こんばんは
人は、認められると、嬉しいものです。
3歳の三女の行動を見るにつけ、そう実感します。
例えば、母親や姉たちに髪の毛を結んで貰うと、私の所にきて、視線を送ってきます。
「私の髪の毛、かわいいでしょ。褒めて、褒めて!」と言葉にこそ出しませんが、熱い視線を飛ばして訴えてきます(笑)
しかし、状況を理解していないと、私は対応できません(苦笑)
状況を理解して、すぐに、「かわいいね!」と言えると、当人は、ご満悦の表情を浮かべて、遊びに戻ります。
しかし、私が状況を理解できず、すぐに反応しない時は…
しばらく、私の反応を見守っていますが、伝わらないとみるや否や、冷ややかな視線をこちらに飛ばし、立ち去っていきます(苦笑)
こうして、3歳女児は、大人の女性への道を歩んでいくのでしょう(笑)
世の男性(とりわけ、娘を持つ父は…)は、私を筆頭に、女性について勉強した方が良さそうですね。
さて、3歳の娘にとっての「褒められる」とは、「自分」という存在を他者から認められる行為なのでしょう。
きっと、褒められることで、「あなたを見ていますよ。安心していいですよ。」というメッセージを受け取っているのでしょうね。
幼少の子どもが求めているのは、褒められた「内容」ではなく、褒められた「事実」が大切なのだと思います。
そして、「褒められる」行為は、自分自身が「自分」という存在を認め、確立していく過程で、自分づくりの基礎となっていくのだと思います。
そういう意味では、「褒める」という行為は、その根底に、「あなたが生きていること自体、喜ばしいことなのですよ。」というメッセージが込められている。
素直に、「褒める」
素直に、「受け取る」
それができるのが、幸せな人生を送るコツなのかもしれません。
もう20年近く前の出来事です。
私は、八丈島に伝わる太鼓を習うため、八丈太鼓の名人「熊おじ」に会いに行きました。
熊おじは、本当に、愛嬌のある、とてもかわいらしいおじいちゃんで、私を温かく迎えてくれました。
早速、私たちは、民宿の一室を借りて、太鼓を叩き始めました。
熊おじの打つ下打ちのリズムに合わせて…
熊おじを感じながら…
私も太鼓を叩いていた「つもり」でした。
が、どうにも、私の動きはぎこちない。
自分でもわかる位です。
いま思い返すと、熊おじの叩く太鼓の「技術」を学びたいと思って、必死だったからでしょう。
太鼓の向こうにいる熊おじが、どうやって太鼓を叩いているのか?
そればかりが気になって仕方がなかったのだと思います。
熊おじの太鼓を叩く「技術」に焦点を当てていた私。
一方、熊おじは、「太鼓」は、暮らしの一部です。
楽しいから、叩く。
ただ、それだけ…。
「楽しい」とは素晴らしいことです。
太鼓を挟んで、じんわりと伝わってくる、熊おじの「楽しい」を次第に感じられるようになってきました。
熊おじの息遣いを、熊おじの存在を、自然に感じられるようになってきた、ちょうどその時。
熊おじは、私に言いました。
「君は、素直だねぇ」
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」
1992年に開催されたバルセロナオリンピック。
14歳ながら金メダルを獲得した岩崎恭子選手の言葉です。
当時の私は、そんな心境になったことを記憶しています。
なにせ、当時の私(今も…かもしれませんが)といえば、
「偏屈」
「我が強い」
「面倒なヤツ」
そう周囲から評されていましたから。
まぁ、自分でも、ある意味、そういった評価は間違いではないなと思っておりましたが(笑)
「君は、素直だねぇ」
これは、本当に嬉しかったです。
熊おじからの、この一言で、私の緊張は一気にほぐれ、「体」がゆるみました。
「体」がゆるめば、「心」もゆるみます。
「心」がゆるめば、「内なる力」が湧き出てきます。
その時の熊おじとの太鼓のセッションは、
得も言われぬ心地よい空間に包まれ、
得も言われぬ快い時間を過ごし、
最高に幸せでした。
「素直」になる
素直に「受け取る」
そういうやり取りができたこと。
本当に有り難いものだと感じます。
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