【石山本願寺】いしやまほんがんじ
【別名】大坂本願寺・大坂城
【構造】寺院
【造営者】蓮如上人
【造営年代】1496年(明応5年)
【指定史跡】―
【場所】大阪市中央区大阪城1-1 地図
【城郭検定】出題あり
大坂坊舎を建立したことに始まる
「大坂」という地名が現れたのもこの時期です。
大坂坊舎は小堂であったと考えられていますが、勢力と権力争いにより
大坂の重要性が増すと山科本願寺が焼き討ちされ、本願寺教団の本拠である石山本願寺に
発展しました。
石山本願寺周辺には広大な寺内町が造営され、現在の大阪の街並みの原型となりました。
石山本願寺推定地碑
大阪市立修道館横にある案内看板。
この辺りに石山本願寺があったと推定されています。
(正確な位置などはわかっていません)
案内板
南無阿弥陀仏の石柱のある手前にこの案内板が掲げられています。
蓮如上人袈裟懸けの松
浄土真宗の本願寺第八世蓮如上人はこの地に坊舎を建立、居住としました。
蓮如上人は山科より本願寺をこの地に移し大坂(石山)本願寺としました。
切株跡
蓮如上人は、この松に袈裟をかけ、宗派の繁栄を祈ったといわれる。
今はこのように根っこだけになっています。
大坂城も3回登城していますが、観光ではなく時間を考えず、自由にじっくり観て歩いたのは
今回が初めてで、石山本願寺がこの地にあったことを知らずにいました^^;
改めてこのような跡地に来てみて大坂城と石山本願寺の歴史を実感しました。
平成29年6月22日訪問
【別名】大坂本願寺・大坂城
【構造】寺院
【造営者】蓮如上人
【造営年代】1496年(明応5年)
【指定史跡】―
【場所】大阪市中央区大阪城1-1 地図
【城郭検定】出題あり
大坂坊舎を建立したことに始まる
「大坂」という地名が現れたのもこの時期です。
大坂坊舎は小堂であったと考えられていますが、勢力と権力争いにより
大坂の重要性が増すと山科本願寺が焼き討ちされ、本願寺教団の本拠である石山本願寺に
発展しました。
石山本願寺周辺には広大な寺内町が造営され、現在の大阪の街並みの原型となりました。
石山本願寺推定地碑
大阪市立修道館横にある案内看板。
この辺りに石山本願寺があったと推定されています。
(正確な位置などはわかっていません)
案内板
南無阿弥陀仏の石柱のある手前にこの案内板が掲げられています。
蓮如上人袈裟懸けの松
浄土真宗の本願寺第八世蓮如上人はこの地に坊舎を建立、居住としました。
蓮如上人は山科より本願寺をこの地に移し大坂(石山)本願寺としました。
切株跡
蓮如上人は、この松に袈裟をかけ、宗派の繁栄を祈ったといわれる。
今はこのように根っこだけになっています。
大坂城も3回登城していますが、観光ではなく時間を考えず、自由にじっくり観て歩いたのは
今回が初めてで、石山本願寺がこの地にあったことを知らずにいました^^;
改めてこのような跡地に来てみて大坂城と石山本願寺の歴史を実感しました。
平成29年6月22日訪問
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三浦 正幸 | |
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