日々の暮らしの中で、
感じたこと、考えたこと、想ったこと、思いついたことなど
「心」と「体」をテーマに
ゆるりと書いていきたいと思っております。
あなたの暮らしの何かとつながれば、この上ない喜びです。
ある日のこと。
近所に住む一人暮らしのおばあさんから、
「あんたに、前から頼もうと思っていたことがあるんだけど…」
そう声を掛けられました。
このおばあさん。
ゴミの収集日には、朝早くから、共有のゴミ捨て場に待機して、ゴミの点検をします。(誰にも頼まれていません。)
夜は遅くまで、自宅の玄関前にいて、近くを通る人を見ています。(理由はわかりませんが…自主夜間パトロール?)
知り合いだと分かると、「超高速すり足」で接近してきます。
そして、話をする時は、10cm位まで顔を接近してきます。
「耳が遠いから聴こえないんだよ!」
と言って。それにしても、近過ぎる距離です。
時々、わが家の末娘のために、信用金庫などで貰ってきたキャラクターが印刷されたシールをプレゼントしに来てくれます。
ちょっと…、というより、かなり変わったおばあさんですね。
志村けんが演じるおばあさんをイメージされると、近いものがあるかもしれません。(笑)
そんなおばあさんですから、声を掛けられた時は、いつもドキッとしてしまいます。
何を言われるのかと…。(笑)
そして、この日に言われたのは…
「あんた、包丁砥げるかい?」
私の頭は、「?????」です。
おばあさんの話では、定期的に、包丁砥ぎのボランティアさんが近くの集会所に来ていたそうです。そして、いつも包丁を砥いでもらっていたそうです。
しかし、包丁砥ぎのボランティアさんが来ていたのは、2年前までの話。
理由はわかりませんが、突然、来なくなったと嘆いておられました。
それから2年あまりが経過しました。
包丁を砥げる人がいないので困っている!と訴えておられました。
時折、息子さんが様子を見に来られているようですが…。
何故だか、私に白羽の矢が立ったようです。
理由はわかりませんが…。
私が、プロではないが、自分の包丁は自分で砥いでいることを伝えると、後日、私の家に、包丁を持っておばあさんがやって来ました。
おばあさんは、
「錆びてて恥ずかしいんだけど…」
と新聞広告のチラシにまかれた包丁を私に手渡し、帰って行きました。
包まれたチラシを開けてみると…
びっくり!行天
刃物の全面が錆びだらけ!
錆びついた「菜切り包丁」でした。
これは大変だ…。
そんな包丁でした。
今更ながらですが、写真に撮っておけばよかったですね。
思わぬ所にネタは落ちています。(笑)
さて、おばあさんは話していました。
「うちに、2本が包丁あるけど、もう1本は、先が尖った包丁(おそらくは、万能包丁のことかと思われます)は使いにくいんだよ。これ(菜切り包丁)がいいんだよ。」
そう何度も繰り返していました。
確かにそうですね。菜切り包丁は、野菜切りやすいですから。
そんなこんなで、想定外の錆びだらけの包丁をお預かりしました。
一旦、お預かりした以上、包丁を砥がない訳にはいきません。
グラインダー(鉄などを研磨する電動工具)があれば、楽なのですが、そんなものは、一般家庭にはありませんから、地道に砥石で砥ぐしかありません。
ただ、ひたすら包丁を砥ぎ続けます。
同じ動きをひたすら繰り返すわけです。
そうするうちに、少しずつ、少しずつ、錆びが取れていきました。
30分以上、砥き続けたでしょうか。
やっとこさ、2年間の錆びをこそげ落とすことができました。
すると、「ピンポーン」と玄関のインターホンが鳴りました。
見ると、おばあさんです。
「包丁はまだか?夕飯の準備をしたいんだけど…」
催促でした…(苦笑)
なお一層ペースを上げて、私は必死に砥ぎ続けました。
こんなに、必死に包丁を砥いだのは人生初めての事です。
それから、15分程して、砥ぎ終えました。
届けようと思って、玄関を出ると、おばあさんがそこに立っていました。
びっくり…です。
かなり重要な包丁だったようです。
包丁をお渡しすると、急ぎ足で帰られました。
一点集注型の性格。
おいくつかは存じませんが、きっと、若い時からそうだったのでしょうね。
どんな時も、自分のペースを崩さない猪突猛進おばあさん。
尊敬します!
さて、翌日、道でおばあさんと会いました。
超高速すり足で、気づいた時には、10cm位まで、顔を近づけられていました。
「昨日はありがとうよ。ホントにきれいに砥いでもらって!助かったよ。」
笑顔で、お礼を言って頂きました。
毎日、使う包丁。2年も砥がずにおけば、刃先は丸まり、切れなくなります。
切れなくなれば、そのうち放置され、刃は錆びてもくるでしょう。
人間も同じだなぁと思いました。
心も体も、放置していては錆びついてしまいます。
日頃から、気にして、磨いていないといつの間にか、使いたくても使えなくなります。
一度、錆びついてしまった心や体を再び使いやすくするためには、相当な時間とエネルギーが必要となります。
スピードが重視される現代社会
質よりも、形に目が行きがちです。
見た目の体裁が整っていれば、中身まで精査することは少ないという一面が優先されるように思います。
そんな、スピードの中に生きていますから、もしかしたら、自分の心や体が錆びついていることさえ、無自覚になっているかもしれません。
でも、そんな状態に長く身を置いていて大丈夫なことはないと思います。
このままだと、次第に、病んでいくことでしょう。
心や体が錆びついていないか確かめる方法は、ひとつ。
全力を尽くすこと。
全速力で走ってみる。
体が錆びついていれば、思うように動かないのがすぐわかります。
全力で取り組んでみる。
心が錆びついていれば、できない言い訳をしたくなります。
時には無心になって、何かに取り組むこと。
それが人生の錆取りになります。
おばあさんは、そのことを私に教えてくれるために、錆びだらけの菜切り包丁を届けてくれたようです。
おばあさん、貴重な経験を有り難うこざいました。
次からは、錆びだらけになる前に、持って来てくださいね。