Symptom 20171015(№94)(お萩)

(写真:萩沢写真館)

 

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まだ「男子は技術・女子は家庭科」と授業が分かれていた頃の話だ。男子は隣のクラスの男子と一緒に「技術」の授業を受け、女子は女子でやっぱり隣のクラスの女子と合同で「家庭科」の授業を受けていた。「技術」の時間になると俺たち偶数クラスの生徒は奇数クラスに移動し、その部屋の空いている座席に座って授業を受けたものだった。

ある日、ロータリーエンジンの<吸気圧縮膨張排気>の様子を教師ががなっているのを聞くともなしに(今ではロータリーエンジン自体が過去の遺物になってしまったが)ぼんやり机の上に置いた教科書を眺めていると、ふと、机に鉛筆で縦書きで「こんにちは」と書いてあるのを見つけた。授業に飽きていた俺は何の気なしに隣に「こんにちは」と書いた。

数日後、再び「技術」の授業があり、また男女別々にいつもと違うクラスに集まった(技術の授業で、一般教室で座学の授業があることはそれほど多くはなかったはずだが、なぜかその時期は連続して教室で授業があった。俺はベビーブームの子だったので、生徒数が多すぎて特別教室の数が足りず、一般の教室を使ったこともあったのだろうなと今では思う)。

机の落書きのことはすっかり忘れていた。

 

しかしやはり授業に飽きて、またぼんやり教科書に目を落とすと机には2つの「こんにちは」の落書き(ひとつは俺が書いたものだ)。そういえば、と思ってよく見るとそこには続きがあった。俺の書いた「こんにちは」に向かって矢印が伸び、「あなたはだれですか?」とそこには書いてあった。俺は当時心酔していた特撮
ヒーローの顔の絵を描き、「私だ!」とセリフを付け足した。

「(絵、)うまいね」「ありがとう」「数学難しいー」「暑いなー」

それから時々、机の上の落書きは増えたり減ったりしていたが、しかし授業が実習の段階になると(エンジンの断面図を木枠で作るという、当時はいったい何を、何のために作っているのか全く理解できない内容だった)、大概の授業は技術室で授業が行われるようになり、その「文通」は終わってしまった。そしてそんなことがあったことを俺はすっかり忘れてしまった。

そう言えば、と思って一度、隣のクラスの教卓の上にあった座席表で自分が座っているのが誰の席なのか見てみたことがあった。それは「ATGCさん」の席だった。