坐摩神社(イカスリ)神社。

大阪市中心部の舟場にある古い神社です。
境内は南向きで入り口は大小の3つの鳥居が横に組み合わさった「三ツ鳥居」が迎えます。

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創建時の社地は現在とは異り、渡辺津・窪津・大江などと呼ばれたかつての淀川河口でした。

渡辺の姓は渡辺津から始まっています。
渡辺とは舟の渡し一団の事なのです。

その守護神坐摩神社(イカスリ)です。

祭神
•生井神(いくゐのかみ)     
井水の神(生命力のある井戸水の神)

•福井神(さくゐのかみ)
井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)

•綱長井神(つながゐのかみ)
井水の神(「鶴瓶を吊るす綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)

•波比祇(はひきのかみ)
竃神(屋敷神。庭の神)

•阿須波(はすはのかみ)
竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)

祭神の五柱の神は『古語拾遺』等によると神武天皇高皇産霊・天照大神の神勅をうけて宮中に祀ったのが起源とされ、神祇官西院で坐摩巫(イカスリのみかんなぎ)によって祀られていた。

「イカスリ(ゐかすり)」の語源は、
居住地を守ると言う意味の「居所知ル」(ゐかしり)転と説明している。
また、『延喜式』には「さかすり」訓も記されている。

イカスリ神社は、「イカスリ」の語源も曖昧模糊としてよくわからない。
祭神も聞いた事のないような名前ばかり、地元大阪市民はどう思っているのか定かではないが......謎多きお宮です。

しかも宮中に祀ったのが起源なんてね。
全く大きな事を書くものです。

それでは、祭神の本当の姿をご紹介しましょうか。
記紀に書いてある事とはもちろん違います。

生井神
事代主、ヒルコ、大直根子(おおたたねこ)
全て同じ人物で御年神の事です。
古事記では孝安天皇となっています。

◆福井神
大山咋神、山末之大主神、山陶神(陶器の神)

綱長井神
椎根津彦(しいねつひこ)、倭彦
椎根津彦と言ってもわからないと思いますが、生目入彦です。
古事記では垂仁天皇と呼ばれています。

波比祇神
御年神

阿須波神
建南方神
諏訪大社に祀られている神様

以上が祭神の本当の名前ですが、御年神が名前を変えられて事代主として祀ってあります。

こう言う事は神社にはよくある事で、神主さんに尋ねますと.....

「神様の御神徳が違うので同じ神様を違う名前で祀るのです。」

などと言われます。
しかし、大体において違う名前を知らない神主さんが多かったり、知っていても本当ののことなど一般参詣者などに教えてくれません。

神様は尊い存在なのですから聞く方もなんとなく憚れる雰囲気があるのです。

けれど、現在は一般参詣者によって成り立っている事を忘れてはならないと思います。

神社の事はよくわからないけど、なんとなくお詣りすれば心が軽くなるような気がするし安心出来ると言うような妄想、空想を抱かせるように造られた場所です。

大同元年、二年から神社の整備を始めました。

平城京、平安京の貴族の生活は豊で農民が日照りや干魃で飢えて死んでいても、彼らは宴会に明け暮れていました。

今で言う過食嘔吐の繰り返しで、それが流行していたのです。

都の回りは死体だらけで片づけもしません。
何故なら汚れるからです。
汚れは汚れ専門の身分の人任せです。

もちろん神社に行くのは貴族だけでした。
しかし、造営する時は農民達が無給で奉仕させられるのです。

農民は逃散し奈良、平安の経済は少しずつ破綻の方向へ向かって行ったのです。

イカスリ神社は出雲大社の成り立ちと関係が深く出雲大社のダークな部分を受け持っている神社です。

もちろん、受け持っているのはここだけじゃありませんけど...。

出雲大社は一体誰が造ったのだろう?
イカスリ神社に祀られている神様の関係性は?
 ここヒントです。

続く。

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