無鍼の心  
当ブログにお越し頂きまして有り難うございます。
日々の暮らしの中で、
感じたこと、考えたこと、想ったこと、思いついたことなど
「心」と「体」をテーマに
ゆるりと書いていきたいと思っております。

あなたの暮らしの何かとつながれば、この上ない喜びです。

 


楽しい時は、さして、「自分」というものを考えなくても過ごせます。


苦しい時は、嫌でも、「自分」というものを考えさせられます。


そんな時、自暴自棄になるか?


それとも、人生の転機として捉えようとしてみるか?


少しでも、今の状況と自分に焦点を合わせられたとしたら、他者との比較ではなく、自分自身のために、自分自身のことを考えることができるかもしれません。

 

 

誰の為でもなく、自分自身の為に…。

どのような視点に立ち、どのようなことを考えるのか?

 

 

純粋に、自分自身について考えられたなら、今までとは違う世界が見えてくるかもしれません。

今までとは違った世界に見えてくるかもしれません。

 

 

ただ、「純粋に」とは、なかなか難しい。

自分自身のことであるがゆえに、雑念に囚われてしまいます。

自分との我慢比べです。

純粋に在りたい自分と、混じりけや淀みがある自分と。

それでも何とか踏み止まって、自分自身をよーく見ようとする。

都合よく解釈したくなりますが、それもぐっと堪えてよーく観てみる。

 

 

人生そのものが修行であるという人もいます。

修行というものは何でもそうなのかもしれませんが、すぐに目に見える結果が出るものばかりではありません。

欲しい結果が結果として現れるかどうかはわかりません。

ましてや、欲しいという欲求が強過ぎると、目先のことに囚われてしまいがちになります。

目先のことに囚われると、大切なことを疎かにしてしまうというか、大切なことが見えなくなってしまいます。

 

 

目先のこと。

 

 

それはそれで大切で、欠かせないことなのだけれど…。

「それはそれ」と捉えて、整理して考えられるかどうか?

試されているように感じます。

 

 

目先のことと、本当に望んでいること。

 

 

間違えないようにしたいと願います。

間違えたとしても、できるだけ取り返しのつく間違いに治めたいと思います。(^_^)

 

 

きっと、今の自分も、数カ月後、あるいは、数年後の自分が、当時の自分を振り返ってみると、「あぁ、少しは進歩したかな…」と、しみじみと思える位が丁度よいのかもしれません。

 

 

先日、こんな言葉を目にしました。

 

 

『人間は、不幸か、貧乏か、病気が必要だ。でないと、人間はすぐに思い上がる。』

 

 

示唆に富む言葉だなと感じました。

 

 

淡々と

少しずつ

少しずつ

自分の未熟な言葉を

自分の未熟な行動を

自分自身を捉え直していく。

その背景にある、自分の本当の想いを探ってみる。

向かい合ってみる。

 

 

苦しいと感じる時は、それができる機会なのかもしれません。



そうしていくことが、「いま」を生きるということなのかもしれません。

 
 

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■「無心の鍼」てるちゃん ■
もう少し知りたい方
➡『手当てのはり 鍼灸 絃宥堂』

最後までお読み頂き、有り難うございました。 
 
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