むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

尾高城(鳥取県)

2018年01月12日 | 百名城以外の城
尾高城おだかじょう
別名小鷹城・泉山城
構造平山城
築城者不明
築城年代不明(鎌倉時代)
指定史跡市指定史跡
場所米子市尾高 地図


尾高城の始まりは明らかではありませんが、
16世紀前半までは山名氏支配下の行松氏が居城していました。
1524年(大永4年)に尼子経久の大軍により落城し、出雲の尼子氏の城となりました。
後には、毛利氏の家臣である杉原盛重が居城し整備したと考えられています。
江戸時代の初めに米子城が完成すると尾高城は廃城となりました。


看板



シャト―おだか

尾高城内にある宿泊施設ということで、とにもかくにも宿泊はここにと決めました。
口コミではフロントでチェックインに時間がかかるとかありましたが
そのようなことはまったくなく、スムーズで丁寧な対応でした。
尾高城のことを尋ねるとパンフレットをくれて説明もしてくれました。


眺望(部屋の窓から)

宿泊した部屋は5階で、この眺めです。
さすが城址!めちゃめちゃ良い眺めです
夜中に落ち武者が出ないかと心配でしたがそんなことはありませんでした^^;
お値段もリーズナブルなのでお勧めです。


城址碑

シャト―おだかの駐車場にある城址碑。
余談ですが、玄関前では野菜が売られていて、地元の方も早朝に野菜を買いに来ていました。
旅の途中なので野菜を買い込むわけにはいかないので、車中で食べられるみかんと干し芋を買いました。


天神丸

シャト―おだかの駐車場が天神丸です。


堀切

天神丸と南大首郭との間の大堀切です。


案内看板

捕縛された山中鹿之助幸盛が下痢と偽り汲み取り口から脱出したという逸話も残っています。


案内看板

南大首郭の案内看板。
※この看板は撤去されました。(攻城団団員ト―ダイ様確認済み)


木橋

復元された木橋。
発掘調査で東側の堀から橋脚の柱穴が発見され、出入口付近には橋が架けられていたと思われます。




とにかく草に埋もれて堀も土塁もわからなくなってしまうほど
手入れがされていません。


南大首郭

ここには土塁と建物跡が見えるはずなのですが…草ぼーぼーで何もわからないです。
この奥には中の丸もあるはずですが見渡すかぎり草草草…郭の中に入って行く気力は無です。


方形館跡

土塁に囲まれた方形館跡は城主の館があった場所です。
そして正面奥の林が本丸です。


駐車場

ここに車を置いて越ノ前郭を通って、どれだけ本丸に近付けるか挑戦です。
ちなみに本丸と二の丸は私有地なので入ることは出来ません。
このことはシャト―おだかのフロントでも告知されます。



道路から入ったこの先が越ノ前郭で、梅園になっています。


越ノ前郭

梅の木がいっぱい。
花が咲く頃にはさぞかしきれいなのでしょうね。


あずまや



小川

小川が流れていて風情があります。
せっかくなのでもう少し手入れをされると良いと思うのですが…。


木橋

ここに来るまでは草を掻き分け、道らしきところを本丸方面に下って来ました。
なんとか地図通りに本丸下の橋までやって来ました。


本丸

見上げると本丸。
この先は立入れない場所なので藪で、未知の世界です。



本丸はどうなっているのでしょうか。。。
しかしこれ以上本丸側へは行けません。(私有地につき立ち入り禁止)


伝倉庫跡

左上が伝倉庫跡でこの先は中の丸に続いているはずですが、これ以上草に阻まれて進める気がしないので
断念して帰ることにしました。


朝食後、チェックアウト前に尾高城散策に出掛けました。
夜中は激しい雨に見舞われましたが朝には雨が上がって朝散歩出来ました。
パンフレットの写真では遺構が良く残っている様子が見られます。
しかし、現地に行ってみると冬なのに草で荒れていてほとんど遺構が見られませんでした。
一度は奇麗に手入れされたのですからなんとか維持できないものでしょうか。
とてももったいない気がしてならないです。


・・・おまけ・・・

お菓子の壽城

米子インターを出てシャト―おだかを目指していたらこのような建物が見えて来ました。
近くまで来てみると、どうやらお菓子やさんのようです。
米子城を模しているそうです。気合入ってますねえ。



平成30年1月6日登城


ことりっぷ 鳥取 倉吉・米子 (旅行ガイド)
昭文社 旅行ガイドブック 編集部
昭文社

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