別世界への扉を開く | Eden

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時に理不尽でも尊いもの、それが人生。
人生の素晴らしさを伝えたい。

『僕の周りにはそういう人多いよ。』

 

 

『現代はこういう世界観で生きようと心に決めれば一瞬でそうなる。』

 

 

『この世界は思った以上にずっと優しい。』

 

 

 

 

先日、知り合いの経営者の方と対話していた時に言われた言葉。

 

 

 

 

対話を終えて帰り道を歩いていた時から今日まで、

 

 

ずっとその言葉について思いを巡らせていた。

 

 

 

 

真偽の検証が済むまでは、

 

 

その言葉や場面が頭から離れそうにない。

 

 

 

 

そもそもなぜ上記のような話題が出たのか?

 

 

 

 

それは凄く綺麗で、女性らしくて、お洒落で、優しい雰囲気を持っている、

 

 

僕にとって理想的なお姉ちゃんのように見える人の

 

 

情報発信を本当に久しぶりに見ることになり、

 

 

その結果最大級の衝撃を受けたことが発端。

 

 

 

 

僕は人に対して純粋に親睦を深めたいというような

 

 

心情を自然と抱くことは滅多にない。

 

 

 

 

そうだな・・・。

 

 

恐らくその回数は5回未満だろう。

 

 

 

 

心の奥底ではほぼ全ての人に対して無関心な態度を取ってきたが、

 

 

彼女は僕が好意を持つことができた数少ない人物の一人だ。

 

 

 

 

初めて会った時から彼女に対しては素敵な印象を受けていたし、

 

 

彼女と交わした言葉は今でも覚えているものがある。

 

 

 

 

だから、彼女は自分にとって心に残る特殊な存在。

 

 

 

 

しかし、『私じゃなくて、別の人(もっと相応しい人)に相談してね。』と

 

 

3年半くらい前に言われた影響と、最後の夢(講演)が終わった後に

 

 

これまでの人格や感覚が消滅した影響からだろうか?

 

 

 

 

自分の記憶の中から彼女の存在は抜け落ちた。

 

 

 

 

まあ、正確に言うと、講演が終わってからは

 

 

彼女だけでなく、それまで出会ってきた大多数の人達の

 

 

存在感が急速に薄れていったのだが・・・。

(特に最初の1年は意識がぼんやりしていたし・・・。)

 

 

 

 

そんな中、あることがきっかけとなって、

 

 

彼女の存在をはっきりと思い出し、

 

 

久しぶりに彼女のメディアと真面目に関わることになる。

 

 

 

 

そして、思ったこと。

 

 

 

 

『この3年半で一体何が起こったの!?』

 

 

 

 

誰かのメディアを見て、視線が釘付けになったのはいつ以来だろう?

 

 

 

 

『もうこの人はセラピストじゃなくて、魔女あるいは神様じゃないか?』

 

『ディズニーランド以外にも魔法の国があったとは・・・。』

 

 

『ぶっ飛んでるな~・・・。』

 

『まさに神がかり的な生き様としか言えない。』

 

 

『完全に別次元の存在になっている。』


『これほどの架空的な世界が実在しているとはな・・・。』

 

 

 

 

僕はただただ仰天するばかりだった。

 

 

 


これまで見てきた中で、この人ほど現代の人類にとっての

 

 

理想的な世界と人生観を体現し、それを分かち合えている人は

 

 

他にいないかもしれないと感じるほどの最高レベルの衝撃。

 

 

 

 

きっと素直に心を開けるのであれば、

 

 

彼女の世界観は誰もが夢見る本当に輝かしいものだ。

 

 

 

 

「事業をしているしていないに拘わらず、お金はいくらでも自由に湧いてくる」

 

 

「誰もが何の障害もなく、すぐに上手くいって良い」

 

 

「自分で在るだけで制限なく愛と豊かさと人との繋がりが循環し続ける」

 

 

「ただいるだけで良い。何もしなくても愛される、与えられる」

 

 

「集客なんて概念はない。用意されている人の縁を無限に受け取り続けるだけ」

 

 

 

 

これらが彼女の世界観の一例。

 

 

 

 

だけど、この世界観はあまりにも眩しすぎる。

(眩しすぎるが故に僕も少し近寄り難いと思った。)

 

 

 

 

加えて破天荒且つ常人離れした実態。

 

 

 

 

多くの人は特別な人、怪しい、変な宗教、必ず裏があると感じて、

 

 

とても信じられない、違う世界の出来事だという気持ちになり、

 

 

心を閉ざしてしまうというのが実情だろう。

 

 

 

 

もちろん、何を信じるのかは任意だから、

 

 

人がどう判断するのかは自由。

 

 

 

 

別に信じる方が正しくて、優れていて、価値があり、

 

 

信じない方が間違いで、劣っていて、価値がないというわけじゃない。

 

 

 

 

興味を持っても、探究しても、追求しても、

 

 

否定しても、無視しても構わない。

 

 

 

 

ただ、僕にとって彼女は特殊な存在だし、

 

 

それに久しぶりに自分の目に映っている現実の

 

 

外側にある別世界に惹き付けられた。

 

 

 

 

彼女の世界観は面白い。

 

 

正直初めて見るタイプだ。

 

 

 

 

だから、僕は彼女の世界観に関する衝撃を

 

 

知り合いの経営者の方にたくさん話した。

 

 

 

 

そして、冒頭の内容を即答された。

 

 

 

 

『僕の周りにはそういう人多いよ。』

 

 

『現代はこういう世界観で生きようと心に決めれば一瞬でそうなる。』

 

 

『この世界は思った以上にずっと優しい。』

 

 

 

 

『この人も同種か!』と感じると同時に、

 

 

物凄く意味深なことを言われたような気がする。

 

 

 

 

今までは自分の目に映る現実というのは、

 

 

自分の能力や素質、賢さ、戦略、努力、価値観、考え方、

 

 

知恵、過去の人生経験などに基づいた自らの行動によって

 

 

作り上げられるものだと思っていたけれど・・・。

 

 

 

 

「こういう世界観で生きようと心に決めれば一瞬でそうなる。」

 

 

という言葉が真実なら、この世界に存在する無数の現実の中から、

 

 

どの世界観の中に入ろうとするのかという決意が

 

 

最も人生状態に影響を及ぼしている可能性がある。

 

 

 


つまり、自分の力で創造していくことよりも、

 

 

どの世界への扉を開けて入り込むのかという意志の方が

 

 

自身の現実に優先的に反映されるということか。

 

 

 

 

だとしたら、これまでの自分の言動の中にかなり多くの

 

 

遠回りやエネルギーの無駄遣いがあったかもしれない。

 

 

 

 

自分の力でどうにかすることより、自身が過ごしたい世界観の

 

 

歯車になって、その世界観に深く入り込むことに力を注ぐ方が

 

 

スムーズ且つ楽に自分の目に映る現実を作り変えることができる。

 

 

 

 

そうなると過去の人生経験によって生じた痛みや恐れなどの

 

 

不愉快なイメージに振り回されるのが、

 

 

とてつもなく勿体無いし、馬鹿馬鹿しくなってくるな。

 

 

 

 

過去の人生経験によって生じたマイナスのイメージに

 

 

踊らされるということは、そのマイナスのイメージが起きる

 

 

世界観への扉を開けて、その世界の中で生きることを

 

 

自ら望んで選択しているのと同じこと。

 

 

 

 

それは自分で自分を虐待する自傷行為や

 

 

自殺行為と本質的には変わらない。

 

 

 

 

もうそんな残酷な世界で生きなくても良い。

 

 

 

 

終わりにしてあげよう。

 

 

許してあげよう。

 

 

 

 

茶番劇はここまでだ。

 

 

 

 

今、この時から。

 

 

 

 

すぐに優しくて輝いている世界に移れる。

 

 

そして、永続的にそこに居続けることも可能だ。

 

 

 

 

もう自身の本来の望みを引き出して、

 

 

それに思う存分従って生きて良い。

 

 

 

 

一般的な宿命的世界設定(資本主義、社会通念、時代の風潮など)から見て、

 

 

明らかに払拭されるべき人間として生まれて来たとしても、

 

 

欠陥要素がたくさんある不完全すぎる人間になっていたとしても、

 

 

どれだけ愚かな人生を歩んできたとしても。

 

 

 

 

もし現時点でできる力がないとしても、

 

 

仮に苦手意識を植え付けられているとしても、

 

 

たとえ大きな傷やハンデを背負っているとしても。

 

 

 

 

そんなことは関係ない。

 

 

 

 

自身が現実世界で経験するべき日常がある

 

 

世界観にただ順応していけば良い。

 

 

 

 

必要なのはたった一つ。

 

 

 

 

恵まれた宿命でも、能力でも、才能でも、潜在的可能性でも、

 

 

知識でも、賢さでも、戦略でも、努力でもない。

 

 

 

 

順応性だ。

 

 

 

 

随分シンプルな構造だな。

 

 

 

 

だが、実際は慣れの領域から完全に離れることへの恐怖やプレッシャー、

 

 

莫大な疲労などによる気持ち悪さのせいで、人は今いる世界に

 

 

留まることを選択するケースが圧倒的に多いはずだ。

 

 

 

 

シンプルと言えばシンプルだけど、

 

 

実はなかなか大変な課題でもあるのだろう。

 

 

 

 

もはや選ぶべき選択肢は一つだな。

 

 

 

 

この仮説を検証するためにも、彼女に会いに行く。

 

 

 

 

そして、彼女の世界観への扉を開けて、

 

 

思い切り溶け込もう。

 

 

 

 

あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。

http://ameblo.jp/refrain-against/

https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/

https://darkness-of-the-mind.themedia.jp
 

 

 

 

興味があれば、覗いてみて下さい。

 

 

 

 

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