初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしてある以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 海外で外国人から日本の天皇陛下について質問されることはままある。その度に、筆者は自分のもちうる限りの知識を駆使して彼らに説明をしている。皇室、天皇陛下の御存在がどれほど日本にとって大切なものであるか。皇室、天皇陛下の御存在がいかに日本の文化、伝統そのものの御存在であるか。恐れ多くも、もし、天皇陛下及び皇室が日本から存在しなくなったとしたら、それはもはや日本という国ではなく、「かつて日本とよばれていた国」でしかないという話もすると、大抵の場合外国人は実に興味深く目を輝かせて話に聞き入る。というのも、外国人が海外で出会うどの日本人もみな、そこまで日本の歴史について知らないし、また皇室、天皇陛下の御存在についても知らないからである。別に筆者が特別だと思わないが、大多数の日本人があまりにも自国の歴史について知らな過ぎるので、外国人は初めて日本人と日本について知ることができたということで感動するわけである。皇室、天皇陛下の御存在の意味と歴史を知らずして日本を語ることなど、別に悪意なくいうが、実質的に不可能なのである。

 

 一応念のために補足しておくが、「大切」であるとか「重要」であるとかいうのは主観的判断になるので、これはあくまでも、客観的な歴史事実から筆者が導きだした主幹的な判断である。筆者は主観的な判断として、日本は皇室と天皇陛下の御存在があるからこそ弥栄となると考えている。しかし、日本共産党の諸君、創価学会公明党の諸君、民進党の諸君、社民党の諸君、シバキ隊の諸君などは異なるご意見をお持ちであることは言うまでもない。こういう人たちは、陛下の御存在を疎ましく思っていることはまずもって間違いない。そしてこういう人たちが海外で結構活躍していることは客観的事実である。日本の不名誉となる嘘やデタラメを海外発信する能力は、南朝鮮や支那と同じくらい上手である。

 

 さて、長い前置きから本題に入りたいが、日本は言うまでもなく民主主義を国是とする国家である。時の政権は民主的な選挙によって選ばれ、その任命権は天皇陛下がお持ちである。つまり、権力は民に、権威は天皇陛下にある。民によって選ばれた者が、天皇陛下の権威によってその地位を保証されるのである。

 

 よく巷にあふれている間違った客観的認識をもつ人々は、こういう状況は日本が大東亜戦争に敗れた後始まった、アメリカ様のお陰だというが、とんでもない話で、戦前の大日本帝国憲法でも多少の差異はあってもやはり天皇は権威であり、権力は民にあったことは明らかである。それだけではない。歴史を遡ればおよそ1200年頃の武家政権の誕生、つまり、鎌倉幕府の頃からこうした状況は始まっているのである。それ以前は確かに、天皇陛下が権威と権力を兼ね備えていたが、鎌倉の武家政権誕生以降は常に、権威と権力は別れて日本の歴史は綴られてきたのである。

 

 武家は常に権力を争い戦ってきたが、勝者は最終的に天皇陛下によって認められることでその時々の政権を築いてきたのである。そして武家とは、もちろん、皇室の系統を受け継ぐ方がも多かったが、その殆どが庶民、つまり農民から派生してでてきたものなのである。農民が武器をもったのが武士の始まりなのである。ということは、当時は今と違って選挙ではなく武力をもって民衆が権力者を決めていただけで、その最終勝者が天皇陛下に地位を認められるという構造は現在と全く同じなのである。

 

 つまり、日本においては驚くことに、1200年頃から既に、権威と権力が別れており、民衆が権力を、そして連綿と続く御皇室がその権力を認める権威をお持ちの状態が続いてきたと言うことで、現在では当たり前のこの状況が、世界のどの国よりも早く、先駆けて始まり続いているということができる訳である。無論、客観的な事実としてである。

 

 南北朝の時代では、後醍醐天皇がこれに抗して再び権力も含めて握られようとしたものの、恐れ多くも成功はされなかった。足利尊氏は朝敵の汚名を着ているものの実は後醍醐天皇を尊崇すること厚く、最後まで皇室を尊んでいたことは揺るぎない史実であり、民衆たる武家の総意を受けてやむなく後醍醐天皇に抗していたに過ぎない。故に北朝をたてていたのである。足利尊氏が真に皇室を蔑ろにしていたならば別の歴史があったであろう。

 

 朝敵とはいえ筆者は足利尊氏が大好きで、彼と戦って敗れた楠木正成もまた大好き、尊氏と常に終世行動を伴にした佐々木道誉も考えただけで相好が崩れる程大好きである。話がそれた。

 

 足利尊氏 足利尊氏と佐々木道誉 

 

 これは青山繁晴氏が良く仰っているが、京都の御所にいくとよくわかるのが、御所の垣根は驚く程低い。そしてその周りには大きな堀等は一切ない。すこし棒などを使えば簡単に飛び越えられるようなものである。この状況でありながら、応仁の乱、戦国の乱を含めて数々の戦乱がありながらも、ただの一人も天皇陛下を害し奉ろうとするものは、ついにただの一度もなかったのは、皇室と天皇陛下の御存在が、常に国家と民の為に祈られる御存在であったからに他ならず、日本人は皆それを知っていたからに他ならない。ヨーロッパの王室や皇帝などは堅固な城を築き、高い山に要塞を築いて自らの身を守っていた。これは彼らの存在がとりもなおさず自らの個人的な栄華を築くことにしかなかったからに他ならないのである。

 

 日本の天皇陛下は国家と民衆の安寧を祈られる御存在なのである。この客観的事実を無視して日本の紹介等どうしてできるのであろうか。恐れ多くも初代神武天皇ご即位より2677年、今上陛下に至られるまで連綿と続いてこられた御皇室が、何故日本の権威であり続けるのか、日本人にいま少しこの事実が浸透することを願ってやまない。筆者の主観的願望を交えての話であるが。

 

 政治において、権威と権力の区分けが上手くできいることは近代国家のほぼ必須とも言える要件で、英国は王室と総理大臣、王様の首を切ったままのフランスは大統領と総理大臣、皇帝を外国に追われてしまったドイツでも大統領と総理大臣、カナダはイギリス王室と総理大臣、オランダやスペインやデンマーク等はイギリスのように王室と総理大臣を要する議院内閣制をとっている。つまり、どの国も権威と権力を分けるための制度を作っているのであるが、フランス等はニコラサルコジの時にこれが崩れて大統領自らが権力を振るい、権威と権力を分ける構造が崩れて入るが、一応は民主主義なので、大きな混乱はない。

 

 日本は、驚くことになんと今から800年以上も昔からこのシステムを世界のどの国よりも先んじて取り入れていたという事実を確認されることは大事であろう。欧州の国々も、現在の状況への動きが出始めたのはもっとずっと後のことであるのだから。

 

 読者の方々には何かのご参考になればと思う。

 

 今回もお読み頂き、ありがとうございます。

 


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