オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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セガの歴史を調べていたら意外な話につながった話(1)

2018年01月14日 18時29分53秒 | 歴史
ワタシの手元には、おそらく1950年代から70年くらいまでの間の、セガの旧式のスロットマシンのフライヤーがいくらかあります。しかし、情報があまりにも少ないため、それらがいつごろ作られ、いつごろ頒布されたのかがわかりません。そこでワタシは、15年ほど前からまとめてウェブ上で公開し、何か情報があったら教えてくださいと訴えてきました。

あるとき、それを見た「Coin Machine Historian(コインマシンの歴史家)」を名乗る米国在住の英国人からメールが届きました。以来メールをやり取りする中で、その方が長くコインマシン業界に携わってきた方であることがわかり、古い話をいろいろ教えてくださいました。ワタシもまた、手持ちの資料を寄贈するなどしてお付き合いさせていただき、現在もSNSで繋がりを持っています。

そのCoin Machine Historianが、「セガは昔、ラスベガスにオフィスがあったんだ」と言って、セガの古いスロットマシンのフライヤー画像を下さったことがあります。それは、ワタシが持っているフライヤーのいくつかとほぼ同一で、表面には「Service Games (Japan) inc.」との社名が印刷されていましたが、「(Japan)」の部分を消すように、「OUR NEW ADDRESS: 2115-17-19 North Main Street LAS VEGAS, NEVADA」というスタンプが押されていました。セガは、90年代の一時期にゲーミングに進出しようとしてラスベガスにオフィスを持っていた(結局挫折して、後から来たコナミに追い付き追い越されてしまいましたが)ことがありますが、このフライヤーは、それとはまた別の時期の話であることは明らかです。


画像1:Coin Machine Historianからいただいた、ラスベガスを新所在地とするフライヤーの部分。


画像2:こちらはワタシが所有する、同形機種のフライヤーの同じ部分。「Manufactured By SEGA incorporated」と印刷されたステッカーが貼られている。「SEGA」は、「Service Games」という二つの単語のそれぞれ最初の2文字を取って命名されたという話は比較的よく知られている。

Coin Machine Historianは、ラスベガスのフライヤーが頒布された正確な時期は把握しておらず、単に60年代と言うところまでしかわかりませんでしたが、これがワタシが持つフライヤーが作られた時期を特定する手がかりになるかもしれません。

セガの歴史はかなり複雑で、社名から年代を推測するのが難しいです。まず、日本のセガの創立には、「Martin Bromley(マーティン・ブロムリー、以下ブロムリー)」という人物が全てのカギを握っているようです(関連記事:セガのスロットマシンに関する思いつき話)。1952年、ブロムリーは、スロットマシンの余剰在庫をどうにかする方策として、アジア・極東地域の米軍基地に目を付け、レメアーとスチュワートと言う二人の従業員を日本に送り込み、1952年には「レメアー&スチュワート」という会社を設立しました。それが紆余曲折を経て「セガ・エンタープライゼス」となるのが1965年のことです。まずこの辺の経緯をまとめてみます。

1940 ブロムリー、ホノルルに「スタンダード・ゲームズ」設立
1945 「スタンダード・ゲームズ」が「Service Games」となる
1952 ブロムリー、日本に「レメアー&スチュワート」設立
1954 デイビッド・ローゼン、日本に「ローゼン・エンタープライゼス」設立
1957 「レメアー&スチュワート」が「Service Games Japan」となる
1960 Service Games Japan、日本娯楽物産と日本機械製造に分裂
1964 日本娯楽物産、日本機械製造を吸収し再び統一する(存続会社は日本娯楽物産)
1965 日本娯楽物産とローゼン・エンタープライゼスが合併、「セガ・エンタープライゼス」となる

「Service Games Japan」のフライヤーを流用し、「我々の新しい所在地」と言っているのですから、ラスベガスにオフィスがあったとしたら、それは早くとも1957年以降であることは確実だと思われます。しかし、もともと「Service Games Japan」は、ブロムリーが世界に築き上げたシンジケートの一パートに過ぎず、同じ時期にはパナマにも「Club Specialty Overseas」という会社を建てるなど、世界各地でセガ以外の名称でも活動をしていたという事実や、「SEGA」の文字が1965年よりも早い段階でブランド名として使われていた事もあって、これ以上の推測を難しくしています。

しかし、あるとき手持ちの資料をひっくり返していたところ、60年代のラスベガスに、まちがいなくセガのオフィスがあったことを証明する別の資料を発見しました。

(次回に続く)

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