再会と新たな喜びと-2 | Eden

Eden

時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

この人生視点、世界観と繋がれたことが今回の最高のギフト。

 

 

 

 

喜びだけの世界。

 

 

光溢れる世界。

 

 

 

 

それはこの世の中に実在している。

 

 

 

 

無限の豊かさ、愛、優しさ、充足感、望む現実、

 

 

日々の自由意志、心からやりたいこと。

 

 

 

 

お互いがお互いにとっての自身の生きていたい気持ちや

 

 

生きることの躍動感に繋がるような本当に大切な人(達)、

 

 

最も大事な(愛する)人、最も大事にしてくれる(愛してくれる)人。

 

 

 

 

自分という存在として生まれて来て、自分という存在で

 

 

今までの人生の軌跡(歴史)を歩めたことに対する満たされた感覚。

 

 

 

 

そういった人々が輝きと呼ぶ現象のみが在る世界。

 

 

 

 

そんな世界の中に居続けても良いんだ。

(もちろん、いなくても良い。)

 

 

 

 

だが、ほとんどの人が子供時代や若い時に

 

 

大人達から聴いたことがあると思われる、

 

 

「人生には楽しいことや喜びもあれば、苦しみや悲しみもある。」

 

 

というような人生哲学を今も信じているだろう。

 

 

 

 

きっと疑ったことなんて一度もない人が大多数のはずだ。

 

 

 

 

それはそうだよな。

 

 

 

 

この世に誕生してから命が尽きるまで輝きの事象だけを

 

 

経験してきたという事例を見聞きすることは不可能だろうし。

 

 

 

 

家族、両親、容姿、資質、性格、育ちの環境、法律、

 

 

社会システム、資本主義、事故、天災、先天性の病気。

 

 

 

 

そのような自我を無視して勝手に設定される(自分で自由に選択できない)

 


不本意な宿命設定を多かれ少なかれ背負って生きているのが生物。

 

 

 

 

何も知らない、分からない、能力もない、経験もない

 

 

子供時代や若い時は必ずその不本意な宿命設定による

 

 

理想と現実とのギャップに翻弄された経験があるだろう。

(大人になってからも体験している人は多いと思うけど。)

 

 

 

 

それが原因で泣いて、悲しんで、怒って、苦しんで、恨んで、諦めて、

 

 

傷ついて、失望して、絶望して、生への意欲を奪われたことは、

 

 

誰でも過去のどこかで必ず味わっているはず。

 

 

 

 

学校に行きたくないけど、法律のせいで学校に通わなければいけない。

 

 

働きたくないけど、生きるために労働することが義務になっているから働く。

 

 

女性は家事や育児を中心に過ごさなくてはいけない。

 

 

男性は仕事や配偶者と子供を養うことを中心に過ごさなくてはいけない。

 

 

 

 

他にも色々な例があるけど、そうした宿命設定から勝手に生み出された

 

 

不本意な人生観・社会通念の押し付けの中で生きているという状況は、

 

 

世の中を非常に生き辛くしているのは間違いない。

 

 

 

 

それでは生まれてから死ぬまで輝きの展開が

 

 

続いたという人は存在しないだろう。

 

 

 

 

だから、現実世界を喜びだけの場所という世界設定で生きれるとか、

 

 

喜びだけの場所という世界設定で生きてみようというような

 

 

発想や意志がそもそも人々の意識の中に生まれない。

 

 

 

 

さらに厄介なのは、人は今の自分の目に映っている現実世界の様子が

 

 

人生そのものなんだという固定観念を抱く傾向があること。

(行動範囲が制限されやすい10代や高校生ぐらいまでは特に。)

 

 

 

 

そうなると、その閉ざされた世界の中で生き続けることになるから、

 

 

一人の目から見える現実世界は無数に存在する人生の種類の中の

 

 

たった一つでしかないという事実にはなかなか辿り着けないだろう。

 

 

 


世の中には数え切れない程の世界の種類があるが、

 

 

そんな意識状態で輝きだけが存在する

 

 

世界のことなど知れる(信じられる)わけがない。

 

 

 

 

無数に存在する現実の中から、どの世界観への扉を開けて、

 

 

浸っていくのかという意志表示が自身の現実に一番優先的に反映されるため、

 

 

日常の意識の段階で未来や結果の行方は大体決定される。

 

 

 

 

この視点を応用すると、現実世界の現象はかなり細かいところまで

 

 

人々の意識の選択に呼応する形で生じていることに気付く。

 

 

 

 

これは国の状況や社会システム、人類の歴史のような

 

 

スケールの大きい事象もそうだ。

 

 

 

 

例えば、以前人は本来の自分を表す特定の思想を思い出して、

 


それを実体験したくて現実世界に生まれて来ている。

 

 

 

 

だから、税金、生活費、値段、報酬、収入、年収、年金、

 

 

売上、利益、ビジネス、固定費といったお金絡みの言葉が

 

 

死語になっている世界が早く誕生すると良い。

 

 

 


そして、お金を回して国民の生活を成立させるシステムではなく、

 

 

何らかの形で人が自身の魂の自然衝動をそのまま生きる上での

 

 

支えを全員が自由に制限なく受け取れる世界になったら

 

 

みたいな内容を書いた記憶がある。

 

 

 

 

なぜそうならないのかと言うと、結構単純な話で、

 

 

政治家の方々やビジネスマン、社会人の方々を含めた様々な人達が

 

 

お金を使って生活を成立させることを前提にした世界を選んでるからと言える。

(実際、お金や儲けに関する活動は現代でも非常に盛んだ。)

 

 

 

 

現代人にはお金絡みの言葉が死語になって、魂の自然衝動をそのまま

 

 

生きる上での支えを全員が自由に制限なく受け取れる世界の方へ

 

 

移っていこうという発想や意識はまだまだ生まれていない。

 

 

 

 

ちなみに、現在子供時代や10代、20代を過ごしている

 

 

平成生まれの人達は今の30代以上の人達とは

 

 

かなり違う設定と感性を与えられて誕生していることが多いため、

 

 

そういった輝きのみの意識が覚醒しやすいと思われる。

 

 

 

 

それ故に自分よりも大人である人生の先輩達の思想を理解できず、

 

 

非常に生き辛さを感じやすいのも平成生まれの子達の特徴。

(先輩達の思想の枠の中で生きることに息苦しさを覚える傾向がある。)

 

 

 

 

他の具体例を挙げると、この現実にはお金は空気と同様に

 

 

無限に循環し続けるもので、この世界に溢れている愛という

 

 

位置づけになっている世界もあるけど・・・。

 

 

 

 

僕達の大多数はお金の量は限りがあって、

 

 

その限られた範囲を常に遣り繰りして、

 

 

限界を気にしながら生きてきた。

 

 

 

 

だから、お金は空気のような存在という視点や世界観のことを

 

 

知ることも、そういう意識を抱くに至ることも至難の業。

 

 

 

 

つまり、ほぼ全ての人に、お金=有限という世界を

 

 

選択して生き続けていくような意識があるから、

 

 

お金は無限に循環し続けるという世界がスタンダードになっていない。

 

 

 

 

なお、自身でビジネスを行って莫大な富を築いている人や、

 

 

一般の従業員の方達よりも大きな豊かさを得ている人は、

 

 

一見お金は無限に循環し続ける世界の中で生きているように見えるが・・・。

 

 

 

 

実際は今後の事業の存続と展開への不安や集客し続けられるかどうか、

 

 

売上の不安定や低迷などの影響から、稼ぐ金額が多いだけで、

 

 

お金=有限という世界の中で生きている人は多い。

 

 

 

 

前述した喜びと光のみの世界についても同様。

 

 

 

 

輝きの時間だけを経験できる世界で生きても良いといった意識を

 

 

人はなかなか持てないようになっているから、当然自動的に人生には

 

 

幸せもあれば不幸もあるみたいな意識が現実世界に充満する。

 

 

 

 

それは無意識に不幸も起きるのは仕方がない世界を

 

 

選択して生きているようなものなので、

 

 

喜びだけの世界は人々にほとんど浸透していない。

 

 

 

 

こういう事実を考慮すると、自分の目に映る現実の世界設定は、

 

 

心掛け次第ではかなり自由に決めることが可能だということが見えて来るな。

 

 

 

 

想像してみる。

 

 

 

 

もし。

 

 

 

 

喜びだけの世界やお金が無限に循環し続ける世界のような

 

 

光溢れる意識が人々の心の中から目覚めていくとしたら。

 

 

 

 

どうなるだろう?

 

 

 

 

お姉ちゃんの生き様から滲み出ている優しい

 

 

雰囲気や世界観が世の中に浸透していくとしたら。

 

 

 

 

どうなるだろう?

 

 

 

 

その先に待っている光景の中では、

 

 

きっと心は毎日嬉し涙を流すに違いない。

 

 

 

 

現実世界に居続けたい気持ちが自然と湧き上がり続けるだろう。

 

 

 

 

悪くないかもな。

 

 

 

 

自分を含めた人の光溢れる意識が覚醒するようなことをやるというのも。

 

 

 

 

現実世界で絶対に体験したいことは全てやり終えて、

 

 

生き続けたい理由が特にない今は、

 

 

それくらいのクライマックスが丁度良い。

 

 

 

 

空気のように無限に循環し続ける豊かさ。

 

 

日々の自由意志。

 

 

 

 

輝きの展開のみが起き続ける世界。

 

 

本当に望む人生を時間をかけずに一瞬で受け取れる世界。

 

 

 

 

相手を自然と大切に愛おしく思える心情が互いに湧き上がって来る、

 

 

自身の生きていたい気持ちに繋がるような本当に大切な人(達)との優しい時間。

 

 

 

 

自分という存在として誕生して、今までの人生の軌跡を

 

 

歩めたことに対する満たされた感覚の積み重ね。

 

 

 

 

そんな喜びだけがある世界で生きても良いんだ。

 

 

 

 

自身の日常の意識を見直して、不要なものを手放すか。

 

 

喜びだけの世界に行く時に最も障害になるものを清算しよう。

 

 

 

 

そして、この光溢れるという感覚をもっと研ぎ澄ます。

 

 

 

 

あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。

http://ameblo.jp/refrain-against/

https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/

https://darkness-of-the-mind.themedia.jp
 

 

 

 

興味があれば、覗いてみて下さい。

 

 

 

 

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