春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

山が燃える、文治郎、男盛り

2018-06-25 22:56:43 | 関口文治郎/神社仏閣

 

1979年黒保根、下田沢にささら舞いが伝わり、
小さい太鼓から山間の医光寺の境内響いていたころ、
その年10月、南の島桜島が大噴火し、島民の大半が焼け死んでいる。
関口文治郎がその話を聞いたのは、
1980年11月、桐生下田沢から10里離れた、箕郷村で、
不動寺の境内の仮小屋で空っ風、寒さをしのぎながら、
欄間に3つの24史彫っていた時。


関東、文治郎の噂は、左甚五郎の生まれ変わりと、
一際高い評判。
箕郷柏木沢の農民は、4丁離れた
「不動寺」の境内でひと目、
文治郎見たさに境内を埋める
ときもあった

文治郎49歳、弟子の千次、松治は、文治郎の子供。
弟子の才能は、文治郎22歳で、医光寺の24史を彫り上げた技には、
とてもかなわない、
が、男前ではあったろう。

11月14日、不動寺の24史を彫った後、
藤岡の「秋葉神社」で一仕事を終えた、

よく年、1781年、箕郷村の「赤城若御子神社」の、
本殿に彫刻の依頼を受ける。
それからさらに1年半後、1783年7月7日、
浅間山が大爆発するなど、知る由もなく・・。


その「赤城若御子神社」

 

 

 

 

 

 

 


磨けば、立派な神社であります。

 

 

 



 

 

 

写真 2018.6.24 高崎市


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2 コメント

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こんばんわ、とよさん (たか)
2018-06-25 23:24:42
とよさん、柏木沢へいらっしゃったのですか?
クシャミしてくれたら此処まで聞こえましたのに。

柏木沢の直ぐ隣に宿稲荷が在ります。
ここの彫刻は一見の価値が有ります。
是非。
こんばんは (とよ)
2018-06-25 23:50:37
たかさんの庭、目と鼻の距離でした。
で、足音立てず、
息をひそめて、逃げ足はやく・・・。

宿稲荷、一見の価値、ありますね。
関口文治郎の兄弟分、石原吟八の作、
彫刻の魅力は吟八のほうが好きで・・・。
男っぽい!
見学したく思ってます。





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