小説「いねむり先生」のつづき。
人は病気や事故では死なない。人は寿命で死ぬ。
「先生」がこういう話しをしたのが、なんとも強烈だった。
この言葉に出会ったとき、わたしは進行の速い「HER2陽性乳がん」闘病中だった。スイスのお医者さんたちは皆、心配そうな顔をして、生存率、余命等、何を訊いても「はっきり」したことは言ってくれなかった。無言ほどコワイものはない。
その頃、この「がん」を抗がん剤でたたいて50歳の誕生日は迎えて、治療をしながら元気にはならなくても55歳くらいにはなれるかな、年金生活がしてみたかったな、ダメそうになったら自分で日本に行こう、などと思いめぐらしていた。
○○を食べれば「がん」に効くとか、▽▽をして「がん」が消えたとか、本当か嘘かわからないネット情報に振り回されていた。確かな事が見つからなくて、やたらに情報を求めていた。
先の見えないネット中毒の情報過多プラス闘病中、病気ではなくて「寿命」で死ぬ、と読んで、当時のわたしは妙にホッとした。不思議と心に余裕ができた。
「がん」以外の原因で死ぬ、という発想が新鮮だったのだ。
そして、死なない人はいない。
もちろん、医学的な死因は「HER2陽性乳がん」というものだろう。それは良くわかる。でも、原因はそれだけではない、と自分なりに受け入れた感じだった。
そして、何となくだけれど、「その時」が来たら、医者よりも誰よりも先に、自分が一番最初にわかるだろう、と思った。
本を読んだ後、感動して人にも薦めておいて、いざ具体的な内容は、となるとはっきりと思い出せない事は多々ある。
人は病気や事故では死なない。人は寿命で死ぬ。
次に自分が死にそうになった時、すんなりとこんな話しを消化できるのかどうかはわからないけれど、この短い言葉は忘れられない。
もしも気分を害された方がいらっしゃったら、本当にごめんなさい。
でも、ここまで読んでいただいてありがとう。