のリーマン・ショックのわずか5年前に、ルーカスという高名な経済学者が経済学の勝利を宣言しました。これは「経済学はもはや恐慌を克服した」というものでした。経済学者の頭の中では、どのようにリスク計算を行っても恐慌は起こらないはずだった。

 しかしわずか5年後にリーマン・ショックという特大の金融危機と、静かなる恐慌が起き、世界は長期停滞と呼ばれる状況へと突入しました。

 もともと不確実性とは、H・F・ナイトという経済学者が20世紀初頭に提唱した概念なのだそうです。

 そして100年たった今も、不確実性はあらゆる社会科学的分野において克服されるには至っていないと見て良いでしょう。

不確実性をどのように減少させるか?

 不確実性が増大すればするほど、国家や国民生活、もしくは企業行動というのは消極的にならざるを得ません。それはそうでしょう。将来どのような不確実性による損害があるかもわからない、とすると慎重にならざるを得ない。

 

 ではこの不確実性に対して、それらをどのように減少させるのか?というと、大きな共同体による対策が必要となってきます。つまり国家的に、この不確実性の排除ないし減少に取り組まなければならない。

 金融の話でいえば、金融を自由競争や規制緩和にさらすほどに不確実性というのは高まることになります。つまり将来に不確実なことが起きた場合に、著しく「自由競争にもかかわらず」不確実性に束縛されることになるし、不安定化するわけです。

 であれば、ある程度自由を抑制してでも安定を目指すことというのは、実態的には不確実性を抑止して将来における一定の自由を担保するという行動でもあります。

 

 何が言いたいのか?というのをもう少し端的に、そして語弊があるかもしれませんが表現してみましょう。金融という虚業が膨れ上がる状態というのは、いわゆる浮足立った状態であります。つまりそれはバブルであり、クライシスの一歩手前であります。

 だから浮足立たないようにしなければならない、と思うわけです。

 

 国家で考えた場合、「インバウンド」「観光立国」「カジノ」などの国土をすべて金に還元するような考え方というのは、どうにも浮足立った考え方であろうと思います。

 国土とは国民生活の土台であり、国民生活のためにこそ開発されてしかるべきでありましょう。

 しかし日本は20年以上に及ぶ公共事業の削減などで、国土への開発を怠ってきました。詳しくは申しませんけれども、上下水道の更新や橋の更新、新たなインフラ整備、防災減災のための投資等々。

 国土への投資を怠った結果何が起きたのか?いうまでもなく「失われた20年」という暗い時代が訪れたのです。

 

 現在、大阪地震など比べ物にならない「南海トラフ巨大地震」や「首都直下型地震」といった地震が危惧されておりますが、これらの巨大な危機に備えるためには、その被害を復旧ないし復興する主体を大きくしていかなければならない。

 つまり国家の経済規模が大きければ大きいほどに、これらの巨大な危機に対しても対応する能力が向上するのは明白でしょう。

 しかし日本においてはどうやら、これらの巨大な危機に対しての備えよりも、危機が起きれば便所の紙にしかならない「金」「政府の借金」のほうが重大と見えます。いわく、政府の借金があるから公共事業等はだめなのだそうですよ?バカじゃないのかと。

 

 国定貨幣という「所詮は政府と日銀の統合政府が、いくらでも刷れる負債」を問題にし、国民及び人命を軽視するのは「バカ」としか表現のしようがありません。

 これも「すべての価値観を金銭に還元する」という愚かさからくるものなのでしょう。それは国家というものの本質からかけ離れた「浮足立った状態」と呼ばざるを得ません。

 国土から遊離し、すべての価値観を金銭に還元し、人命や国民生活すらも「政府の負債」を言い訳に犠牲にしようとするならば、国家として不確実性を抑制することもできず、不確実性が引き起こす巨大な危機に対応することも不可能でありましょう。

 

 つまり・・・今すぐにでも日本は、防災減災のための公共事業を年に10兆円以上の規模で行っていかなければならない、と強く主張するものです。

P.S

 「公共事業を増大させて、国民生活を守れ!」と主張すると、すぐさまに「人手不足はどうするんだ!」との反論があります。いわく土建業界は最盛期に比べて100万人ほども就業者が少ないのだそうで。

 なぜ少なくなったのか?儲からないからですし、政府が公共事業を少なくしてきたからでしょう。防災、減災のための、国民の生命と財産を守るための事業であると考えれば、多少は他の業界を圧迫してでも、土建業界を儲かるようにすれば良い。そうすりゃ人が集まるでしょう。

 職業に貴賎はないと私は当然考えますが、国家としての責任を果たすためには、時には自由競争を圧迫してでも優先するべき事業というのがあるでしょう。

※まあ、それ以前に完全失業者数も180万人ほどいるのだそうで、就業を諦めているものも含めればその数はもう少し多くなるでしょうから問題ないかもしれませんけれども。

 

 現在の人手不足とはあくまで「デフレより多少、状況が良くなった状態での提示される労働条件下」において起こっていることであり、それは必ずしも「公共事業などによって、さらに景気が良くなった時に同じ母数である」ということを指すわけではありません。

 奇しくも日銀は「需給ギャップが埋まっているはずなのに、物価が上がらないのは、生産性が高まっているから」と分析しましたが、これは過去の日銀の見解が「今以上に生産性は高まらない」という静的概念に基づいた分析であったことを示します。

 現在の人手不足問題というのも、「将来においても就業希望者の分母は増えない」という思い込みからくるものでしょうし、または「これ以上、生産性は増えない」という前提条件付をしての主張と言えましょう。

 

 まあ、ようするに「人手不足だからできない!」は単なる言い訳にしか過ぎないと思われます。

 この辺について後日、シュンペーターの創造的破壊やイノベーションといった概念を交えながら、資本主義国家における生産性の向上はどのように起こっていくのか?を解説してみたいと思います。

 

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