無鍼の心
当ブログにお越し頂きまして有り難うございます。
日々の暮らしの中で、
感じたこと、考えたこと、想ったこと、思いついたことなど
「心」と「体」をテーマに
ゆるりと書いていきたいと思っております。
あなたの暮らしの何かとつながれば、この上ない喜びです。
日々の暮らしの中で、
感じたこと、考えたこと、想ったこと、思いついたことなど
「心」と「体」をテーマに
ゆるりと書いていきたいと思っております。
あなたの暮らしの何かとつながれば、この上ない喜びです。
与えられた「時間」は有限。
だからこそ、その「時間」をどう活用していこうかと考えますね。
先日、義父の家に遊びに行った際、孫たちが、じゃれ合って遊ぶ姿を遠巻きに眺めながら、「いつまで孫たちがこうして集ってくれるかなぁ…」としみじみと語っていました。
義母もまた別の日に、「いつまで孫の顔が見られるかなぁ…」と独り言のようにつぶやいていました。
お二人とも元気なのですが、一気に秋めいてきたからでしょうか、感傷的な気持ちが口について出てきた様子でした。
いわゆる「終活」という言葉の現実感を身近に感じた出来事でした。
「僕は死にましぇん!」
1991年に流行ったドラマ「101回目のプロポーズ」の武田鉄矢のセリフを思い出しました。
いまの私は、現実味を持って「死」を捉えられていないのでしょう。
現に、「生きる」に重きを置いて生きています。
死ぬなんてまったく想像すらしていないし、想像することもできない。
生きることを前提に生きているといった感じです。
まだまだ、自分を生ききれていないなと思いつつ…ですが。
もうしばらくすると、「いかに生きるか?」という視点から、「いかに死ぬるか?」という視点に移り変わる時が来るのでしょうか?
例年になく雨の多い9月は、心を感傷的にするようです。
喜びは、気をゆるめます。
怒りは、気を上げます。
思い悩むと、気が結ぼれます。
悲しみ・憂いは、気を消耗します。
恐れは、気を下げます。
驚きは、気を乱します。
すべては気のせい。
すべては「氣」のせい。
過ぎたるは猶及ばざるが如し…です。
カラオケ行って、元気に歌ってきましょうか!
■「無心の鍼」てるちゃん ■
もう少し知りたい方
無鍼の心 LINE@
@szc6225l