誰かの怒りが自分に向けられた時の一番大切な対応~怒りの本質はどこにある?ここにある~ | * 箱舟、星の船 *

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生き物には、その生き物が一番呼吸のしやすい場所がある。

自分のやりたいことって何だっただろう。
本当の自分ってどんな姿だっただろう。
どんなふうに生きていたかったんだろう。

そんなふうに迷い悩む普通の人たちを、本当の場所に導いていく、舟でありたい。

誰かが自分に対して怒ってきた時。

「そうか~、イヤだったんだね、哀しかったんだね、寂しかったんだね~」
っていう視点で、その相手を見る。

それをそのまま言葉や態度にして出さなくてもいいけど。





大概の人が、怒られると、
「おれ(私)が悪いから怒られている」
という自己否定の方に走る。

これがトラブルの元。

人間は、否定されると痛いし怖いし不安だから、

跳ね返そうとするわけね。

だからケンカになるわけだ。

自分の内側に目を向けるから、

自分を防衛したい気持ちが働いて、

いわゆる「逆ギレ」を引き起こす。

「あなたが●●したのが悪いんでしょ!」
ってなると、
自分が悪いとは思いたくない防衛反応で、
「ハァ!?お前だって!!!」
って返しちゃう。



あと、もうひとつのトラブルパターンは、
「怒られている内容の正否」
の目がいってしまうこと。

「あなたが●●したのが悪いんでしょ!」
の、●●の部分にフォーカスをして、

「●●の何が悪いの?これこれこうだから●●なんだけど?」
って、理屈で返しちゃう。


怒りという「感情」に対して、

「理屈」で返しちゃうって、これ、

 

超コミュ障だからね(笑)

 


「イチロー選手すごい!」って話に、

「桜井さん(ミスチル)の方がすごいし」って返しているのと同じ。


おバカさん、スポーツ選手とミュージシャン比べて、

競ってどうすんねん(笑)ってくらいのバカバカしい返し方。

 

これ、自己正当かも含んでるから、

ひとつめの例とやや似てるんだけど。


自分の内面にフォーカスるか、

行為そのものにフォーカスするかの違いね。



 

 


もし、
「嫌な気持ちになりたくない」
「ちゃんと人間関係を良好にしておきたい」

って思うなら、どっちも、間違いです。

自分の内面を守ることでも、行為の是非でもないのです、

そういう時に考えなければならないのは。



じゃあ、フォーカスしなければならないポイントはどこか?
 

 

 

 

 

 

 

 



それは、

 

「相手が怒っているその心の状態」。

 

 


「怒ってる」んだよ。
理由はどうあれ、今その相手は、「怒ってる」の。

で、「怒り」って、どういう時に発生するかっていうとさ。

さっきも似たようなこと書いたけど、

要するに、「自己防衛本能」なのよな。


自分の領域を相手に侵害されたことの「痛み」、
自分が相手に認めてもらえてないことの「哀しみ」、
自分の言葉が相手に届いていないことの「寂しさ」、

そういうものから、自分の心を守るために、

「怒り」というエネルギーに変えて外の世界に発散しようとしているのよ。





だからね、誰かが自分に対して怒ってきた時は、

「この人は今、傷ついているんだな」

って捉えることが、本質的な問題解決の第一歩目だよ。

 



相手の怒りによって自分が傷つくことを恐れて反撃をしたり、
相手の傷ついている部分に、余計に塩を塗り込むようなことをしたり、

そんなふうにしていると、
相手の怒りは収まらないし、
結局自分も時間やエネルギーを多く使うし、
人間関係はうまくいかなくなるし、
結果的に自分も傷つくことになるわけさ。




先に言っておくと・・・・

相手が怒って、何を言ってきても、

こう捉えられていたら、自分は傷つかないから大丈夫。

自分を傷つけることができるのはいつでも自分だけなので、

相手の言葉を自分への攻撃だというふうに自分で捉えない限り、

自分は一切傷つきません。

あ、まぁ、物理的に暴力を振るわれたらその限りではないけど。
 

 



少なくとも、言葉の応酬をやっているうちは、

相手が何を言ってきても、それらの言葉は全て、

「相手が何にどうして傷ついているのか」

を探るためのヒントにしか、ならない。



例えば、
「待ち合わせの約束を破って、連絡なしで遅刻してきやがって!」
って怒ってる人がいたとすれば。

約束を破られたことが、

自分が軽く見られてる感がして傷ついたのかもしれない。

自分は朝早起きを頑張ったのに、

それが損した気分になって哀しいのかもしれない。

もしかしたら、待ち合わせ場所に来る道すがら、

誰かに突き飛ばされて怖い思いをしたのかもしれない。



掘り下げて聞いていくと、その本質は、

こちらが「待ち合わせに連絡なしで遅刻したこと」、

そのものには無いってことが見えてくる。

だから、そのことに言い訳をする必要も、逆ギレをする意味もない。



あなたのことを軽く見てはいないよ、

傷つけちゃってごめんね、

って言ってあげればいい。

わざわざ僕のために早起きして急いでくれたんだね、

ありがとう、ごめんね、

って言ってあげればいい。

怖い思いをしたんだね、

それは怖かったね、

もう大丈夫だよ、って言ってあげたらいい。




それで解決する。

それで解決する。

それで解決する。




 

 

 

 

 


「怒り」は、「自己防衛本能」。

その相手が、何を恐れていて、

何から身を守ろうとしているのか、

それが分かれば、解決する。

あ、分かった時点では、「半分」解決か。
後は、その「防衛状態」を解除して、

リラックスさせてあげられるような言葉や行動を、

自分が取れるかどうか。

それができれば、万事解決だ。

 

 


誰に、どんな理由で、どう怒られようとも・・・・

「怒りの本質」さえ見えていれば、

自分はその相手の怒りによって、

傷つく必要もその理由もない。



相手が誰であれ、よ。

同僚や友達や恋人でもそう。

親や家族でもそう。

先輩とか上司とかでも、そう。


「怒り」の裏には、必ず、必ず、

「怒ることで守りたい何か」がある。


相手のそれを、自分も一緒になって守ってあげること。

これが、誰かの怒りが自分に向けられた時の、一番大切な対応。








ちなみにこの発想は、当然だけど、

「自分が怒りに駆られた時」にも使える。

自分が誰かや何かに対して、怒りが湧いてきて仕方ない時・・・・
そんな自分を少しでも客観的に見られる「隙」があったなら、

そこでこう問いかける。

 



「今、自分は、何を守りたくて怒っているんだろう?」

 


と。


その誰かや何かが、自分の何を侵害している、

もしくはこれから侵害すると感じているんだろう?


そしてそれは、本当にそうなのか?

本当に侵害されているのか?
その侵害から、うまく逃れる術はないのか?

怒れば解決するのか?

 

 


色んな切り口から、自分が守りたい、

自分にとって大切なものを、探す。


そしてそれが見つかったら・・・・

 


「そうか、おれ(私)は、これを守りたかったんだな。
守ろうとして、怒ってくれてありがとう。もう大丈夫だよ。」


って、その「怒りの自分」に声をかけてみる。

 

 


すると、十中八九、その時点で怒りは収まっているから。

 


自分が自分に、

「ありがとう、大丈夫だよ」って言ってあげられると、

「怒る必要」がなくなるから。

怒らなくても大丈夫、怒らなくても大切なものが守れる、

もしくは「大切だと思ってたけど実は違ったかもしれない」って気付くと、

怒りは一瞬にして解けて消えるもの。





自分でも、他人でも、同じ。

「怒り」を抱えている人は、その奥底の理由を見る。
なぜ怒っているのか、何に傷ついているのか。


・・・・何を、守りたいのか。


「怒り」と付き合う上で、すごく大切な在り方は、これだと思う。





以上。
喜怒哀楽の中で最も「怒」の感情が強く、人生の大部分を過ごしてきたのに、最近めっきり怒らなくなってきた(少なくとも怒りを外に出さなくなってきた)琢磨より。