初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしてある以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 通常、人が「正しさ」という言葉を使うとき、実は二つの種類の違いをあまり意識していない、あるいはその違いについてしっかりと理解せずに混同して使っているケースが多い。人は正しさを求めるのが好きな割には、結構杜撰なのである。

 

 正しさには次の二つの種類がある。すなわち、

 

1 主観的な正しさ

 

2 客観的な正しさ

 

である。

 

 このブログを読まれている方には耳タコの話であろうが、いまだにこの二つを混同したままで筆者に色々と言ってくる人がいるので敢えて再度確認したい。

 

 1の主観的な正しさについては人の数だけ存在するし、同一人物の中にも状況や相手や気分によって変わる無数の正しさが存在する。なので1の主観的な正しさを主張する場合は、完全に独りよがりであることを理解できていればいいが、それを相手に押し付けようとした時には必ず摩擦が起るし、その摩擦は場合によっては殺し合いにまで発展する。国家間の戦争などはまさに、この1の主観的な正しさを主張し合うことによって生じる典型である。また別の例でいえば、ある人が、美人と思う女性に対しては優しく接し、何かあっても直ぐ許し、不美人だと思う人に対しては同じ内容でも許さないなどは典型である。

 

 もう一方の2の客観的な正しさは、これはユニバーサル(公共的なもの)であり、これは個人の好きや嫌いの好み、あるいは人種や民族や肌の色の違いからくる価値観の違い、あるいは個人の価値観(美しいか醜いか)などの判断には一切、まったく、全然左右されない普遍的な正しさである。分かりやすい例を言うと、どれほど日本を憎み嫌いであろうとも、日本は島国の列島国家であることは一切の価値判断により左右されない。誰であろうと、万人が共有する、否、共有せざるを得ない正しさである。日本列島は大陸国家ではない、完璧に列島国家である。

 

 ここで筆者のこれらの違いを説明する定義を再度紹介したい、それは、

 

 主観は個人に属し、客観は万人に属す

 

ということである。

 

 慰安婦の問題を例に挙げて言うならば、慰安婦の女性が業者に騙されたとか、あるいは親に売られたとか、あるいはそういう貧しい時代の背景からそういう女性たちがいたことなどに主観的に同情したり、それを気の毒におもったりするのは個々人の主観的な自由であり、それらはそれを見て感じる人それぞれに千差万別の正しさがあり、

 

 一方で、その女性たちのおよそ80%が日本人女性やその他の民族であり、朝鮮人慰安婦はおよそ20%以下であり、あくまでも公募による募集であり、また政府や軍や官憲によって、健康衛生管理がなされ、人権に配慮され、悪辣な業者からの搾取から守られていたことなどは、見る人の好き嫌いに絶対に左右されない客観的な事実としての正しさなのである。

 

 日本人の大半が慰安婦問題で嫌悪感を感じているのは、南朝鮮や欧米諸国が、彼らの偏見や好き嫌いの主観的正しさを正当化する為に、事実に関する客観的な正しさを歪曲しているからであり、この一点に集約される。

 

 正しさを主張する人には常にこの質問を、愚直なまでに問い続けようではないか、すなわち、

 

 あなたのいう正しさは主観的な正しさなのか、それとも客観的な正しさなのか、どっちですか??? と

 

 主観的正しさなど、同一人物の中でさえ、相手、場所、状況、気分によっていくらでも変わるものであるから他の人にとっては完璧にどうでも良いのである。ほっとけばいい。筆者いつも外国人と話をするとき、これを強調する。

 

「あなたが日本が好きだろうが嫌いだろうがどうでもいいんだよ。あなたが日本を非難したければすればいいんだ。俺には関係ない。だけどな、客観的な事実を歪曲して日本を侮辱することだけは断じて許さない」と。

 

 雑な脳みそを捨てて、この主観と客観とを分けた視点をもって話をすれば、議論になるまえに話は終わる。

 

 「君のいってることはファクトじゃないよ。きちんと調べてくれ。調べる気がないなら、君とその話をしても仕方ないから、もう終わりね。」これだけの話である。

 

 異性の好み、味の好み、色の好み、ファッションの好み、本の好み、文化の好み、天気の好み、気候の好み、家の好み、部屋の好み、時間の過ごし方の好み。全ての好みは主観であり、個人に属する以上、「そうなんだぁ」で終わる話で、それ以上にもそれ以下にも、なりたくてもなり得ないのである。

 

 人によっては西欧女性をより美しいと感じ、また人によっては日本女性をより美しいと感じる、そこに普遍的な正解など、ありえないのである。

 

 正しさを主張するなという人には、こう聞いたら良い。

 

 あなたのいう正しさは、主観的な方か客観的な方か、どっちですか?

 

 何かのご参考になればと思う。

 

 今回もお読み頂き、ありがとうございます。

 


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