水戸博道のピアノダイアリー

ピアノ、ピアノ教育について、日々考えたことを綴ります。

ダニエル・バレンボイム

2022-01-03 11:37:49 | 演奏
今年のニューイヤーコンサートの指揮はバレンボイムでした。
本当に久しぶりにご本人の映像をみましたが、すっかり好々爺みたいになってしまって、少し残念でした。
バレンボイムの魅力といえば、燃えたぎるようなパッションをもった演奏ですが、それがすっかり枯れてしまったように見えたのは私だけでしょうか・・・。

今もピアノを弾いているのだろうか。


フランス音楽と詩の楽しみ

2019-04-22 12:13:35 | 演奏



フランス音楽とフランス文学の関係に関する講座が、新潟と東京で開かれます。
私は、ラベルとドビュッシーを弾きます。

演奏における創造性

2019-03-29 07:30:10 | 演奏


随分と前に執筆した論文が出版されました。
有名な音楽家の自伝を分析して、演奏における創造性を明らかにしたものです。

対象としたのは、バレンボイム、アラウ、BBキング、マイルス・デービス、レイ・チャールズ、ラビ・シャンカールです。
最初は、伝記の分析からこのテーマに関する面白い発見があるか心配でしたが、それぞれの演奏家が演奏における創造性をどのように考えているかが自伝にかなり具体的に述べられていました。

作曲や絵画創作と異なり、演奏は、すでに決まった曲の再現芸術である場合が多いです。つまり、演奏家は、それぞれが同じ曲を演奏することを求められます。しかし、こうした「制約」の中でも、演奏にはそれぞれの音楽家の創造性が十分に発揮されるのですね。

著書自体は少し高いですが、eBookで各章だけを購入することもできます。

興味のあられる方は是非!

エリソ・ヴィルサラーゼ

2019-03-22 21:05:43 | 演奏
エリソ・ヴィルサラーゼというピアニストをご存知でしょうか。
恥ずかしながら、私は昨年彼女のコンサートに行くまでまったく知らなかったピアニストです。

『ピアニストが語る:現代の世界的ピアニストたちとの対話』という本を読んで初めて知りました。
この本に収められている彼女のインタビュー内容が大変興味深かったので、是非とも演奏を聴いてみたいなと思っていたところ、ちょうどこの本に出あった同じ月に来日公演があることが判明。

すごい偶然ですよね。しかも、場所は自宅からさほど遠くないトリュフォニーホール。これはいくしかありません。

演奏ですが、素晴らしかったです。
プログラムはシューマンとショパンでしたが、作曲家が曲にこめた内容を、すべて忠実に表現した演奏でした。
不必要な速さ、不必要な大きな音を出すことは一切なく、多彩な音色を使い分け、それぞれの曲に必要な表現が見事に伝わってくる演奏でした。

ここのところ、ピアニストの引退の記事を書いていましたが、このヴィルサラーゼ、よく調べてみると77歳でした。
しかし、テクニック的な面では衰えはまったく見られません。というか、本人が言っているように、若いときより弾けるようになっているのじゃあないかと思いました。

真摯に研鑽している音楽家は、芸術的、音楽的に成熟していき、若い時にはわからなかったことが分かってきます。しかし、その反面身体的な衰えは、誰しもが直面する問題で、演奏家はこの相反する側面をどうバランスをとっていくかが課題となります。

しかし、ヴィルサラーゼの演奏を聴いていると、肉体的な衰えは一切心配することはないように見えました。

純然たる身体的機能は衰えているんだと思います(当然ですよね77歳なのだから)、でも、身体の“使い方”は、未だ上達しつづけているのではないでしょうか。

事実、演奏中の体の動きを見てみても、身体の芯がびしっと安定していて、見事に脱力された腕が無駄なく使われていました。

目指したいピアニストの一人です。

昔はできたのに・・・。(その2)

2019-03-13 21:36:00 | 演奏
「昔はできたのに」
これを感じ始めたとき、自ずと考えなくてはならないことは、いつやめるかです。
いあゆる「引退」ですね。

スポーツ選手と異なり、ピアニストは存命中は弾き続けることも多いので、「引退します」と華々しく宣言することはそんなに多くはないと思います。
しかし、どの演奏家も、公開演奏を続けるレヴェルの自分なりの基準はあるのではないかと思います。

例えば、ブレンデル。
ベートーベン、シューベルト、リストなど、数々の名演を残したピアニストです。
私は学生時代、なぜか名古屋だけで弾くシューマンの幻想曲を聴きに名古屋まで追っかけをした覚えがあります。
このブレンデルの演奏を2005年にロンドンで聴いたとき、モーツアルトのヴァリエーションの最初の数小節で「あれっ?」という印象を持ったのです。

何か破綻があった訳ではありません。しかし、ブレンデル特有の極限まで正確にコントロールされてたテンポ感が微妙に乱れているのです。
そして、その原因に指の微妙なコントロール不足を感じさせるものがあったのです(全く私の推測ですが)。

そして、この演奏を聴いた2年後、ブレンデルは惜しまれつつ「引退」を発表します。
その時、彼はかねがね「絶頂期にやめる」と言っていたという記事も読んだ覚えがあります。

ロンドンでのコンサートも、トータルとして見たら、素晴らしいもので、とても引退が近づいているピアニストの演奏ではなかったと思います。
でも、彼の中に「これができなくなったら弾き続けることはできない」という線引きがあったのではないでしょうか。

一方、ポリーニ。
ご存知の方も多いかと思いますが、どうしてまだ弾き続けるのだろう、という代表格のピアニストです。
私の学生時代は、最もチケットが取りづらいピアニストの一人でした。その正確無比なテクニックは、彼の大きな特徴で、どのコンサートも一点の曇りもない完璧なものでした。

このポリーニの演奏を同じく2005年にロンドンで聴いたのですが、この時は、ブレンデルの「あれっ?」ではなく、「えー!!!」という衝撃を受けたのを覚えています。とにかく酷かったのです。ボロボロとまでは言いませんが、全盛期の演奏を聴いたことのある者としては、「これがポリーニ?」と言いたくなるような演奏でした。しかし、ロンドンの聴衆は、ポリーニが出てきただけで大喜びで(なんとクラシックの演奏会なのにカメラのフラッシュの山)、ポリーニ自身もご満悦。おおよそ完璧とは言えないショパンのエチュードをものすごいテンポで無茶弾きしてコンサートを締めくくりました。

現在、ポリーニはまだ「引退」していません。そして、現在の演奏はさらに酷いものとなっています。でも、3万円近いチケットを払って聴きに行く人は多くいます。

現在のポリーニの演奏に全く価値がないとは言いません。彼の演奏に価値を見出して演奏会に足を運ぶ人の気持ちも理解はできます。
しかし、個人的には、昔を知っているだけに、今のポリーニの姿を見ると、とてつもなく悲しい気持ちになるのです。

昔できたことができなくなることは、辛いことなのですね。そして、それを感じ始めたときに、誰もが「やめ時」を意識するわけで、しかも、それを決断するのは自分。

難しい問題です。