【毒親】過保護と過干渉の違いについて私が誤解していたこと。

「過保護」と「過干渉」という言葉。

 

これまで私は、どちらも同じ意味に捉えていました。

 

過去には、実母についてこんな記事も書いていましたし。

過保護・過干渉型の毒親の特徴5つ。毒母・毒祖母との生活でみえてきたこと。

 

この2つの言葉を完全に同義語として認識していたのですが、最近その概念が覆される出来事がありました。

 

実際のところ、悪影響を及ぼすのは「過干渉」の方で、むしろ「過保護」は子どもに良い影響を与えるのだとか。

 

完全に目からウロコだったのですが、「過保護」と「過干渉」の違いを知れば知るほど納得できる内容でした。

 

と同時に、母と私の関係性の問題点が鮮明に見えてくるようになり、私の子供時代の経験と私の人格が形成される過程ががっちり結びつき「そういうことだったのか!」とものすごくスッキリしました。

 

ということで、「過保護」と「過干渉」の違いについて、またそれが子育てに与える影響について今日は考えていこうと思います。

 

これは我が子を育てていく上で大事にしていきたいことだと思ったので、自分自身のための備忘録的にまとめておこうと思います。

 

 

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過保護と過干渉の違いに気づいたきっかけ

私が「過保護」と「過干渉」の違いについて知ることになったのは、とある本との出会いでした。

 

先日お亡くなりになった児童精神科医の佐々木正美先生の著書「子どもへのまなざし」を読んだのがきっかけです。

 

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日本で療育を取り入れた先駆け的な存在の先生なのですが、お恥ずかしながら私はお亡くなりになったニュースを知るまで存じ上げておりませんでした。

 

もとは、自閉症スペクトラムの次男の療育のために佐々木先生の本を数冊購入したうちの1冊がこちらの本だったのですが、その中の1つの項目で「過保護」「過干渉」について取り上げられており、それが毒親育ちの私にとても響きました。

 

「過保護についての誤解」という項目があったのですが、ここは私も完全に誤解していた内容で、「過保護」と「過干渉」の違いをはっきり区別することができました。

 

では、それらはどう違うのか。

 

以下にまとめてみたいと思います。

 

 

過保護と過干渉はどう違うのか

佐々木先生は著書の中で、「過保護」と「過干渉」についてこのように述べておられました。

 

過保護とは、…(中略)…子どもが望んだことを望んだとおりやってあげて、やりすぎるということです。

引用元:子どもへのまなざし

 

過剰干渉というのは…(中略)…子どもが望んでもいないことを、やらせすぎるということです。

引用元:子どもへのまなざし

 

この違いに、私はとてもハッとさせられました。

 

「過保護」も「過干渉」も、どちらも度が過ぎた様子ではあるのですが、そこに子どもの意思があるのかどうかというのがキーポイントになっているのです。

 

「過保護」について佐々木先生は…

 

■親は幼い子どもの望む事をやりすぎるほど叶えてあげられていないのが現実
■子どもは自分の思いが満たされれば、それ以上は要求しなくなる
■精神的に満たされれば、自立が早くなる

 

ともおっしゃっています。

 

過保護と聞くと…

 

「甘やかすと自分で何もできなくなってしまうんじゃないだろうか…」
「しつけができなくなってしまうのではないだろうか…」

 

と不安になるものですが、これはどうも逆のようで。

 

相手が自分の思いを受け止めてくれたという経験がないと、子どもの中で相手の思いに応えるという感情は育っていかないのだそうです。

 

要は、人に対する信頼感や安心感につながっていくのですが、そういう感情は親が自分の思いを受け止めてくれたという経験から育まれていくとのことでした。

 

 

一方、「過干渉」については…

 

■親が自分の感情を満足させるためにやっている場合が多い
■強圧的なやり方は、親のいう事をきかせているだけの状態
■信頼関係は育たず、親がいないところでハメを外す人間に
■親の前で安らげない子になる

 

と述べられておりました。

 

このような経験が、将来的な自立心・自主性をはぐくむ上で障害となるのだそう。

 

こういう環境で育った子どもは、満足できるほど自分の思いを親に受け止めてもらえていないから、相手の要求にも応えない。

 

そうなると、親は「いう事を聞かない子」と叱りつけ、力で子どもを支配しようとする。

 

結果的には、親子間での信頼関係が希薄になってしまうのです。

 

 

かなり大雑把ではありますが、本の内容をまとめるとこのような感じでした。

 

つまり、「過保護」と「過干渉」の決定的な違いは、子どもの思いを受け止めてあげられているかどうかという点になります。

 

これを踏まえ、私は母と過ごした過去を振り返った時に、母に過保護な部分はほぼなかったと気づいたのです。

 

 

母は過干渉型の親だった

私の母は過保護だったのか、過干渉だったのか。

 

佐々木先生の本を読みながら過去の記憶をさかのぼっていたのですが、私の母には過保護な部分はほぼ無かったということに気づきました。

 

「ほぼ」というのは一部私の思いを叶えてくれた部分もあったからなので、このような表現にしています。

 

以前にもブログにて何度か書いてきましたが、私の母はとにかく私の言動をまずは否定してくるような人でした。

毒親育ちはどういう性格になるのか。自分の経験から7つの特徴について考えてみた。

 

そのため、結果的には私の希望をきいてくれることになっても、その前に100回くらい否定された後のことなので、私としては気持ちよく親に受け入れられたという思い出はありません

 

大学進学の時がそうです。

 

行きたい大学があると話しても、「遠い」「近くの○○大学でも勉強はできる」などすべて否定。

 

結果的には大喧嘩の末、大学進学を認めてもらえましたが、母が否定する理由はいつも母の自己都合でした。

 

意見・感想を伝えても常に否定され、「こっちの方が良い」という母都合の代替案を出され、それに従わされていた子ども時代。

 

進学・結婚・転職に伴う引越し…さまざまな状況で私の意見は否定されてきました。

 

そして、私の人生の決定権はほとんど母が握っていました。

 

このような環境でしたので、私の中でありのままの私を母に受け止めてもらえなかったという経験が…

 

■人間関係に対する恐怖心→自分を否定されるのが怖い
■人の顔色をうかがう癖→人を信頼できない
■自分で考え行動することができない→自立心のなさ

 

このような3大ネガティブを兼ね備えた人格をつくり上げたのだと納得しました。

(母の他界後、これらはすべて克服傾向にあります)

 

当時の私は、あれこれ私の言動に口出しをしてくる母のことを「私のことを思ってくれているからこその過保護」と思っていた時期もあったのですが、過保護と過干渉の意味の違いをはっきり認識できた今では、私の母は過保護ではなかったと断言できます。

 

そして、子どもに対して過干渉に接するとどういう風に育つのかというのは私自身が身を持って体験してきたので、「子どもの思いに寄り添う育児」の大切さは身にしみて感じているところです。

 

 

子どもの希望をどこまで叶えるのか

ただ、子どもの希望ってどこまで叶えてあげたらよいものなのか、親としては悩む部分だと思います。

 

子どもって基本自由なので、状況など考えず思うままに発言するところってありますよね。

 

「飛行機のりたいなー」
「今日はお寿司たべたーい」
「スーパーマリオメーカー欲しいなー」  by 長男

 

などなど、どれもこれも「よっしゃ、すぐ行こう!」となるような内容ではないわけです。

 

こういう子どもの希望も、過保護推奨理論から言うとすべて叶えてあげなければならないのか。

 

いやいや、私はそうは思っていません。

 

時間的にも経済的にもさまざまな大人の事情があるわけで、時には叶えてあげられない希望も当然でてきます。

 

ただ、「過保護は、やってやりすぎることはない」という佐々木先生の言葉の意味はここにあるのではないかと私は思っています。

 

子どもの希望するものに対して、大人は叶えてあげているつもりであっても意外とそうでない場合が多い(すべては叶えてあげられない)

 

だからこそ、日頃のちょっとした子どもの要求(一緒に遊びたい・一緒に寝たい・抱っこして欲しい…など)には過保護なくらいでちょうど良いということではないか、と。

 

そういう日々の親子のちょっとした触れ合いから精神的に満たされる経験を積み重ねていくことで、相手を思いやる気持ちが育っていくのではないかと感じています。

 

その小さな積み重ねが親子の信頼関係につながっていくのではないか、と。

 

そう考えると、私自身も日常生活の中では長男や次男に対して、「忙しいから」「時間がないから」と言ってついつい彼らのささやかな希望を後回しにしていた事が多かったのではないか…と反省する部分がありました。

 

そういえば、私の幼少期、母と一緒に寝たいと言ったところ「いつまで甘えとるんか!」と言われた記憶があったなー(涙)

 

 

過保護に接するという私なりの解釈

佐々木先生は本の中で…

 

要求が満たされたとき、子どもは人を信じることができる

引用元:子どもへのまなざし

 

と書かれています。

 

この「満たされた」というのは、私は「精神的な面」として理解しています。

 

佐々木先生は、このお話を乳児期のこととして書かれていますが、乳児であれば子どもが希望することは大人がたいがい叶えてやれます。

 

抱っこやおんぶ、身体面での世話など、その要求がある程度決まりきったものだからです。

 

ですが、幼児期・学童期になると、子どもの要求に応えると同時にしつけという面も加わってきます。

 

子どもの要求がしつけの面で、または道徳的に叶えてあげられない場合に親はどう接するか。

 

「アイス買いたいー」「おもちゃ欲しいー」という常に叶えてあげられる訳ではない子どもの希望に対しては、いつでも買ってやれない代わりに子どものその思いに寄り添うようにする。

 

買いたい気持ちは分かった。でも、今日はその時ではない。いつならそれが叶うのか。

 

これを子どもと一緒に話し合う。

 

「えー!いやだ!今買いたい!」と多くの子どもは言うかもしれませんが、これも日頃から親が「ちょっとお母さん、こっちきて」「一緒に遊ぼう」などという子どもからの要求にきちんと応えていれば、子どもも次第に親の思いに応えられるようになるのではないかと感じています。

 

これがなかなか親としては難しいのですけどね。

 

過保護というものの私なりの解釈としては…

 

子どもの希望をすべて叶えてあげることではなく、子どもの思いを受け止め寄り添うこと

 

という認識です。

 

子どもの要求がどういうものであれ、それを真っ向から否定することだけは、私は自分自身の経験上、親が絶対にやってはならないことだと思っています。

 

子どもが意思表示をした背景には、必ずなんらかの子どもなりの思いがあるからで、それを潰してしまうような行為は精神的に悪影響しか与えないと思っているからです。

 

子どもの思いはいったん受け止める。

 

できる望みは叶えてあげる。

 

できない場合も頭ごなしに否定はしない。

 

傍から見るとなんて甘ちゃんな子育てかと思われるかもしれませんが、我が子達に私と同じような子供時代を送って欲しくないというその一心からだけです。

 

過保護の保護者のみなさま。安心してください。

 

ここにもめっちゃ過保護な親が生きてますよ~(笑)

 

 

 

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コメント

  1. 初コメントします。今日の記事を見てコメントせずにはいられませんでした。私も毒親育ちです。過干渉型の。最近になって毒親という言葉もよく聞くようになりましたが、昔は自分の母親にすごく違和感を感じるもののどう説明したらよいかわかりませんでした。私も毒親の為、すごく人の目や評価が自然と気になります。もっと良い意味で鈍感でありたいのですが、人の表情、言動で何かを感じ取り、自分を我慢したり、本当の自分を抑えたりしてしまいます。認めてもらった経験が少なすぎるので、本当の意味で自分に対しての自信、肯定感が低いのだと思います。これは今も人間関係において、私の中でも克服しないといけない課題中です。で、本題にいくと、私も佐々木先生の過保護と過干渉の話しは私も長男に対しての対応にどうしたらよいか困っていた時に別の本で読んだ事のある内容でした(年中の長男は発達障害児と判明し、この春から療育に併行で通い始めました)。しかし理解はできるものの、色んな事を思うと(書かれているような道徳的に、しつけの面で、常識的に、状況的に)自分の中ではストンと落とし込めてはいませんでした。ですが、今日のこの記事を読んでおひとりさまの具体的な例や考えに触れて、あ、そういうことか…!確かにそうだよね、と心で納得することができました。毒親でありたくないと思っている私が前進できる予感がします。時に私にとって、認める、受け入れる、叶えてあげるという事がどういうことなのか分からず、難しくてできず、結局自分の母親のように振舞ってしまう自分が嫌でした。本当にこの記事をきっかけに私なりに前進したいなと、建設的に思う事ができました。ありがとうございます。私自身、自分に対してまず越えていかないといけない事があります。お互い前を向いて歩んでいきましょうね!勝手に親近感も沸いてしまいましめ(笑)。

    • まなかな様

      ブログへのご訪問とコメント、ありがとうございます。
      佐々木先生のおっしゃる過保護と過干渉の意味を、私自身も正しく受け止められているか自信がなかったのですが、そのようにおっしゃっていただけて幸いです。
      自分自身が過干渉型の親元で育つと、我が子に対してもついつい先回りしてしまったりしがちになりますよね。
      乳児期・幼児期・学童期で過保護のあり方もかわってくると私は本を読んで理解しましたし、突き詰めると、子どもの精神的な満足感を満たしてあげることが過保護ということなのではないかと考えています。
      自分自身に欠けていた部分はそこだったんだ!と腑に落ちましたし、そういう意味で過保護がないということは子どもの心に恐ろしい影を落とすのだなーと実感しています。
      私は、悩んで反省して一歩踏み出してまた悩んで…の毎日ですが、お互い前向きに子どもと接していきたいですね♪

  2. こんにちは。私は1歳半の男児を持つアラフォーの母親です。
    過干渉と過保護の違いになるほどと思いました。

    私自身も毒親育ちで過干渉型の両親で、少額の小遣いの使い道や図書館で選ぶ本などにまで、私の意思を否定し支配してくる親でした。毎日親に感謝しろと言い続けて、自分の優越感を子どもで満たそうとする人達でした。教育的虐待もあり小2から夜中の1時まで叩かれながら勉強させられましたが、一度も褒められることはありませんでした。
    お陰で30歳までには心と体と人間関係がボロボロになり、今も治療法の見つかっていない持病持ちのままです。

    一方私の主人は過保護で育てられました。
    何をするにも褒められて叱られずに勘違いするほどだったらしいです。ですが、親が子どもの意思を先回りしすぎることが多く、自分で自発的に物事を考えて解決したり、自分の意思を正しく主張することが苦手になり、就職さえも親に世話してもらったようです。
    今でも難題では自分でいろいろ考えて行動するのが苦手です。

    大人になっても心身ともに安定しているのは間違いなく、過保護で育った方ですね。
    ただ過保護も過ぎるとやはり弊害があるのかなとも思いました。ブログ主さんのように聡明な過保護なら問題ないとは思いますが。

    長々と失礼しました。
    もともとはいまだに指差ししない発語がほとんどない自分の子どもの発達について、調べているうちにこちらにたどり着いたのですが、毒親についても大変参考になりました。
    息子さんたちに関する文章もまだ全部読み切っておりませんが、とても意義深い内容でした。
    また訪問させて頂きます。

    • もんちっち様

      ブログへのご訪問とコメント、ありがとうございました。
      もんちっち様とご主人は、対照的なご家庭で育ったのですね。
      ただ、ご主人のご両親が「子どもの意思を先回りしすぎる」という点では、もしかしたらその部分にかんしては過干渉な親御さんだったのかなーという印象を持ちました。
      佐々木先生も著書でおっしゃっていましたが、子どもの「心を育てる」という役割が親としてもっとも大事な仕事のようですね。
      大人になって立て直すのが難しい部分なので、私は精神的な安定という意味で過保護に育てるというのが大切なのだと実感しています。
      お子さんの指差しや発語を心配されているかと思いますが、私も同じような経験をしてきてその経過や対応などをこちらのブログにまとめていますので、参考にしていただける部分もあるかもしれません。
      子どもはその子なりのペースで必ず成長していきますから、きっと大丈夫ですよ。

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