きもの再び | 子宮筋腫をとったらば

子宮筋腫をとったらば

2015年12月に開腹で子宮の全摘をした、45歳・既婚・子ナシの備忘録。

年明け最初の姑とのお食事会に着物で行ってきました。

30代の時に姑が仕立て直しまでして、

合う帯も添えて譲ってくれたものなのです。

その当時は離れた場所で暮らしていて、

実際に着ているところを見てもらっていませんでした。

頂いたころは香道のお稽古に励んでいたため、

よく袖を通した私にはおなじみのもの。

でも白地に細かく可愛い色の絣がたくさん入ったものなので、

そろそろ華やかさに年齢がついていけなくなりそう……。

アラフィフでも大丈夫?と思いながらも、

帯や小物を渋めにセットして着用に及びました。

「懐かしいわ~、まだまだ大丈夫よ~」

と姑にも及第点をもらってほっと一安心です。

 

着物は好きで、20代からチャンスを見つけて着ていました。

ちょっとおめかししたいときに実に便利。

お食事や美術館、果ては雀荘まで着物で出かけたりも(笑)。

実家の押入れをがさがさ探って、

たんすの引き出し2段分の着物を自宅に引き取り、

祖母と母のお古で楽しんでいました。

ハマると経済的に恐ろしいことになるので、

「着物と帯は自分では買わない」ルールを設定。

これは悲しいことに今でも有効なお約束ですが(涙)、

小物や下着を揃えることで結構満足してきました。

特に帯締めだけは道明の無地をコツコツ買い足して。

その程度の、ライトな着物好きです。

 

でも筋腫で身体がしんどくなって機会はめっきり減りました。

なんといっても出血で着物を汚すことへの恐怖が大きく。

若いころは生理中でも平気で着たりしていたので、

やっぱり出血量が増えて不安になってしまったのだと思います。

加えて、私のお古着物と帯たちはすべてスリムさん仕様。

母も祖母もその他着物を譲ってくれる親戚もみんな、

それなりの身長で体重40kgくらいという圧倒的細さ。

若いころは支障がなかったのですけれど、

筋腫のお腹が出っ張ってきたら……アレ?

なんだか帯が寸足らずのような?

締められるけれど形よく締めるにはちょっと窮屈?

そして、締めるときの動作が露骨に辛くなってきたのです。

息が上がって胸が苦しい。

情けなくも悲しい気持ちになりました。

 

そんなこんなで着物を着ようという意欲が削がれていきました。

いちばん直近の着物は伯母の葬儀直後の友人の結婚式。

大好きな友達から受付も頼まれて、

いつもの私に似ない柔らかい着物を着て、でも心はボロボロのまま。

新婦である友人は伯母のこともよく知っていたので、

事実を隠しての出席は嘘をついているという後ろめたさもあって。

大好きな人のおめでたい席を作り笑顔で祝うことに、

かなりの罪悪感もありました。

着用した着物は私自身の結婚式に祖母と伯母が贈ってくれたもので、

久しぶりに袖を(もちろん切って)通すところを見るのを、

病床にいた伯母も楽しみにしてくれていたのに。

「あの時おばあちゃんは赤がいいって言ったけど、

黒にしておいて結局よかったよね」なんてふたりで笑ったのに。

それが思いがけなく叶わなかったことも切なさに拍車をかけました。

最後の着物をそんな気持ちで着たので、

着物を着ること自体が少し疎ましくなっていたかもしれません。

 

でもこの年明けに「着ようかな?」とふっと思えました。

この気持ちの変化がなにより嬉しかったです。

これも私にとっては術後の改善点の大きなひとつ。

体型も多少は戻ってスムーズに着つけられたのも嬉しい。

年齢を重ねるごとに着るものに悩むことも多くなっているので、

今後は惜しがらずにじゃんじゃん着物で出かけたいです。

そしておばあちゃんになってすがれた着物姿になれる日を、

楽しみに待ちたいと思います。

 

 


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