指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『私説・内田吐夢伝』 鈴木尚之(岩波現代文庫)

2018年07月03日 | 映画

私説と言っているが、他にはないので公的伝記と言って間違いない。

そして非常に面白いのは、内田吐夢という人が、矛盾を抱えた興味深い監督だったからである。

彼は、サイレント時代にすでに巨匠だったが、この時期で残っているのは少なく、私が見たのは『人生劇場』のほんの一部と『警察官』ぐらいである。

戦前で第一の作品は、意外にも小津安二郎原作の『限りなき前進』だろうが、これも完全版はない。

そして彼は、敗戦直前に満州に行ってしまう。これは、映画法の施行に伴う映画会社の統合で、旧日活、新興キネマ、大都映画の統合で大映ができたためだった。これは永田雅一が、当時の国の意思を踏まえて行った統合で、新興キネマという二流会社が、一流会社だった日活を吸収するものだった。「小が大を飲みこむ」ものだったが、時代が変化するときには起きる事象である。だが、吸収された日活系の人間は大変で、会社に居場所がなく、伊藤大輔、内田吐夢らは、大映で肩身の狭い思いをすることになり、伊藤は沈黙し、内田は最後は満州映画協会に行くことになる。

そこでの満州国の崩壊を目の当たりにし、加藤泰、牧野満雄など多くの映画人は帰国したが、なぜか内田吐夢は中国に残り、映画製作の指導をした後、1954年に戻ってくる。

戦後の内田の作品は、当初『自分の穴の中で』や『たそがれ酒場』『どたんば』等の現代劇では、必ずしも成功を収めることはできなかったと思う。どこか時代とずれているような感があった。

そこで、やはり内田が本領を発揮したのは、『大菩薩峠』、そして『宮本武蔵』の時代劇だった。特に『宮本武蔵の一乗寺の決闘』は時代劇としても最高作だと思う。この本でも製作の過程が詳しく書かれている。

これは、黒澤明の『七人の侍』と並ぶ、アクション映画の最高峰の一つだと言っていい。

最後の傑作は言うまでもなく『飢餓海峡』で、これも記録映画のように戦後の日本社会を見るリアリティがあって凄い。

一時は、彼の『宮本武蔵』や『飢餓海峡』は、テレビでもよく放映されたが、近年ないのはどうしてだろうか。

それは、内田吐夢の作品には、貧困や戦争と言った時代を背景としているからではないかと思う。

 


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