群馬県は、馬の生産地だった、歴史があって、
古墳の数もピカ一。
埴輪の数は、ダントツ№1.
馬は1500年ほど前、朝鮮から運ばれたもの。
※ ☝ 群馬県立歴史博物館・ぐんまの森
外来者が1500前、馬を運んだ船は、どんな船?
ここで、【博物館曰く】
大阪の古墳から出た船形埴輪を復元した船が☟。
これに乗って、馬の生産、飼育・技術の専門家が渡来したという。
更に、この船に馬も乗って倭に乗り込んだという・・・・・。
ここでストップ。
こんな小さな船に馬、人間、生活用品、餌を積んで?
漕ぎ手は、馬の腹を見上げ、海面を見たりして、腹の下で漕いで、
荒波を超えてきた?
眠れない、眠れないが、もう3日!
その埴輪が☟ダ!
☟馬だって、船酔いでは、わがまま、になるというもの!
箕輪城がどうして武田勢に落とされたか、あの堀?
その絵を天井に描いたら、これまた眠れない。
どこかで、眠ってるが、眠らないイメージが強い!
今日は、唄を歌って、笑われるカエルが、ボーナスをくれた。
群馬の話は後日!
八王子、嵐の前の静けさです。
怪物にに対応する、体力温存に、おやすみなさい。
車は昔、朝鮮からの渡来人が多く住んでおりましたので当然、馬も一緒に海を渡ってやって来たのでしょう。
箕輪の駒寄という所には「群馬の松」が存在しますが、これは群馬の発祥の松で残念ながら管理が悪いのか今の松は8代目です。
因みに車(車郷)は鳴沢湖が在る周辺、偶に私が散歩する場所で琴錦が誕生した地なんですよ。
おたかさん。
群馬が⇒「車」とあっても、
確信のある情報がなく・・・
「車村」という地名があったのですね。
目からうろこが、ぽろぽろ。
駒寄はいつも高速に入るインターで、
「群馬の松」は気が付きませんでした。
百聞は一見・・・
箕郷、派手さはないけど、
落ち着いた、城下町掘り下げれば、
沢山のエピソードがありそうですね。
ありがとう、おたかさん!
長閑な山里ですよ。
おたかさん。
この道、何回か通っているのに、
しかも箕輪の駒寄って書いてるじゃないですかねぇ~。
早とちりでした!
高句麗(こま)の人が駒(こま)を持ちこんで、
倭の人はこんなものが乗物になるのかと、
手を拱(こまね)いていたところ、
上手に飼葉を与えて育て上げました、とさ。
困りました。
どのような内容のブログを書かれていらっしゃるのか。
皆目見当がつかず。
確かに仔馬ですよね!
いいものを、運んできてくれました。
ロマンですね!