笑いと癒しの音楽クリエイター、セシリアみつよです。
いつも読んで下さって、どうもありがとうございます。
『私の魔法 格調の高いらしいことを、どうっちゅう事ない事にしてしまうこと』で書いた事に通ずると思いますが、もっとこう、身の回りの事に1つ1つ注目する事って大切なんかなぁと思います。
例えば、私は家に週6日います。
1日は外部教室に行きますけど、あとは家で教えたり練習したり、書く仕事したり。
ほんで、片付けるのは好きなので、割と片付いてます。
引き出しの中とはグチャグチャのもあるけどね。
家が100㎡越えのマンションならいざ知らず、普通のマンションですから、片付けないと狭いですやん。
ピアノの部屋が防音室なので、デカイ声を出してもそんなに聞こえないから、ピアノの部屋でヒプノ氏は祝詞を上げはりますが、清浄な空気にしときたいらしいです。
ウチのピアノの部屋、だから結構ピンと張った空気感がありますです。
マイ神社。
飾ってるのはミカエルとかガブリエルとか、天使やけど。
そんな家におる私でも、いろいろ仕事が重なったりしたら、やはり仕事優先で忙しいです。ほなら、掃除とか行き届かんです。
掃除機のところを、「今日はモップでいいっか~」とか、「もうええやん、今日は箒で」とか。まだ道具が頭にある時はいいです。
全然「掃除」の「そ」の字もない時もありますやん。
心が落ち着いてる時は、テレビ台とかホコリあったら拭いたり、でも、バタバタしてる時はそんなんに見向きもしませんやん。
ほんで、落ち着いたら「うわっ溜まってるやん」と気づく。
そ~か~。「忙しい」って、「心を亡くす」て書くやんな。
「心を無くす」じゃないねん、「心を亡くす」やねん。
「無」と「亡」の違いて何やろ…と、ヤヤコシイこと考えるの好きな私は、考えました。
みつよ説だから、合ってるかどうか知りません。
「無」は、たとえ無くなっても、また代わりの物があったり、別の物で補えたり、掛け替えの「ある」ものに使われます。
「亡」は、なくなったらもう、手に入らないもの、命とかそんなんですね、掛け替えの「ない」ものに使われます。
だから、心を亡くすのは、とても大きな事なんでしょうね。
「忙しい」というのは、ただただ時間と言うものに振り回されると言うことなんでしょうか。
心があるところに、心がいてへんということですよね。
んで、ここにまた問題が。
同じ文字「心」と「亡」、2つを使われる漢字。
「亡」の場所が違うんですね。
横にあるんか、上にあるんか。
「忙しい」と「忘れる」は同じ意味…らしいです。本来は。
でも、今は使い方として、ちょっと違いますよね。
まぁ、忙しかったら忘れ物よくしますしね。
私なんか、スケジュール書いてても忘れますしね。
さっきの私の掃除だって、忙しかったら忘れますしね。
「必要十分条件」みたいな考えでいけば、「忙しい」と「忘れる」事はあるけど、「忘れる」からといって必ず「忙しい」とは限らないのですよね。
「忙しい」のが「原因」とはなるけど、「忘れる」のが「原因」とはならないのです。
という事は、「忘れる」というのは、「忙しい」よりもっと上の位置にあるんでしょうか 。
だから、「心」の上に「亡」がいるのかもですね。
「心」の上に「亡」が覆いかぶさって、包み込んで、一切合切の事を封じ込めたり、なくしてしまう事…なんかな
一方「心」の横に寄り添う「亡」は、寄り添ってるだけだから、時々覆い隠したりするけれども、時々は心がおるねん。
そういう感じなんかな
どっちにしても、重いか軽いかの違いはあっても、心をなくすのは違いないのです。
つづく
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