2017年4月23日

 神社にて、<神>という意識体に“自ら”の波動を合わせるーーー、これは、いわば、テレビやラジオなどの“電波”と同様で、チャンネル(周波数)を切り替えることで、受信する側は、観る(または聴く)ことが可能となります。わたくし自身、全国の神社仏閣を巡るなかで、なぜこのようなことができるようになったのか、その理由は、徐々に自身の祈りの対象、つまり、対話する霊魂が増えるなかで、本当に必要な術(すべ)を神からいただいたのだと感じますし、そして、自らの身を守る意味でも大変大きな意味をもつことに、後々気づいたのです。

 わたくしは近年、神社仏閣以外にも、かつての戦地や空襲などがあった場所(忠魂碑)、そして、様々な理由により、船が難破(あるいは玉砕)した場にほど近いところに建立(こんりゅう)された石碑
などへ祈りにまいります。さらに時代を遡りますと、飢饉や一向一揆、籠城攻め(ろうじょうぜめ)などがあった城跡、また、戦国時代の合戦(かっせん)をはじめ、歴史上、熾烈な戦いがあった場、そして、そういった戦(いくさ)の後に建立されたであろう首塚(胴塚・足塚)などへも赴き、祈りを捧げております。かつて先人たちが経験された状況は、凄まじい轟音(ごうおん)や叫び声をともない、鮮明な映像となってわたくしの目前にて繰り広げられ、これがかつてのこの国の様子なのだと、しばし時を忘れ、静かに拝見させていただきます。

 そのような場所にて祈る、それは、神という意識体とは別の意識、すなわち、かつては人間であった御霊と意識を通わせるということです。そして、それらの御霊は、当時起こった出来事や争い、または不慮の事故などにより命を途絶えてしまったという経緯がありますので、ある意味では、“生と死”を分ける究極の状況、人の生きざまの“縮図”がそこに示されるものでもあります。

 はからずも命を絶えることになった御霊の悲しみ、愛する家族と離れ離れになった苦しみは、幾年を経ても
今なお消え去るものではなく、今を現に生きる者として、同情や哀れみなどで安易に接することはできません。そして、こういった、“人生の究極”を経た御霊たちが達する想いとは、得てして“悟り”に近いと感じます。「人間の想いとは、そぎ落とされていき、究極、このようなもの(達観したもの)になっていくのだな」と、思い知らされるようなことも多々ございます。

 わたくしが、そういった場所に赴きますと、様々なお姿の御霊を拝見いたします。(命を絶えたときの)当時の様相は、服装が朽ち果てており、あるいは、瀕死の負傷をおったままの御霊もあられます。また一方で、だいぶ弔(とむら)いが進んでいるのか、本当に綺麗な(その御霊が、人生をもっとも謳歌していたであろう時期)のお姿で、わたくしの目前へ出ていらっしゃることもございます。特に特攻隊などで戦死された方々は、皆様大変きちんとした身なりをされていることが多く、団長を先頭に整列されるお姿は実に堂々と、一斉に敬礼をしてくださいます。

 祈りを始めた当初は、お出逢いできる御霊の数も限られておりましたが、やはり祈りを重ねるごとに、わたくしが通わせるそうした御霊の数は増え、また、視させていただく光景もより詳細化してまいりました。わたくしという一つの魂が、そうした、目に見えない霊魂と、当時の状況を照らし合わせながら対話する、それは、すなわち、身はそのまま(現在)に在りながら、魂は、“過去”という時空へ飛び、しかも霊魂特有の層へ入り込むということですから、ある意味、魂と身体の“離脱”が起こり、実質的な疲労も大きく、場合によっては霊的に非常に危険な状況に陥る可能性もございます。

 ですから、わたくし自身、もちろん、祈り自体は、その場にて出来得る限りのことをさせていただきますが、自らの波動は、冒頭でもお伝えしましたように、ある周波の高さ(チャンネル)にすることを、ごく自然とおこなうようになりました。その高さとは、対話する集団のなかの、“リーダー的な魂”、あるいは、これだけは(わたくしへ)伝えたい、という意思をもたれる御霊の波動です。

 すると、本当に整然と、(リーダー的あるいは、メッセージを伝えたい)その御霊は、かつての様子や、また、その集団(御霊たち)の現在の状態、あるいは、今の世に生きる(後世の)人々への想いなどを、わたくしへ向け、一つひとつ丁寧にお話しくださるのです。これは、わたくし自身の、そういった御霊からのメッセージを、混乱なく、確実に理解させていただくことにつながりました。

 御霊と対するときには、本当にどのような存在に対してであれ、自らのスタンス(波動)を崩してはなりません。目に見えない存在とは意識を通わせながつつ、しかしながら、けして(そういった存在に)翻弄されてはならないのです。

 今の時点で必要なことを、そして、わが身一つで、真っ向から受け止められることを―――、あらゆる状態にある御霊に、肉体をもつ者として、この姿勢は欠かせぬものと、日々実感しております。そして、これは、現在のわたくしがおこなっている霊視鑑定でも、けして“揺るぐことのない秘訣
でもございます。

 ただ、これまでの数々の御霊との対話によって、一つ気づいたことがございます。それは、たとえ当時の様相が激烈で、苦渋の結末であろうとも、それが、今なお“恨み”といった形で御霊から表わされるのではなく、むしろ、当時の状況を冷静に省みつつ、深い“気づき”とともに、ついには後世への“祈り(願い)”となって静かに見守ってくださる、という、いわば、“段階の上がった”霊魂の状態へと昇華していらっしゃる御霊が実に多いということです。

その⑪へ続きます。】