誰かが自分に対して怒ってきた時。
「そうか~、イヤだったんだね、哀しかったんだね、寂しかったんだね~」
っていう視点で、その相手を見る。
それをそのまま言葉や態度にして出さなくてもいいけど。
大概の人が、怒られると、
「おれ(私)が悪いから怒られている」
という自己否定の方に走る。
これがトラブルの元。
人間は、否定されると痛いし怖いし不安だから、
跳ね返そうとするわけね。
だからケンカになるわけだ。
自分の内側に目を向けるから、
自分を防衛したい気持ちが働いて、
いわゆる「逆ギレ」を引き起こす。
「あなたが●●したのが悪いんでしょ!」
ってなると、
自分が悪いとは思いたくない防衛反応で、
「ハァ!?お前だって!!!」
って返しちゃう。
あと、もうひとつのトラブルパターンは、
「怒られている内容の正否」
の目がいってしまうこと。
「あなたが●●したのが悪いんでしょ!」
の、●●の部分にフォーカスをして、
「●●の何が悪いの?これこれこうだから●●なんだけど?」
って、理屈で返しちゃう。
怒りという「感情」に対して、
「理屈」で返しちゃうって、これ、
超コミュ障だからね(笑)
「イチロー選手すごい!」って話に、
「桜井さん(ミスチル)の方がすごいし」って返しているのと同じ。
おバカさん、スポーツ選手とミュージシャン比べて、
競ってどうすんねん(笑)ってくらいのバカバカしい返し方。
これ、自己正当かも含んでるから、
ひとつめの例とやや似てるんだけど。
自分の内面にフォーカスるか、
行為そのものにフォーカスするかの違いね。
もし、
「嫌な気持ちになりたくない」
「ちゃんと人間関係を良好にしておきたい」
って思うなら、どっちも、間違いです。
自分の内面を守ることでも、行為の是非でもないのです、
そういう時に考えなければならないのは。
じゃあ、フォーカスしなければならないポイントはどこか?
それは、
「相手が怒っているその心の状態」。
「怒ってる」んだよ。
理由はどうあれ、今その相手は、「怒ってる」の。
で、「怒り」って、どういう時に発生するかっていうとさ。
さっきも似たようなこと書いたけど、
要するに、「自己防衛本能」なのよな。
自分の領域を相手に侵害されたことの「痛み」、
自分が相手に認めてもらえてないことの「哀しみ」、
自分の言葉が相手に届いていないことの「寂しさ」、
そういうものから、自分の心を守るために、
「怒り」というエネルギーに変えて外の世界に発散しようとしているのよ。
だからね、誰かが自分に対して怒ってきた時は、
「この人は今、傷ついているんだな」
って捉えることが、本質的な問題解決の第一歩目だよ。
相手の怒りによって自分が傷つくことを恐れて反撃をしたり、
相手の傷ついている部分に、余計に塩を塗り込むようなことをしたり、
そんなふうにしていると、
相手の怒りは収まらないし、
結局自分も時間やエネルギーを多く使うし、
人間関係はうまくいかなくなるし、
結果的に自分も傷つくことになるわけさ。
先に言っておくと・・・・
相手が怒って、何を言ってきても、
こう捉えられていたら、自分は傷つかないから大丈夫。
自分を傷つけることができるのはいつでも自分だけなので、
相手の言葉を自分への攻撃だというふうに自分で捉えない限り、
自分は一切傷つきません。
あ、まぁ、物理的に暴力を振るわれたらその限りではないけど。
少なくとも、言葉の応酬をやっているうちは、
相手が何を言ってきても、それらの言葉は全て、
「相手が何にどうして傷ついているのか」
を探るためのヒントにしか、ならない。
例えば、
「待ち合わせの約束を破って、連絡なしで遅刻してきやがって!」
って怒ってる人がいたとすれば。
約束を破られたことが、
自分が軽く見られてる感がして傷ついたのかもしれない。
自分は朝早起きを頑張ったのに、
それが損した気分になって哀しいのかもしれない。
もしかしたら、待ち合わせ場所に来る道すがら、
誰かに突き飛ばされて怖い思いをしたのかもしれない。
掘り下げて聞いていくと、その本質は、
こちらが「待ち合わせに連絡なしで遅刻したこと」、
そのものには無いってことが見えてくる。
だから、そのことに言い訳をする必要も、逆ギレをする意味もない。
あなたのことを軽く見てはいないよ、
傷つけちゃってごめんね、
って言ってあげればいい。
わざわざ僕のために早起きして急いでくれたんだね、
ありがとう、ごめんね、
って言ってあげればいい。
怖い思いをしたんだね、
それは怖かったね、
もう大丈夫だよ、って言ってあげたらいい。
それで解決する。
それで解決する。
それで解決する。
「怒り」は、「自己防衛本能」。
その相手が、何を恐れていて、
何から身を守ろうとしているのか、
それが分かれば、解決する。
あ、分かった時点では、「半分」解決か。
後は、その「防衛状態」を解除して、
リラックスさせてあげられるような言葉や行動を、
自分が取れるかどうか。
それができれば、万事解決だ。
誰に、どんな理由で、どう怒られようとも・・・・
「怒りの本質」さえ見えていれば、
自分はその相手の怒りによって、
傷つく必要もその理由もない。
相手が誰であれ、よ。
同僚や友達や恋人でもそう。
親や家族でもそう。
先輩とか上司とかでも、そう。
「怒り」の裏には、必ず、必ず、
「怒ることで守りたい何か」がある。
相手のそれを、自分も一緒になって守ってあげること。
これが、誰かの怒りが自分に向けられた時の、一番大切な対応。
ちなみにこの発想は、当然だけど、
「自分が怒りに駆られた時」にも使える。
自分が誰かや何かに対して、怒りが湧いてきて仕方ない時・・・・
そんな自分を少しでも客観的に見られる「隙」があったなら、
そこでこう問いかける。
「今、自分は、何を守りたくて怒っているんだろう?」
と。
その誰かや何かが、自分の何を侵害している、
もしくはこれから侵害すると感じているんだろう?
そしてそれは、本当にそうなのか?
本当に侵害されているのか?
その侵害から、うまく逃れる術はないのか?
怒れば解決するのか?
色んな切り口から、自分が守りたい、
自分にとって大切なものを、探す。
そしてそれが見つかったら・・・・
「そうか、おれ(私)は、これを守りたかったんだな。
守ろうとして、怒ってくれてありがとう。もう大丈夫だよ。」
って、その「怒りの自分」に声をかけてみる。
すると、十中八九、その時点で怒りは収まっているから。
自分が自分に、
「ありがとう、大丈夫だよ」って言ってあげられると、
「怒る必要」がなくなるから。
怒らなくても大丈夫、怒らなくても大切なものが守れる、
もしくは「大切だと思ってたけど実は違ったかもしれない」って気付くと、
怒りは一瞬にして解けて消えるもの。
自分でも、他人でも、同じ。
「怒り」を抱えている人は、その奥底の理由を見る。
なぜ怒っているのか、何に傷ついているのか。
・・・・何を、守りたいのか。
「怒り」と付き合う上で、すごく大切な在り方は、これだと思う。
以上。
喜怒哀楽の中で最も「怒」の感情が強く、人生の大部分を過ごしてきたのに、最近めっきり怒らなくなってきた(少なくとも怒りを外に出さなくなってきた)琢磨より。