むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

小幡陣屋(群馬県)

2017年04月23日 | 陣屋・館
小幡陣屋おばたじんや
別名小幡城
構造陣屋
築城者織田信雄
築城年代1615年(元和元年)
指定史跡県指定史跡
場所甘楽郡甘楽町小幡 地図
城郭検定出題あり

小幡は1615年(元和元年)に織田氏の所領となり、以来152年の間治めてきました。
織田信長の次男織田信雄が7年の歳月と数万両を投じて築いた御殿跡と大名庭園があります。



武家屋敷

中小路には当時の屋敷や石垣などが残されている。


松平大奥

奥方と何人かの腰元が住んでいました。



ペリーが浦賀に来航した際、将軍が江戸城大奥の女官15人~16人を
この屋敷に疎開させたと伝わります。


喰い違い廓

戦の時の防衛のために造られた。
他にも、下級武士が上級武士に出会うのを避けるために隠れたと言われています。





番所

ここでパンフレットをもらい、見学するには入場料を支払います。


中門

かつては武士らの公式な出入口でした。


御殿跡

東側は公的空間、北側は台所、西側は生活空間といった構成で
部屋割りがされていました。


井戸(金明水)

こちらの井戸は御殿で使用する井戸で周囲には薪小屋と九間長屋がありました。


北裏門

北裏門の奥に見える建物は喫茶店で、土日限定で「信雄サンド」が人気です。
この日も「信雄サンド」を求めて訪れてみたのですが既に完売でした。残念…





井戸(銀明水)

こちらの井戸は長屋に暮らす使用人たちが使用していました。


餅つき

何の意味があるのかよくわからない像。
お侍さんが餅つきとはめずらしい像なので何か逸話でもあるのでしょうか。。。


拾九間長屋

藩邸の使用人たちが暮らしていた長屋です。
中は展示物や映像を流しています。


藩邸ジオラマ

藩邸の復元を望む声もあるのですが今のところ復元の予定はないそうで、
代わりにこの模型を造ったそうです。


大型スクリーン

大型スクリーンで城下町小幡の映像を上映しています。


庭門

藩邸と庭園を区切る門。
当時は藩主の許可がないと入ることができませんでした。


昆明池

江戸時代初期の地方武家の庭として価値が高いとして10年の歳月をかけて復元した。
奥の建物が「梅の茶屋」で藩主が休憩したり庭園の景色を楽しんでいました。
手前の建物が「腰掛茶屋」で全国でもめずらしい五角形の形をしています。





熊井戸氏の館跡

古くは小幡氏の屋敷があったのですが、国峰城が完成し、
小幡氏は国峰城に移り、小幡氏重鎮の熊井戸対馬守正満が屋敷を構えました。
江戸時代初期になると織田氏によって屋敷跡は陣屋、庭園に造営され名勝楽山園になりました。


熊井戸

覗き込むと今でも水が溜っています。


凌雲亭


玄関
接客を一人で行っているため時間に余裕がある方はこちらでゆっくり
されると苦みのないすっきりした味のお抹茶がいただけますよ。


お抹茶とお菓子

 一服400円(薄茶・干菓子付き) ※干菓子は季節で変わります
ちなみにこの日は老舗和菓子店のみそ餡のせんべいと落雁でした。


家紋入り茶碗
織田家の家紋入りの黒い茶碗が飾られていました。


南東庭園

江戸時代には昆明池のある庭園と泉水のある南東庭園と
西側に塀を造って区別されていました。


桜祭武者行列

毎年4月になると歌手や俳優などの有名人を招いて武者行列が行なわれています。



大手門礎石

陣屋の正面にあたるこの付近に大手門(表門)があったとされ、
四脚門という格式高い門があったとされています。
大手門の信号角にあるギャラリーお休み処「大手門」の隣にあります。


見取図






平成24年4月14日登城
平成29年4月16日再登城


 おぼえておこう!
1級】江戸時代初期の藩邸の庭園に2012年復元された中門だが、内部の庭園は池泉回遊式の借景庭園で「戦国武将庭園」から「大名庭園」へと移行する過渡期の庭園と位置付けられている。それはどれか。


よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書
小和田 哲男
学研プラス


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