【深沢城】ふかざわじょう
【別名】阿久沢城 神梅城
【構造】山城
【築城者】阿久沢氏
【築城年代】建武年間
【指定史跡】―
【場所】桐生市黒保根町宿廻 地図
深沢城は、渡良瀬川上流黒川谷に豪族たちの寄居として築かれ、阿久沢氏の居城となる。
中世末期には上杉・北条等の戦場となるが、北条氏滅亡とともに廃城となった城である。
道中案内看板があるのでそれに従って行くと容易に到着出来ます。
駐車場
正圓寺向いにある駐車場。
本丸を見下す
駐車場から見下す本丸。
道下に本丸とは穴城なのでしょうか。
案内看板
駐車場に小さな案内看板があります。
案内看板
縄張り図がボロボロで見ずらいです。
石碑・石塔
二の丸入口にある石碑と石塔。
堀
箕輪城を思い出すような傾斜のある幅広い堀。
御見事!
本丸
広い本丸です。
いちめん草で覆われているので中に入って行くのは遠慮しました。
二の丸
本丸より高台にある二の丸。
断崖
覗き込むと吸い込まれてしまいそうなくらい深い崖があります。
うっかり落ちたら大変なのでわかりずらい画像になってます。
崖の岩の部分は人工的に削ったかのようにも見えるのですがどうやって近付いたの?という気もします。
とにかく恐ろしい断崖でとてもこちらからは攻め入ることは出来ないでしょう。
腰曲輪
本丸下にある腰曲輪。
木を伐採して見やすくなっているのですが、ふと足元を見ると一直線に木の切株が目にとまりました。
これは何を示すものなのか。
街道などにある杉並木のような並びに見えます。
この先に本来の大手道と思われる登城があるようですが伐採した木が捨てられているので
進むことは出来ませんでした。
正圓寺
正圓寺の堀
正圓寺隣の民家の間にある堀切。
墓地
こちらの墓地に阿久沢氏累代の墓があります。
この付近はラリー(自動車競技)で夜に訪れることが多い地域ですが、城跡の散策には初めて訪れました。
このような遺構があったとは…と思うところはラリーで走るような場所では多いのかも。
見なれた風景なのに昼間見る風景は違って見えます^^;
まあ、目的が違うのでそれはそれで新鮮な感じがします。
平成29年6月17日登城
【別名】阿久沢城 神梅城
【構造】山城
【築城者】阿久沢氏
【築城年代】建武年間
【指定史跡】―
【場所】桐生市黒保根町宿廻 地図
深沢城は、渡良瀬川上流黒川谷に豪族たちの寄居として築かれ、阿久沢氏の居城となる。
中世末期には上杉・北条等の戦場となるが、北条氏滅亡とともに廃城となった城である。
道中案内看板があるのでそれに従って行くと容易に到着出来ます。
駐車場
正圓寺向いにある駐車場。
本丸を見下す
駐車場から見下す本丸。
道下に本丸とは穴城なのでしょうか。
案内看板
駐車場に小さな案内看板があります。
案内看板
縄張り図がボロボロで見ずらいです。
石碑・石塔
二の丸入口にある石碑と石塔。
堀
箕輪城を思い出すような傾斜のある幅広い堀。
御見事!
本丸
広い本丸です。
いちめん草で覆われているので中に入って行くのは遠慮しました。
二の丸
本丸より高台にある二の丸。
断崖
覗き込むと吸い込まれてしまいそうなくらい深い崖があります。
うっかり落ちたら大変なのでわかりずらい画像になってます。
崖の岩の部分は人工的に削ったかのようにも見えるのですがどうやって近付いたの?という気もします。
とにかく恐ろしい断崖でとてもこちらからは攻め入ることは出来ないでしょう。
腰曲輪
本丸下にある腰曲輪。
木を伐採して見やすくなっているのですが、ふと足元を見ると一直線に木の切株が目にとまりました。
これは何を示すものなのか。
街道などにある杉並木のような並びに見えます。
この先に本来の大手道と思われる登城があるようですが伐採した木が捨てられているので
進むことは出来ませんでした。
正圓寺
正圓寺の堀
正圓寺隣の民家の間にある堀切。
墓地
こちらの墓地に阿久沢氏累代の墓があります。
この付近はラリー(自動車競技)で夜に訪れることが多い地域ですが、城跡の散策には初めて訪れました。
このような遺構があったとは…と思うところはラリーで走るような場所では多いのかも。
見なれた風景なのに昼間見る風景は違って見えます^^;
まあ、目的が違うのでそれはそれで新鮮な感じがします。
平成29年6月17日登城
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クリエーター情報なし | |
写真工房 |
大手は、薮に突撃しないと見れません(((^_^;)
たしか、2本の堀切が有りけっこう急斜面になってました。
現在、本丸の南下から登城の方向へ、ちゃんと下っていく道があります。もともと、この辺りは小字で「城ジョウ」と呼ばれ、人が住んでいたそうです。降りていくと、何段もの平場が造成されていて、廃屋やお堂が残っています。つづら折りの道を降りていくと、神梅から来る道に通じていました。また、途中で深沢川にも出られるようになっており、川と崖に囲まれた地形を良く理解することが出来ます。
今は、道が出来たので、みなさん穴城か?……などと言っていますが、本来は道が無かったので、登城からが「大手筋」なのだとのご住職のお話でした。また、この周辺には、「馬場」「城」などの小字名が伝えられており、本来は、正円寺の周辺一帯のかなり広い範囲が城域だったそうです。
正円寺のご住職のお話によると、最近、本丸周囲や登城からの登り道など、ある程度木を刈ったようですが、人手や金銭面でいろいろ大変な様でした。
お寺の東側から北側へとぐるりと囲む深い堀も見ごたえあります。是非、夏草繁茂の時期にならぬうちに再訪してみて下さい。
阿久沢氏の累代の墓石群も一見の価値ありますね。
私が訪れた時も何やら手入れが始まったかな?という雰囲気がしていたのですが、その後整備されたのですね。
管理されるのは大変なことと思いますが手入れしていただけることに見学側としては深く感謝です。
折を見て再訪問したいと思います。
いつもながら報告有難うございます(^^)