3/21徳島新聞の1面に新刊書籍が掲載されました!! | 幸福実現党 福山まさとしの「世相を斬る!」

幸福実現党 福山まさとしの「世相を斬る!」

徳島と高知の素晴らしさを発見し、国際観光都市を目指した町おこしの様子を綴っていきます。

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お彼岸という時期は、先祖の御恩に感謝を捧げる日として大切な時ですね。

 

 

こうした機会に故人を思い出して感謝してあげると、天国に還った先祖もうれしいものですし、迷っておられる方にとっても、諸如来菩薩たち・天使たちによって天国に導かれるチャンスでもあります。

 

 

世間で行われている供養には、故人が救われていない供養がたくさんあります。そうした間違った供養と、故人の救いになる供養との違いが分かりやすく説かれている書籍が、『正しい供養 まちがった供養』です。

 

 

本書は先祖供養に関する最高の手引き書ですので、すべての人に必要な書と言えます。

 

 

 

 

ここで、「まちがった供養」「正しい供養」のポイントを簡単にまとめてみます。

 

 

◎まちがった供養

 

 

①唯物論的供養

 

巷では、「0葬」(ゼロ葬)と言って、通夜や葬式をせず、遺体を焼いて遺骨も引き取らないというものや、山や海におを撒く「自然葬」、樹木葬」といった形式が流行り出しているようです。しかし、こうしたものの本質は「唯物論」であり、間違っています。

 

 

「0葬」(ゼロ葬)「自然葬」、「樹木葬」は、「根本的なものが抜けています。」「人間は生き通しの人生を生きている」という霊的人生観が欠けています。「どうせ死んだら何もかもなくなるから」といって葬儀をやっているのであれば、故人の魂が救われるはずがありません。通夜や葬式は、あの世への大切な旅立ちのために、死を自覚させて、引導を渡すためにやっており、また、お墓は、あの世の霊人と交流するためにアンテナとしての機能があります。

 

 

②すべての不幸を先祖のせいにする、邪教による供養

 

他方、「現在あなたたちが不幸なのはすべて先祖のせいだから、子孫はとにかく供養することが大切だ。そうすれば幸福になれる」と言って供養ばかりしている宗教も、間違いです。

 

 

子孫が「なんとか救われたい」という自我我欲の心で供養していると、そこに「奪う愛」が生じ、無反省な人間が生まれてしまいます。すると、その誤った心と地獄にいる先祖の波長が同通して憑依され、この世の人もあの世の先祖も不幸になってしまいます。

 

 

このような宗教は、故人の救済どころか、「悪霊の再生産工場」と化しています。

 

 

 

③霊魂を信じていない僧侶による供養

 

さらに、伝統宗教での供養にも間違いがあります。「形式的な世間的な習俗として供養がなされても、僧侶側も遺族側も、あの世も霊も本当は信じていないため、故人が救われていない」ケースがたくさんあります。

 

 

あの世があるのかないのか半信半疑で、供養も何のためにするのかわからないような、名前だけのお坊さんが今は増えていますが、それでは何も救いになっていません。そもそも、難しい言葉で供養されても、死んだ人にはわからないのです。また、神仏やあの世の存在、魂の存在を信じていないで、供養して読経料をとっているならば、“サギ”であると、忠告されています。

 

 

最近話題になっている“お坊さん宅配便”なども、本来、魂を救う尊い仕事である宗教家が、単なる“宅配業者”になってしまうことであり、宗教の堕落につながります。

 

 

 

◎正しい供養

 

根本仏・主エル・カンターレの御光のもとで行われる幸福の科学の供養なら、亡くなった方が確実に天国に導かれます。

 

 

①  生きている人が正しい信仰を持ち、心の修行をして得た光を先祖に手向ける

 

先祖供養の基本は、子孫が正しい信仰を持って仏法真理を学び、人間として正しい生き方、光に満ちた生き方をすることです。

 

修行を通して得られた徳の光をあの世の先祖に手向けることによって先祖も救われます。生きている人に対して、反省や自己責任をしっかり説いている点が、幸福の科学と他の宗教とでは全く違っています。

 

 

②  『仏説・正心法語』を中心とした光の経文による供養

 

仏法真理を理解し、『仏説・正心法語』を読誦すると、迷える霊を救える力は、『般若心経』の一万倍以上」です。地上にこれ以上の経文はありません。

 

「仏説・正心法語」「祈願文①」を読誦して供養してこそ、故人も遺族も幸福になります。

 

 

自宅で先祖供養をするのも大切ですが、支部や精舎の供養祭に参加して、導師がいるところで「仏説・正心法語」を読誦し、供養するほうが効果が高く、救済力があります。それによって、故人とあの世の高級霊との間に新しい縁ができ、あの世の諸霊への救いになります。

 

 

幸福の科学の供養大祭で供養してさしあげることで、あの世で悟りへの道へ導くこともできるのです。

 

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~さらに供養の理解を深めるQ&A~

 

 

Q.どんな供養が間違った供養ですか?

A.子孫の側が自分たちの不幸を「先祖のせい」にして行う供養は間違いです。

 

★子孫を苦しめようとする先祖はいない

 

世の中にある先祖供養のなかには、病気や怪我、事業の失敗や受験の失敗など、家庭内で起きる不幸の原因をすべて先祖のせいにして、「迷っている先祖の供養さえすれば、幸福になれる」という言い方をするところがありますが、これは間違いです。

 

 

なかには、本当に浮かばれずに迷っている先祖がいる場合もありますが、その場合でも、積極的に子孫を害してやろうと思っている先祖は、基本的にはいないのです。

 


本当の意味で先祖を供養し、彼らが浮かばれるようにするためには、遺された子孫が、常に先祖に対する感謝の念を持つとともに、人間としての正しい生き方、光に満ちた生き方をすることが必要です。これが先祖供養の前提です。

 

 

彼らは人間としての正しい生き方が分からずに、自分が間違った理由、自分が今苦しんでいる理由が分からないので、先祖供養においては、それを教えてあげることが大事です。

 

 

★迷っている先祖と子孫の心が同通すると「先祖の霊が障(さわ)っている」状態になる

 

「先祖を供養したい」という子孫の念が、愛念として実る場合はよいのですが、子孫が欲得の心で先祖供養をすると、先祖が、あの世で悪霊となり、迷っているような場合は、両者の心が完全に通じてしまうのです。

 


たとえば、この世に生きている人が、誰かを強く恨んだり憎んだりする気持ちを持っているとします。その場合、あの世の地獄界に堕ち、人を恨んだり憎んだり怒ったりしている先祖がいれば、両者の波長が通じてしまいます。

 

 

そうすると、子孫がその思いを持ち続けるかぎり、先祖は、いつまででも憑依することができ、憑依された人の運命を悪くしていきます。その人を病気にしたり、事業を成功させなかったり、間違った判断をさせたりできるのです。

 

 

そういう意味では、「先祖が迷っていて、子孫を苦しませる」という現象が、あることはあります。しかし、その場合であっても、「まず子孫の側が自分自身の心を正すことが大事である」と言っておきたいのです。

 

 

★迷っている先祖は御札や戒名などで救われるわけではない

 

これは、たとえて言えば、父親が多大な借金を背負っていて、また息子は息子でまったく別に同じような借金を背負っているのに、息子が父親の借金を返すことができないのと同じです。

 

 

もし、事業に成功するなりして、息子が大きなお金を持っている場合には、父親の借金を返すことができるでしょう。これが先祖と子孫の関係であるわけです。「先祖が浮かばれていない」、「地獄で苦しんでいる」ということは、“借金”を背負っているのと一緒で、精神的な借金、この世で生きたときの借金を背負っているわけです。

 

 

その借金を払うために、子孫がそれを供養し、先祖を成仏させようとするときに、子孫が悪霊に憑かれるような目茶苦茶な生活をしていた場合には、子孫もまた負債を負っているわけです。借金を持っている者が、借金を持つ人の借金を、代わりに返すことはできないのです。豊かであればこそ、他人の借金を払うことができるのです。

 


この「豊かである」ということは何かと言うと、「今世において徳を積んでいる」ということなのです。それは、仏法真理に基づいて日々修行をしているということです。光の徳を積んでいること。光を蓄積していること。天の蔵に富を積んでいること。それがあってこそ、苦しんでいる人に対して、その光を手向けることができるのです。

 

 

ですから、御札や護摩木で先祖が救われるわけではなく、生きている子孫たち、縁のある人たちが、日々、徳を積むことが大事なのです。

 

 

★正しい宗教かどうかの見分け方は、「反省」と「自己責任」を教えるかどうか

 

 

愛と慈悲の心で先祖を供養したいという気持ちがみなさんにあること自体は、非常によいことなのですけれども、ただ、先祖が迷っているのは、決して子孫の責任ではないのです。これは原則ですから、よく知っておいてください。

 


地獄に堕ちたのは、やはり、本人の生き方に問題があったのです。思いと行いに問題があって、地獄に堕ちているのです。この大前提は知っておいてください。

 

 

そうしないと、みなさんが一生懸命供養をしていても、先祖のほうは「自分が悪い」とは絶対に思わない人が多いのです。子孫のせいにしてきます。「立派な墓を建てないから、俺はこんなに苦しいのだ」「仏壇が安物だから、こんなに苦しいのだ」「位牌が悪い」「戒名をつけなかった」とか、いろいろなことを言うわけですが、これは言いがかりというものであって、そういうものによって救われることは、まったくありません。

 


「生きていたときの思いと行いに基づいて、天国・地獄が分かれるのであり、あなたが地獄に堕ちているのは、やはり、それだけの責任があったからですよ」ということを教えてあげることです。

 

 

正しい宗教かどうかの見分け方は、生きている人、現実に修行をしている人に、反省をキチッと教えるかどうか、自己責任のところをキチッと教えるかどうか、というところにかかっています。

 

 

ぜひ正しい供養の教えを大切に!