ミケランジェロ・ブオナローティ

(1475₋1564)

http://www.b-family.org/public_html/omoi/015/mikedoc.htm

 

 

貴族の血筋の生まれでありながら、当時低級な職と見なされていた芸術家の道を志す。

彼の残した作品の数々は、誰もが目にしたことのある素晴らしい作品ばかりである。

しかもその作品を手掛けた年齢には、目を疑ってしまう。

 

『ケンタウロスの戦い』 (1491-1492) 当時17歳

 

『サン・ピエトロのピエタ』 (1498-1500) 当時25歳

 

『ダビデ像』 (1501-1504) 当時26歳

 

『システィーナ礼拝堂の天井画』 (1508-1512) 当時34歳

 

『システィーナ礼拝堂の壁画/最後の審判』 (1535-1541) 当時66歳

 

生前、彼はこう語っている。

 

「私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために掘ったのだ。」 

 

「どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが、彫刻家の仕事だ。」

 

「石の中に埋もれている人が、早く解放してくれ、早く自由にしてくれと、私に語りかけるのだ。」

http://meigen-ijin.com/michelangelo/

 

立体的な像を掘るとき、一般的には均整を保つために全方向から徐々に掘り進めていく手法をとる。

しかしミケランジェロは、一方向から掘り進めて作品を完成に至らせた。

 

そのような仕業を成せたのは、彼が語った言葉のごとく、彼には大理石の中にこれから彫り上げられる対象の形がはっきりと見えていたからなのだろう。

 

 

食事は慎ましかった。

少しばかりのパンと、少しばかりのワインを飲むだけ。

何日間も服も着替えず靴も脱がずに作品製作に没頭した。ある日、やっと靴を脱ごうとしたときに皮膚も一緒に剥がれ落ちるということが起きたりもした。

 

自身の作品のために他のすべて捧げるほどの情熱的な人物、ミケランジェロ。

そこまでしなければ、これほど偉大な作品の数々をわずかの期間のうちに仕上げることなど到底不可能だろう。

 

しかし彼のような人間でも自分自身の弱さや価値のなさを自認している側面もあった。

 

「私は神が出来うる限り私の命を永らえるために、私に与えられた芸術分野で働いている、貧しくあまり価値のない人間だ。」

 

そうした自身の弱さを補完していたのは、作品製作においても深く関わりのあった聖書における神の存在だろう。

システィーナ礼拝堂の天井画を仕上げる前には、祈祷を行ってくれるように要請していたという事実もある。

キリストへの信仰が自身を芸術家として立たせ続ける大きな支えとなっていたことは、彼が語る言葉を振り返ってみても明白だ。

 

「主よ、私がいつも成し得る以上のことを望むことを許したまえ」

 

「真の芸術作品は、神が与える完成の影に他ならない」

 

「だから立派な芸術家は神と近づき神と一体となるものでなくてはならず、芸術家の生活は出来る限り清らかで、聖なる霊がそれを支配するようなものでなくてはならない。」

 

生涯独身、82歳の長い人生を支えたのは神への信仰だったのだろう。

 

 

ルネサンス期に生まれた傑物、

ミケランジェロ。

 

彼の存在、彼の作品は、世間の芸術に対する見方を大きく変えるきっかけをつくった。

 

そしてその後、ミケランジェロその人に影響を受けた人が数多くいることもまた事実。

死後400年以上経ったいまでも、彼の息遣いは多くのアーティストの作品から聞こえて来るのだ。

 

スティーヴン・スピルバーグ作の映画、「E.T.」のあの名シーンは、システィーナ礼拝堂の天井画、『アダムの創造』にインスパイアされたものだ。

 

また日本人に馴染みの深い『ジョジョの奇妙な冒険』で話題となった"ジョジョ立ち"は、『ダビデ像』からインスピレーションを受けたものだと、作者の荒木飛呂彦さん自身がおっしゃっている。

 

歴史に名を刻む人物の生きざまや、言葉というのは時を越えて人々の心を打つものがある。

 

ミケランジェロ・ブオナローティ。

 

彼のような情熱と、彼のように自分の弱さを認められる人が、いまの時代にも現れてくることを願おう。

 

アメンバーぼしゅう中 読者登録してね

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ペタしてね