¨裕福だった人の心¨と¨何も持っていなかった盲人の心…゛/私にあるものをあげよう… | ~ Light Of The World*光よ~  Joyce Blog From Hong Kong

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香港在住。
クリスチャン、妻として、母として…
国際結婚、仕事、子育て、出会いを通して、
体験したこと、語られた事を書いていきます。

You Are Loved あなたは愛されている…
声を大にして伝えたい。


『……「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、
私は何をしたらよいでしょうか
。」』
マルコ10:17

『……「わたしに何をしてほしいのか。」すると盲人は言った。
「先生。目が見えるようになることです
。」』
マルコ10:51


ここで、ふたりの人の心の状態が見えます。

ひとりの人は裕福で、小さいときから神の戒めを守り、
さらに永遠のいのちを得るためには何をしたらよいのかと、
イエス様に尋ねました。

彼は、必要なものをすべて持っており、神の戒めをも守り、
それらに依存して生きてきました。

しかし、「持ち物をみな売り払って、わたしについてきなさい。」と
イエス様に言われると、悲しみながら立ち去ったのでした。

多くの財産を持っていましたが、
それらが神から与えられていることに気づかず、
また、手放すこともできなかったからです。

もうひとりは家もなく、目も見えず、
神の戒めなど聞いたことなどなかったかもしれず、
ただ、イエス様が見えない目を
見えるようにしてくださる方であると信じて求めた人です。

彼はこのままでは、自分の身の上、自分の人生に何の望みもなく、
ただ、この目が見えるようになったら仕事ができるようになり、
家を持ち、家族を持つこともできるようになるだろうと明確に、
強い願いを持っていました。

裕福であっても、神に与えられているという意識のない人は、
貧しさを知らず、貧しい人に分けてあげる
あわれみの心がありませんでした。

もうひとりの人は、
持ち物を分けてあげることのできる人になるでしょう。
自分の持ち物は神に与えられたと知っているからです。



心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
あわれみ深い人は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
マタイ5:3~7
アーメン!


友人より...
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友人で多くのモノを多くの人に
気前よく、差し出す人がいます。
いつもすごいな~と思ってしまいます。

確かにこの方は、高給取りでご夫婦合わせると
かなりの金額をいただいていると思います(会話の中で…)

わたしは、この方々が高給取りだから
そんなに自由にたくさんの方々にいろいろしてあげれるのだ!
随分前には、そう思っていたものです。

そして、かなりの裕福な方…
億万長者の一人と言われる人を知っていますが
その方も多額の私財を寄付にまわしたりしています。

香港では、裕福な方々が貧困者をサポートするのが当たり前の
政策、社会的仕組みがとられていることと

寄付などをすることにより税金対策も出来るシステムになっていることが
このような行為が盛んにおこなわれていることの一つと思います。

勿論、社会的地位や面子の為に
それをしている方もおられると思いますが

そうではなく、本当に気前よく寄付される方も多くいますし
神の国の為に示されれば、
わたしみたいなものからすれば…
びっくりするような金額を出されている方もおられます。

しかし、ある億万長者と言われる人の中には
どんなに小さなお金…でさえも
人に差し出すのが嫌な人がいます。
彼らにとってみれば、ほんのはした金です。

そして、自分たちの車や身に着ける物…宝石には
とんでもない額のお金をいとも簡単に支払うことが出来るのです。

反対に、貧しい…方も存じていますが
彼らは、持っていない中からも…
自分の出来ることの最高のものを
差し出そうとしてくれる人もいます。

どうして、彼らにこんなことが出来るのか…
心がほんとうに豊かな方々と思います。
自分よりも…人の為にしてあげたいお心をお持ちの方…

その時に思いました。
人の為に金銭的なもの、贈り物、行為に関しても
これは、何かを持っている 持っていない、
または、それをする余裕がある、余裕がないではないのだと
ある時、思うに至りました。

実際に、¨お金持ちであること¨と
¨気前のよさ¨とはあまり関係はないと思います。

今日は、金銭的なことをたまたま書きましたが

それだけでなく、持っている環境、時間、心、モノ…
わたしたちに与えられているものは
全て神様から頂いているもの…


悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、
貧しいようでも、多くの人を富ませ、
何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

                   第二コリント 6:10   

どうしようもない時…
実際にしたくても出来ない時…
というのもありますし、

金銭を求められても
本当に出来ないこともあります。

その時、私はこのみ言葉を思い出します。

金銀は私にはない。
しかし、私にあるものを上げよう。
ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。
                      使徒3;6


神様が助けを必要としている人をわたしたちの前に送られたとき、
喜んで助けの手を差し出すことのできる人になりたいと願います。
何よりもこころを 愛を持って 
手を差し出していけますように!
なぜなら、全ては主からのものです。

また、差し出すことの出来る手を
必要なところへ流し出すことの出来る必要をも
主が与えてくださいますから…

主よ!感謝しますドキドキ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
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