初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしてある以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 欧州の中でもひと際目立つ存在はドイツである。その理由としては、何よりも経済において他の国の追随を許さない強さが挙げられるであろう。欧州連合のトップはまごうことなくドイツといって過言ではない。

 

 真面目で勤勉、几帳面など、比較的日本人と似た性質もあり、信用のできる印象があるし、事実、ビジネスの相手としては信用できる。筆者も個人的に何人かのドイツ人と交流はあるが、信用のできる人は多い。

 

 しかしながら........だからといって彼らのやることが毎回、客観的に観察して論理的に筋が通っていると言える訳ではない。とりわけ、経済政策に関しては、米国人経済学者のクルーグマンも言っているように「宇宙人」かと思わせるようなことを平気で言うし、実際に実行する。イタリアでは他のどの国よりもEU脱退論が強まってきているが、それはとりもなおさず、ドイツ人のEUでの言動が原因と言える。

 

 以前に何度か触れてきたが、欧州連合においては経済統合は進められているが、政治統合はほとんど進められていない。また、金融政策は欧州中央銀行で行われるが、財政政策は各国に委ねられている。その上、赤字国債の発行の上限も厳しく定められており、その上限を超えることは欧州連合メンバーとしては許可なくしては許されない。イタリアでは自然災害からの復興のためにこの赤字国債を大量に発行する必要があるのであるが、ドイツは上限の割合を超える発行を頑として認めない。イタリア人にしてみればこれほど怒りを呼び起こすことはないであろう。震災からの復興はまさしく人道問題である、にもかかわらず、ドイツは杓子定規に規則を押し付けてくるのであるから。

 

 おまけに、ドイツ人は、ほぼ「宗教的」ともいえるほど金融の量的緩和、すなわち貨幣の大量発行を嫌う。宗教的であり感情的であるというのは、その嫌う理由が、嫌だからということに集約されているからである。たんなる感情的な問題で、政策を決定しているのは、グルーグマンを初めとする世界中の経済学者が指摘する客観的事実であることを、読者は是非記していただきたい。

 

 そもそも、市場に流通させる貨幣の量は、その時々の経済状況に合わせて決められるものである。経済を活性化させる為に、あるいは加熱しすぎて破綻しかねない経済を少し冷ます為に、その量を増やしたり減らしたりすることで、緩やかで健全な経済成長を促すのが、経済政策の根本的な目的なのである。金融政策も財政政策もその為に決められる。

 

 しかし、ドイツ人は、これはもう本当の話なので開いた口が塞がらないのであるが、こうした経済理論の基礎の基礎を全て無視して、嫌だから嫌、ということでなにもしないのである。その結果、イタリアでは自然災害からの復興が遅れる可能性出てきている訳である。いかにラテン系の陽気な文化の人々であるとはいえ、これには怒るのは当然であるし、何人でも怒りを覚えるであろう。

 

 しかし、ドイツ人は頑として譲らないのである。もはや経済学ではなく、彼ら独自の新興宗教を基準にして政策を決定していると言われても致し方ないレベルなのである。実は多少歴史的経緯もあり、第一次世界大戦後、ハイパーインフレを経験した結果、金融の量的緩和を病的に嫌うようになったとも言われているが、そんなものはマクロ経済学をきちんと学習すれば原因も解明できるしその弊害を繰り返すことはまずありえない。その時のいわばトラウマを理由に量的緩和を拒否しつづけるのは、その結果被る被害の甚大さと被害を受ける人々の多さを考えれば、笑って許される話ではない。赤字国債を極端に嫌うのもドイツ人特有の緊縮財政好きな「性癖」から来ていることから、全く同じ性質の問題である。

 

 EUはまもなく崩壊するであろうが、その最大の原因は、ドイツにあることは、客観的な事実として今後いよいよ明らかになってくることは言うまでもない。

 

 今回もお読み頂き、ありがとうございます。

 


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