こんにちは。Lunaです。
ここのところ、息子から、
「母ちゃんは人間ぽくない。どころか、生物っぽくもない」
「普通なら偽善者にしか見えないことを素でやっている」
などと言われ、あれこれ思い悩んでいました。
その真意が、昨日の会話で解けたのです。
最初、息子は、
「母ちゃんは自分を人より下の立場に下げない」
「自分のことばっかり守ろうとしている」
と言い、私は非常にショックを受けました
これまで、自分の心身を削ってでも、息子を守ろうとしてきたつもりでした。
また、常に息子と対等に接しているつもりでもいました。
そんな自分の在り方・生き方を全否定されたみたいで、
思わず涙が出そうになりました
すると息子は、
「母ちゃんを責めたり、苦しめたくて言ってるんじゃない」
と言った上で、こんなことを言いました。
「母ちゃんは、自分で自分を守らなければ心が壊れてしまうくらい弱い」
「そのくせ、俺を守ろうとするけれど、それで逆に俺を傷つけることもある」
「自分と俺を守ろうとするあまり、力が強いものに対して怯えたり逃げたりっていう、生物として当たり前の本能も忘れて、サイボーグみたいになってしまっている」
「もう生物じゃなくなるほど俺を守ろうとしなくていい」
「俺はもう、自分の身は自分で守れるし、
時には母ちゃんだって守れる」
「だから、時には頼ってくれていいし、
背負ってる重荷を預けてくれていい」
・・・今度は違う涙が溢れました
そうか、息子はもう、こんなに大きくなっていたんだ。
こんなにも成長していたんだ。
それを、まるで息子が無力な小さい子どもみたいに「守ろう」としていたってことは、その時点ですでに、息子を自分より下に見ていた、ってことなんじゃないか。
そしてそれはもしかしたら、「息子を守ろうとする自分」を守ろうとしていただけなんじゃないか。
自分がもうこれ以上傷つかないように、誰にも息子を傷つけさせないように、『力』や『社会』と闘わなければ・・・と、必死に鎧を身につけ過ぎて、目にまで覆いをかけてしまって、もはや自分が誰から何を守ろうとしているのかさえ、わからなくなっていたのかもしれない。
そう思ったら、涙と一緒に鎧も目隠しも、解けて流れて行ったような気がしました
思春期真っ只中の息子。
親の私を、こんなに客観的に分析することができて、自分でも気づかなかったようなことをきちんと言葉にして伝えてくれることができて、なおかつ、泣いている私に次から次へとティッシュを取ってよこすという、笑いを誘うフォローまでできて。
この2年で、思春期の発達課題を急速に駆け上がってきたなぁ、と思いました。
それに気づかなかったなんて、私は息子の何を見ていたのだろう。
「それでも、母ちゃんが母ちゃんだから、俺は俺でいられるんだよ」
なんとまぁ、自己受容も他者受容も私の上を行ってます
こんな母親でも、いや、こんな母親だからこそ、息子は人一倍苦しみ、その分、人一倍成長していくのかもしれません。
『母親』の役目はもう終わり。
これからは、一人の人間、一人の大人として、本当に対等に、息子と付き合っていけたらと思います