コミュ力、コミュ力と、
世間一般でももう常識のように使われる言葉だけど・・・・
それの差すところって、
いったい何なんだろう?
何をもって、
「コミュ力」って呼ぶんだろう?
世間では、コミュ力が高いだの低いだの言われ、
何かしらの基準のある、
客観的評価のように思う人もいるかもしれない。
まぁ、そういうのもあるかもね。
他者との相対評価だったりとかね。
でも僕は、個人的には、
ちょっと違う定義を持ってるんだ。
コミュニケーション能力とは。
『自分が心から思う通りのコミュニケーションを取れる能力』
僕は、そう定義してる。
だから、つまり・・・・
「コミュニケーション能力が低い」というのは、
「自分の思う通りの行動が取れていない」ということ。
「あんなこと言うつもりじゃなかったのに・・・・」
とか、
「言いたいことがあるんだけどうまく言語化できない」
とか、
「相手の言ってることに理解が追い付かない」
とか、
「自分では真剣に聞いているつもりなのに真面目に聞けと怒られた」
とか、
そうなってしまうのは、コミュ力の低さによるものだと。
「こういうことが言いたい」って思っているなら、
それをちゃんと言えること。
「相手に理解して欲しい」って思っているなら、
理解してもらえる説明や伝え方ができること。
「怒られたくない」なら、
相手を怒らせないように振る舞えること。
好きな人に好きだと言いたいなら、言えること。
本当はやりたくないことなら、それを断れること。
そういう人が、
「コミュニケーション能力が高い人」
っていうんだと、僕は思っているのです。
ちょっと格好つけて言い換えれば、
コミュニケーション能力とは、
『心の世界の顕現率』
のことなんだ。
願ったこと、望んだことを、実現する能力。
自分が書きたいと思ったことをちゃんと書けて、
自分が話したいと思ったことをちゃんと話せて、
自分が聞きたいと思った分だけ聞くことができて、
自分が読み取りたい情報を選んで読み取れる。
その、自分の「本意」の実現率、達成度合いこそが、
僕が考える「コミュニケーション能力」。
他人と比べてどうのこうのとか、
社会においてどうのこうの、
っていうのもいいんだけどさ。
まず、自分自身が、
ちゃんと心のままに生きられているのか、っていう話です。
自分の思う通りの言語化ができないうちから、
「他人に分かってほしい」だなんて、無理だよ。
自分でも、自分を捉えきれないんだから。
自分では、自分が考えた通りのことをちゃんと言えた、
っていう前提があって初めて、
「じゃあどんなふうに言い換えたら、
もっと分かってもらいやすくなるんだろう」
とか、工夫を考えられるんだ。
まずは、心の中に描く自分自身を、
「ちゃんと」外側に体現できるようになること。
それが「コミュニケーション能力」であり、人間関係の第一歩。
そのうち、
この意味でのコミュニケーション能力を磨くための講座やります。
講座というかコンサルティングというか。
イメージ的には、マンガ『ハンターハンター』に出てくる、
念能力を磨くような感じで、
コミュニケーション能力を磨いていきます。
基本的な能力を磨く基礎講座と、
特殊能力を開花させる講座をやる。
念能力も6つの系統のどれに属しているかを見極めて、
その系統の修行をすることで必殺技を編み出すでしょ。
コミュニケーション能力にも、
そういう必殺技というか特殊能力はあるのです。
それを開花させる講座とかめっちゃ面白そうでしょ
ちなみに僕の特殊能力はもちろん分析能力です。
データ分析をアートレベルで出来て、
独自の性質診断システムとか構築しちゃうレベル。
こういう感じで、自分に適した特殊能力を、
開花させることができる講座。
あぁそれ早くやりたい
めちゃくちゃ面白そう