時には、旅の日常

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城南宮 弥生の観梅-01~城南宮への道程

2018-03-05 23:22:07 | 京都
 三月に入って、急激に気温が上昇し、いよいよ本格的に春の到来を実感させる陽気に誘われて、京都の南にある城南宮へ、梅の花を観に行きました。

 折しも、城南宮では境内の神苑にて、「しだれ梅と椿まつり」を、2月の半ば過ぎから3月の下旬頃まで開催中。
 ちょうど見頃を迎えつつあった、150本ものしだれ梅と300本もの椿の花々の、美しく華やかな饗宴を楽しみました。

 平安遷都に合わせてこの地に建立された城南宮、最寄り駅からのアクセスルートも、古都ならではの所縁のある史跡が点在していました。

 <城南宮>


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 朝から気持ちの良い陽気の、好天に恵まれた3月初めの日曜日。
 京都市営地下鉄烏丸線の終点で、近鉄京都線との乗換駅である、竹田駅に降り立ちました。

 城南宮への最寄り駅となる、竹田駅。
 駅から城南宮までは、徒歩でも直行すれば、15分~20分程で到着することができます。

 これより、城南宮目指して、散策スタート!



 歩き始めても、寒過ぎず暑過ぎず…散策日和であった早春の朝。
 竹田駅から5分程西へ進むと、こんもりとした木立が、見えてきました。

 この辺りに点在する天皇陵の1つである、近衛天皇陵です。



 近衛天皇陵は、正式には「近衛天皇安楽寿院南陵(このえてんのうあんらくじゅいんのみなみのみささぎ)」と称し、その名のとおり、安楽寿院というお寺の南に位置しています。
 遺骨を収めた、二層の塔である多宝塔が目を引く御陵です。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 多宝塔を持つ御陵は、今日、この近衛天皇陵のみということで、非常に珍しいとのこと。
 この多宝塔は、元々、保元二年(1157年)頃に建てられた三重塔が、慶長元年(1596年)の伏見大地震で倒壊した後、慶長十一年(1606年)に豊臣秀頼の命により建立されて、今日に至っています。




 近衛天皇陵のすぐ北にある、安楽寿院
 かつてこの地にあった、広大な鳥羽離宮の東の御所である東殿に、鳥羽上皇が保延三年(1137年)に創建した仏堂を起源とする、真言宗智山派の寺院です。

 幕末の鳥羽・伏見の戦いの際には、官軍である薩摩軍の本営となりました。



 平安時代、平安京の南に位置するこの辺りで鴨川と桂川が合流し、大きな池がありました。
 その池の畔に造営されたのが、鳥羽離宮でした。

 平安京から南へ3km程の場所であり、朱雀大路から真直ぐな道が、鳥羽離宮へと延びていました。
 この絵の左にある道が、その朱雀大路から延びてきた道で、その道の延びていく北の彼方が、平安京です。

 絵の右側に付けた3つの矢印で示した3つの塔が、右から近衛天皇陵、鳥羽天皇陵、白河天皇陵であると思います。




 この鳥羽離宮は、白河上皇、鳥羽上皇が院政を敷いた地であることから、「白河法皇 鳥羽法皇 院政之地」の碑が建てられています。

 この界隈も、かつては鳥羽離宮の中心部として、栄華を極めた場所であったのでしょうね。
 今日となっては、想像すらできない程の変貌ぶりです;

 かつての繁栄を偲ぶようにひっそりと建つ碑の背後には、1本の白梅が満開の頃を迎えて、純白の花を無数に咲かせていました。



 歩を進めて、安楽寿院のちょうど西隣にある、鳥羽天皇陵へ。
 こちらの御陵にも、かつては三重塔が建っていましたが、永仁四年(1296年)に焼失し、幕末に宝形造の御堂が建てられました。

 鳥羽天皇陵は、正式には「鳥羽天皇安樂壽院陵(とばてんのうあんらくじゅいんのみささぎ)」といいます。



 阪神高速道路京都戦の高架が建つ油小路通(あぶらのこうじどおり/この辺りでは、「小路(こうじ)」とは名ばかりの幹線道です)を西へ横断した所にある、白河天皇陵。
 訪れる人もなく、ひっそりとした佇まいでした。

 かつて建っていた三重塔は、建長元年(1249年)にやはり焼失してしまいました。
 現在では、鳥居が正面に建てられています。

 白河天皇陵の正式名称は、「白河天皇成菩提(しらかわてんのうじょうぼだいいんのみささぎ)」といいます。



 ようやく、城南宮の東鳥居が見えてきました。

 鳥居へと誘う道の両側は、住宅や工場等が混在している、京都の南の郊外。
 名神高速道路の京都南インターチェンジも、城南宮の西すぐの場所にある、交通の要衝でもあります。



 竹田駅から約1.6km位の道程を30分強掛けて歩き、城南宮の東鳥居へと、遂に至りました!

 途中、寄り道しないで直行すれば15分程度の所要時間のところ、3つの御陵に立ち寄ったりして、倍の時間を要することに…。
 普段、天皇陵を訪ねる機会はほとんど皆無であるので、ここまでの道中、スッキリとした態に整えられた、シンプルで清々しい様式美を堪能しました。



 東鳥居をくぐり、城南宮の境内へ。
 本殿へと至る参道沿いには、小さな摂社が建っています。

 そうした摂社の1つである、芹川天満宮(唐渡(からわたり)天満宮)。
 菅原道真をお祀りする天満宮だけに?、多くの梅の木を周囲に配しています。

 鳥居を挟んで、向かって右側が白梅、左側が紅梅でした。
 紅梅よりも白梅の方が少し早く、見頃を迎えつつあります。



 本当に、天神さんには、梅がピッタリですね!
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 白梅の咲く様は、正に清楚そのもののイメージ。
 バックとなった社殿との、コントラストの妙が素敵です。



 紅梅の方は、ようやく蕾から開花し始めた頃合いでした。
 はち切れんばかりに、丸々としたつぼみの連なっている様子も、趣き深いものですね。

 この芹川天満宮を過ぎると、間もなく城南宮の本殿です。



 …ということで、芹川天満宮の直ぐ西隣に、本殿へと続く参道を跨ぐ、城南鳥居を仰ぎ見ます。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 城南鳥居の正面奥には、拝殿が建っています。

 芹川天満宮でも梅を愛でていたので、竹田駅から城南鳥居まで、45分程の時間を費やして、ノンビリと歩いてきました。



 まずは、本殿(へ続いている前殿)にて参拝。
 本殿は、何かの工事をしている最中のようでした。

 城南宮は、延暦十三年(794年)の平安遷都に際して、都の安泰と国の守護を願って創建されたと伝えられています。
 創建以来の長い歴史を通じ、方除け・厄除け、交通安全の神様としての信仰を集めています。

 ちょっとした歴史散策気分を楽しんだ道中を経て到着した城南宮で、お参りを済ませると、「しだれ梅と椿まつり」の会場となっている神苑の入口へと、踵を返しました。
 絢爛華麗な風景への期待に心躍らせながら、神苑へと向かいます。

 <城南宮 弥生の観梅-02>>



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