初めての方は、このブログを通して貫く基本概念である主観と客観との違いについての説明をしている以下の記事をご覧ください。

 

 主観と客観

 客観についての補足

 外国人には思い遣りがガチでないという事実

 優しさ(主観的)と思いやり(客観的)

 二種類の「正しさ」

 日本の常識は世界の非常識、日本の非常識は世界の常識

 

 北朝鮮からミサイルが飛んでくるかもしれない話は数年前からちらほらあったが、ここにきて、現実味を帯びてきている。無論、飛んできた場合は、いくつか被弾する可能性があり、そうなったら犠牲者は避けられない。

 

 そんな中で、日本のマスコミと野党にかき乱された国会は、森友学園の問題に極度に集中してきた。丁寧に丁寧に森友学園の元理事長の奥さんのことを解説していた。正直、自分たちの身が危うくなった途端に、手のひらを返したように、それまで持ち上げ続けてきた安倍総理と総理夫人をボロクソに貶し、総理がブタ箱にはいればいいと卒園式で園児と保護者を前に叫ぶような品性のかけらもない人に、あれほどの時間をかけていたマスメディアは、自分たちの姿を見る能力が客観的に見て欠落している。

 

 筆者は、別に外国信仰はない。外国の方が日本よりも優れているなどとは微塵も考えてない。考えていないどころか、このブログを通して何度も繰り返しているように、思い遣りという日本独自の精神文化を引き合いに出して、日本文化の独自性が社会の安定を生み出していることも客観的に紹介してきた。そしてその安定度合いは、世界でも類を見ないものである。

 

 しかしながら、同時に、島国であるという地理的な理由もあり、またあまりにも、思い遣り精神文化などの特徴から、他の諸外国と大きく異なる精神性をもつために、諸外国を理解する部分において、非常に鈍感になっているのもまた事実である。そうでもなければ、これほど緊迫した国際情勢、しかも自国に大きく関わる北朝鮮のミサイル、核兵器の問題が熱を帯びる中で、森友学園の理事長とその夫人にあれほどのエネルギーを注ぐことは、ありえない話である。

 

 ただ、外国に行っても、日本とその他の外国文化の核心的な違いが何かを認識せずに行く場合は、本質的な理解にはなかなかたどり着かないが、それでも、行かないよりは少しはマシかもしれない。そういう意味で、日本人は、危険は伴うものの、少しでも外国に行って日本と諸外国との違いを体感した方がいいかもしれない。

 

 日本がもともと完全に孤立していて、国際社会から完全に切り離されているのであれば全然外国に行って違いを体感する必要はないのであろうが、実際、隣の国から核兵器が飛んでくるかもしれない状況に立たされることを、否が応でも強いられるようであれば、やはり、諸外国を客観的に理解し、日本とその他の諸外国との核心的な違いについて客観的に分析することは、安全に生きるためには必要であろうというのが、筆者の主観的意見である。

 

 もしきちんと世界の中の日本を認識していれば、こうした状況で必死になって森友学園問題について集中することなど、まずもってありえないのである。

 

 今回もお読みいただき、ありがとうございます。

 


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