マドリードに着いた日、空港からアトーチャー駅まで移動して、そこからスーツケースを転がしてソフィア王妃芸術センターMuseo Nacional Centro de Arte Reina Sofíaに行きました。
アパートのチェックインまで時間があったのと、アトーチャー駅から近かったので。
クロークというか、無料のコインロッカーでスーツケースを預けられました。
美術館の入り口は2箇所、それぞれにコインロッカーはありますが、大きなスーツケースの入るロッカーは全体で3個くらいしかなかったのでオンシーズンは難しいのかもしれません。
ここには滞在中2回来ました。
多くの人のお目当はゲルニカだと思いますが、他にも見所盛りだくさん。
ピカソ、ダリ、ミロといったスペイン人による近代絵画のコレクションがたくさん見られました。
プラドが古典から近代までとすると、ソフィア芸術センターは近代から現代美術までをカバーしています。
個人的には、ゲルニカと企画展示がとても印象に残っています。
ゲルニカを発表した1937年パリ万博の様子や、制作風景を記録した写真が作品の対面の壁に展示されています。制作風景の写真はゲルニカの完成までを連続写真のように展示されているので、制作過程でピカソが何を強調しようとしたのかといったことを感じることができます。
ゲルニカについては多くの本やサイトで解説されていますが、復習を兼ねて簡単にだけ。
スペイン北部バスク地方の街ゲルニカが空爆されたのは1937年4月26日。これはスペインの社会主義政府であった保守派に対するフランコ軍のクーデターとされています。前年より始まったスペイン内戦に対して、社会主義政府をソビエトが支援し、対する反乱軍のフランコ軍のことをイタリアとドイツが支援、軍事力などを提供しました。
実際にゲルニカを壊滅させたのはフランコ軍を支援していたドイツ軍による空軍演習を目的にした爆撃でした。
かつて戦争は軍隊同士が戦い合うものでした。
ゲルニカ爆撃は、バスク地方最古の街で近隣の農村から農民がゲルニカに集まって定期市が開かれる月曜日、その無防備な街に爆弾が落とされたのです。
このニュースは世界に報道されました。これを知ったピカソは共和国政府から制作依頼されていたパリ万国博覧会のための壁画のテーマを「ゲルニカ」に変更します。「スペイン軍部への嫌悪の意味を込めた『ゲルニカ』を製作中である」とする声明を発表、5月11日には壁画制作を開始して6月4日に壁画は完成しました。
5月25日からパリで開催されていた万博のスペイン館にゲルニカを展示し、世界がこの壁画を通してゲルニカ爆撃の悲惨さを心に感じ止めることとなりました。
このピカソの反応の速さと、偶然にも用意されていたパリ万博という展示場所が奇跡的だなと思えるのです。スペイン国内で発表したのでは作品自体が残っていなかったかもしれないし、世界に報道されることすらなかったかもしれない。
今回、スペインの美術館を回って思ったことの一つが、名作が生まれる時には奇跡的なタイミングや何かがあるような気がする、ということを思いました。プラドにあるベラスケスのラスメニーナスにも、ゴヤのブラックペインティングにも。
ソフィア芸術センターでの写真撮影は、ゲルニカなど部分的に禁止なのでネット上の画像を貼っておきます。
ゲルニカが展示されているスペースの近くにはパリ万博スペイン館の模型や、当時の報道資料の展示もあり、その背景をじっくり見ることができます。
余談ですが、この10年後に南仏ヴァロリスにある国立ピカソ美術館の「戦争と平和 La Guerre et La Paix 」が描かれました。
国立ピカソ美術館と戦争と平和 / KARAKARA-FACTORY
http://karakara.pepper.jp/blog/2013/04/post_742.html
館内はゲルニカ周辺以外だったら写真撮影できたのですが、なぜかあまり写真を撮っていませんでした。笑
中庭はのんびりできていい感じ。
ほんとは すごいいっぱい絵画があったんだけど.....なぜがマンレイしか撮ってない。笑
常設で「アンダルシアの犬」が上映されてました。
企画展がまた面白かったのですが、
その中でもウィリアム ケントリッジWilliam KentridgeのEnough and more than enough展が良かったです。
南アフリカのヨハネスブルグ出身の現代美術家で、力強い線による手描きアニメーションが多かったです。映像作品の上映が多かったですが、ほぼ全部見ました。
日本には京都と広島で展覧会があったみたいですね。
東京にも来ないかな。
YOUTUBEにも動画があったので貼っておこう。
いい刺激になった美術館でした。