【駒寄テケテケ日記】(3/18) 明日咲く花 | でぶりんのブログ

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[発表T2V]
youtubeにアップすると少しずれます。原因は良く分からないそうです。すいません。

 

 


[発表元原稿]

[闘病記テケテケものがたり/でぶりん - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/1177354054885326758]

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 同室の隣人についての意識もこんなにも変わるんだから,友人についても変わらないはずがない。Nさんが友人からのお見舞いの品を大量に持ってきてくれた。一人でこんなに沢山大変だったと思う。ありがとう。

 千羽鶴にぬいぐるみに花束。千羽鶴!作ったことはあるけど,頂いたのは初めてだ。どうやって作るんだ?友人の看護師さんが指導して皆で作って下さったそうです。これは嬉しい。私を思って祈りを込めてくれた時間が1000羽分も詰まっている。千は千でも番号1000ではなく,荻野千尋ちゃんの千の方だなと思った。1000通りもの生きられた時間と思いが込められている。ただ合わさったものではない。一つ一つ味わうべきものだ。

 千羽鶴の一番上には特大の鶴が2つ居る。看護師さんとcello弾きの夫婦の手によるものだ。二人の存在の大きさのようだ。彼の泣くような,でも途切れず,太い音で悠々と奏でられた「Time after time」が頭の中で流れた。もちろん歌とピアノ,リズムは,私の大好きな友人三人。彼の「雨を待ってる」は倒れて意識のないとき,なぜか南佳孝さんの「土砂降りの雨 濡れた黒猫♪」と頭の中で交互に繰り返していた。

「雨を待ってる あの日見た 夢の向こう この思いは続いてる

 続いてるんだ 願いを重ねて 見上げている♪」。

前半の「この思いは続くのか」と疑問形で歌われていたのが,後半では「続いてる」に変わる。問いかけが確信に変わっている。倒れて朦朧としながらも,繰り返し歌っていれば,思いをたどって,皆のもとに生きてたどり着けるだろうとでも思っていたのだろうか。

 しかし,俺には1000人もの友達がいただろうか?自問せずにはいられなかった。実は事務所代わりに使わせてもらっていたカフェ,レストラン,バーの常連さんまでも折って下さったのだ。W君は,一人で350羽も折って頂いたそうである。彼に至っては私は会ったことさえもない。自分が会ったことも無い男にこれだけのことが出来るだろうか?350ですぞ。1日1羽折っても,まる1年かかる。感謝の念に堪えない。退院したらどんな身体でいても,彼の住むアリゾナまでお礼を言いに行きたいものである。

 花束に目を移すと社長の名前が…。なんでわしなんかに?!ただの客なのにこんなに気を使ってくれるのか?私は彼を社長とは知らず、次々とはたらいた数々の無礼を思い出した。友人と間違えて社長は仕事中なのにわしのワインを無理矢理ついだこと。スタッフだけの会議なのに,閉店後店の隅で勝手に仕事をしている私を,追い出すどころか,先生はそのままそこで仕事していてと言ってくれたこと。諸々が思い出されて,自分は何をしていたのだろうか。お客様としてふんぞり返っているだけで,客だから分かる視点から気づいたことを,お店に役立つ形で提供できていただろうかと反省した。店員達との仲間意識が勝手に強すぎて,経営者としての苦労に寄り添えていなかったのでは無いかと反省した。

 「知人」と「友人」。親密さの度合いぐらいの違いぐらいにしか思っていなかった。知ることから縁は始まる。これは間違いない。でも「知は力なり」で,個人的で私的なつながりを「力」と結びつけることに熱中するのでなく,知ることは,「気を配る」。自分の気持ちを知り合った人に預けておくことを始めるのだと知った。あなたは今は何をして,何を思っているのでしょうか?常にそう思っている自分を預けさせてもらうことから知人になるのだと分かった。友人は成果の花で有り,努力目標なのだと思った。友になれれば幸せだが,えてして失敗とつまずきの連続である。時の積み重ねが「友」にさせてくれる。

 Nさんは「ボーン・コレクター」という本を紹介して下さった。「首から下が麻痺した元刑事で科学捜査のプロと彼の目、鼻、手足となる女巡査が稀代の殺人鬼を追う。傑作ジェットコースターミステリ」だそうだ。私とよく境遇が似ている。執筆も一段落ついたし,是非読んでみよう。

 自分の目,鼻,手足となってくれと図々しく頼んだわけではないが,病室にいるのに外の世界で何が起きているのか分かるようになってきた。1000もの皆さんの心を置いて下さったからで有り,自分も病気をして努力したというより,皆が今どうして何を考えているのか気になって仕方がないのである。心配りせずにはいられない。

 

6/1

 知ることで大きな衝撃と余韻をえて「知人」になってから、「友人」への変化を模索する。そうして「友人」になったら、常に関係をドラスティックに深化させる。1年も前のことなのに,多少の瑕疵があるが鮮明に思い出せるのは友人Yちゃんのお陰である。

 彼と私は同い年なのだが,時に彼は私の息子になる。一緒に鮨屋に飲みに行っては,「パパぁ,回らないお鮨ワクワクするね。」と私をドキドキさせる。空気を一瞬にして塗り替えて,「なんだ前の奧さんとの間に息子さんいたんだ」と納得顔の面々。一人納得いかないのは私だ。実に一瞬にして空気を変える。

 私が突然皆の前から消えて,どうやら仕事先で倒れたらしいと気づきはじめたころ,「生きている」とわかって感動的で華やいだ気分に皆がなった。けれどもすぐに続くであろう「でも五体不満足になったらしいぜ」と重苦しい雰囲気になる直前に,加齢もとい華麗にハゲネタに変えてみせる。「ところででぶりん髪増えた?いいえ,増えてません。落ち武者のように伸びただけです」となる。全く暗くならない。見事なものだ。彼はヘアメークをしていて、その筋の超一流だから誰もが疑わずにそのネタに飛びつく。自分ではちょっとは増えたかなと思っていたのに。

 そんな彼だが「でぶちゃん,闘病記書きなよ」と言ってくれた。「教壇に戻れるかどうか分からないからさ,書いてみればいいじゃん。寝てるだけなんだし」そりゃそうだ。自分が書ける書けない,教壇に戻れる戻れないは関係ない。「Do!やってみる」。いつも生徒に言い続けていたことじゃないか。自分がやらないでどうする。やってみなければ見えない景色もある。そんな景色を見ながらいまこれを書いている。テケテケものがたりも彼の命名だ。一流の毒を含んでいるが。

 過去は膨大な全体を持っていても,時が一つ,二つと櫛の歯が欠けるように満月をやせ細らせる。それは悪いことではない。大震災で失った肉親,友人の悲しみをいつまでも忘れられず,鈍く光るままでは堪らない。月明かりに照らされたくない夜もある。光らなくてもいい。そこにいてくれさえすれば。

 でも,完全に忘れ去ってはいけない。忘れないでいれば,未来の一時点から過去をふり返ってみれば,過去から未来へと続く一筋の道が見える。自分が何を感じ,どう考えてきたのかたどることが出来る。何を残し,何と別れを告げたのか。未来は確かに自分の手中にはある。でも,同じように過去も自分の手の中にある。しかも,実際に汗水垂らして,もがいて生きてきた。人は過去の編集者であることを彼は教えてくれたのである。過去をどう集約し,意味づけるのかは自分なのだ。

 同僚との関係も変わる。予備校講師なんてきちんとした所は専任講師で永続勤務させてもらえるが,大部分は非常勤。芸能人やスポーツ選手と同じと言えば聞こえはいいが,要は日雇い。なんの福利厚生も公的保証もない。私も医療保険に自分で入っていたから,入院している今のところ食っていけるが,将来は不安だ。教職に戻れるのが一番だが,友人に助言されて始めた書き物も仕事にしていかなければいけないかもしれない。いい研修にさせてもらっている。本当に友人は有り難い。自らもフリーでやってきた人は,目の付け所もアドバイスも全然違う。生き残ることに直結している。

 喜びの歌のシラーは,「友達は喜びを二倍にし,悲しみを半分にする」といった。「喜び」と「悲しみ」を空欄にして予備校関係者にテストしたい。きっと逆に入れるものが沢山いる。同僚が人気が出たり,参考書が売れたりすると,自分のことのように喜んで喜びを二倍にするどころか,聞こえるようにチッと舌打ちして喜びを半分にする。同僚の失敗は一緒に悲しんでフォローして半分にしてくれるどころか,大騒ぎして傷に塩を塗りこんで悲しみを二倍にする。やれやれ。気心しれたごく少数の友人と付き合うだけで,業界以外の関係者とばかり付き合っていた。来るものは拒まず,去るものは追わず。あっさりしたものである。

 S君ともA県のN高校の出張でたまたま一緒になったぐらいである。私は何をしゃべったのか忘れるぐらいベロンベロンに酔っていたが,授業のプリントを見せたり,教材の作り方を話したようだ。すぐに盗めるようなものは秘密なんかじゃなく,習得すべき技術なんで,授業には学校の先生,父兄に積極的に参加してもらっている。とにもかくにも同僚にしては変な奴と記憶に残してくれたらしい。

 その彼がお見舞いに来てくれるという。しかもA本の編集者を連れて。A本のK社と言えば京都だぞ。それが立川まで。なんで?という私に,「そんなの先生が問題集書くにきまっているでしょう。ノウハウを全部盗んでやるんだから。ぶつくさ言ってないでとっとと書け!」と言ってくれた。

 悪ぶって言ってはいるものの,私の将来を案じてくれたのだろう。本当にいい男である。夜の真っ暗なベッドで,将来への不安に震えるのでなく,どう書いてやろうとわくわく思案できる贅沢。縁は私的で個人的なものから始まるが,その広まりは時間的,空間的制約を超える。期待を裏切らない良いものを書き上げたい。(書けた?書店で立ち読みしてください)

[カクヨム]
https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054885363026/episodes/1177354054885458374
 

[センター数学満点のコツ]
「センター数学満点のコツ1A2015年1A本試追試」たった100円。コピー代より安い。良心的だと思うが。epubファイル変換が多すぎて上手くいかず、とりあえずこれでいく。コミック扱い…
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次の解説出題は日曜です。

 

[朝日三本]
今日は大学関係者もいらっしゃるので。

一本目

英語民間試験、増す不安 東大「使わず」・国大協は配点抑制案

2018年3月15日05時00分

 大学入試センター試験の後継として、2020年度から始まる大学入学共通テストの目玉の一つは、英語の4技能を測るため、民間試験を活用することだ。しかし、その民間試験をめぐって大学側から疑問を投げかける動きが相次いでいる。国立大学協会は配点を英語全体の1割弱に抑えるイメージ案を作成し、東京大は「合否判定に使わない」という方針まで示した。大学入試改革の根幹を揺るがしかねない事態だけに、波紋が広がっている。▼社会面=試行調査の結果は

 「公平、公正の担保が社会の要請に堪えうるのかという議論は、当事者として深めないといけない」

 8日、東京都内で開かれた国立大学協会の総会。英語の民間試験を活用するためのガイドライン案をめぐる議論になると、東京大の五神真総長が真っ先に手を挙げて発言した。入試ミスが相次いで発覚したことで、公平・公正に対する期待の高さを改めて認識したとして民間試験の公平さに疑問を投げかけた。

 2日後には東京大の入試担当の福田裕穂副学長が記者会見で民間試験について問われて「(合否判定に)使わない可能性が極めて高い」と答え、さらに踏み込んだ。

 背景について、東京大の複数の関係者は「このまま進んでよいのか、という懸念が学内で強かった」と明かす。東京大が2月に開いたシンポジウムでも、不安を訴える声が相次いだ。

 元々、国大協も民間試験への移行に慎重で、「センター試験の廃止は時期尚早」などと訴えてきた。文部科学省が移行措置として20年度からの4年間、センターが作成する試験も併用する方針に転じると、民間試験とセンター作成の試験の双方を全受験生に課すことを決定。今年2月には、民間試験の配点割合を「英語全体の1割弱」とするイメージ案を作り、各国立大にも送っている。

 それでも、東京大が「使わない」と言及したのは、文科省にとって寝耳に水だった。林芳正文科相は13日の会見で「しっかり検証をする必要があるという趣旨の発言だったと聞いている」と述べた。だが、幹部は「今の入試で良いと思っているのか」「東大は社会的影響力もよく考えて発言して欲しい」とこぼした。

 実際、影響は広まっている。東京外国語大の林佳世子副学長は個人の意見としたうえで、「東大の意見は私たちもかねて指摘してきたこと。目的の異なる試験を比較し、入試に使うのは問題がある」と語る。(増谷文生、張守男、片山健志)

 ■受験は無制限、不公平も

 なぜ、文科省は民間試験にこだわるのか。英語の4技能のうち、日本の高校生は「話す」「書く」を特に苦手としている。「人口減が進むなか、グローバルマーケットに目を向けないと」と話す文科省幹部は、英語でビジネスを展開できる人材を増やす必要性を訴える。

 しかし、センター試験と同様の50万人規模で「話す」「書く」まで測ることが難しいため、民間試験を使うことにした。導入の議論に関わった上智大の吉田研作・言語教育研究センター長は「新しいテストをつくるとお金も労力もかかる。民間試験を使った方が効率的だ」と語る。

 自民党の「教育再生実行本部」も13年4月、TOEFLを大学入試に義務づけることを提言していた。留学する学生の英語力を測るため、多くの国で用いられている試験だ。ところが、留学希望者向けの試験であるため、英語力が低い生徒にとっては難しすぎる。「そこで、他の民間試験も含めて、広く考えることになった」と文科省幹部は明かす。

 課題は山積している。各試験は開発目的がバラバラで、日本の大学入試を必ずしも想定していない。入試センターは欧州で使われているCEFR(セファール)という尺度に対応した、段階別の成績表示を提供する方針だが、全部で6段階しかなく、厳密な比較は難しい。

 全国一斉のセンター試験と異なり、民間試験は1年に何度も受けられ、裕福な受験生が有利だとも言われる。文科省は高校3年生の4~12月に受けた試験結果を2回分まで大学に送る方針だが、受験回数は制限していないためだ。頻繁に試験がある都市部の受験生と比べ、地方の受験生が不利になる可能性もある。

 入試センターは今月中に、7団体10試験の審査結果を発表する予定だ。(根岸拓朗、編集委員・氏岡真弓


数学は満点のコツの作成部会の議論をみても立派な仕事をしているので心配ない?なのですが民間業者はしたたかです。

日本目

英語教育、「話す」「書く」に商機 AIで発音確認・オンライン会話 大学入試改革控え

2018年3月20日05時00分

 2020年度以降の大学入試で、英語に「話す」「書く」技能が加わることを踏まえ、企業が対応に乗り出している。少子化で生徒数の減少が避けられない中、教育関連業界は「新たな商機」として注目。業界の枠を超えた動きもあり、競争は激しくなりそうだ。

 パソコン画面に表示されている英文を、4月に高校1年になる女子生徒が教室の個別ブースで読み上げている。終わると、「children」の部分だけが赤い字になった。

 東京都武蔵野市の東進ハイスクール吉祥寺校で使われているのは、人工知能(AI)を活用した英語教材アプリ。生徒が英語で文章を読み上げると、「r」と「l」、「b」と「v」など、間違いやすい発音をAIが自動認識。発音が正しくないと、画面でその単語が赤くなる。今回の制度変更後、初めて受験する新高1生から本格運用を始める。

 河合塾も、生徒個人がタブレット端末などで英語の「話す」「聞く」の学習ができるアプリを導入。英文を読み上げたり、音声データを聞いたりできる。英語での討論や発表をする少人数講座も開設した。福永就夫・進学教育事業本部長は「シェア確保と単価アップにつなげたい」と意気込む。

 個人情報の流出問題があったベネッセコーポレーションも、入試改革を反転へのきっかけにと考える。主力の通信添削講座「進研ゼミ」の新高1生向けに、月1回15分のオンライン会話の無料サービスを4月号から始める。タブレット端末などで外国人講師とリアルタイムに話ができる。

 ■相次ぐ新規参入

 動きが及んでいるのは、従来の「教育産業」だけにとどまらない。

 スマートフォンなどで5教科4万本の授業映像を配信する「スタディサプリ」に、入試改革に対応した英語授業を新たに設けることも検討しているのはリクルートマーケティングパートナーズだ。

 結婚情報誌「ゼクシィ」を発行する同社が今の形でサービスを始めたのは13年3月。もともとは塾に通っていない生徒向けだったが、今では塾に通う層にも月980円(税抜き)見放題のサービスは浸透している。「入試改革で変わる英語の対策にも役立つ。新高1生に使ってもらいたい」と担当者。

 ベンチャー企業の「スタディラボ」(東京)が、塾や学校に売っているオンライン英会話システムは現在、新規受け付けを停止している。15年末の販売開始以降、システムの安定性が高く操作しやすいと評判に。システムを使っている生徒の数は5500人と当初の40倍になり、引き合いに対応しきれなくなった。

 東京都は、学研ホールディングスなどと連携し、英語村「TOKYO GLOBAL GATEWAY」を9月に開設する。江東区につくる施設で、小学生から高校生らが日常生活のシチュエーション別やテーマごとに、1日か半日、英語漬けの生活を体験できるようにする。

 (佐藤亜季)


それこそAIの導入されている学校に地域格差があると思いますが。専門家が判断してくれるから良い?専門家任せで良いのですかね?

 

三本目


(インタビュー)認知症になって 医師・長谷川和夫さん

2018年3月16日05時00分

 かつて、「痴呆(ちほう)」と呼ばれて偏見が強かった認知症と、私たちはどう向き合えばいいのか。長谷川和夫さんは半世紀にわたり、専門医として診断の普及などに努めながら、「認知症になっても心は生きている」と、安心して暮らせる社会をめざしてきた。89歳の今、自身もその一人だと公表し、老いという旅路を歩んでいる。

 ――自身の認知症を疑ったきっかけは、どんなことでしたか。

 「これはおかしい、と気づいたのは1年くらい前かな。自分が体験したことに、確かさがなくなった。たとえば、散歩に出かけ、『かぎを閉め忘れたんじゃないか』と、いっぺん確かめに戻る。確かに大丈夫だ。普通はそれでおしまい。でも、その確認したことがはっきりしない。そして、また戻ることもあって」

 ――昨年11月に病院に行き、診断を受けたそうですね。

 「弟子が院長をしている専門病院に、家内と行ったんだ。MRIや心理テストを受けたら『嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症』っていう診断がついた。物忘れ以上のものを自覚していたから、あー、やっぱり、と。戸惑いはなかった」

 ――初めて聞く名前です。

 「このタイプは物忘れや頑固になるといった症状が出るが、進行は遅い。昔より多少イライラする頻度が増えたかな」

 「認知症になるリスクは、年を重ねるごとに高まる。長寿化に伴って、僕のように80歳、90歳を過ぎてからなる人は増えていく。これを『晩発性認知症』という、一つのカテゴリーだと唱えている。100歳でも全然ならないピカピカの人もいると思うんだ。それはエリートだな、ごくわずかの」

 ――公表することに、ためらいや迷いはなかったですか。

 「いやいや。僕が専門医であることは知られていて、その僕が告白して講演などで体験を伝えれば、普通に生活しているとわかってもらえる。認知症は暮らしの障害で、暮らしがうまくいくかどうかがいちばん大事。僕の話から多くの人が理解してくれれば、認知症の人の環境にもプラスになる」

 ――今は、1日をどのように過ごしていますか。

 「朝6時半ごろに起きて、朝昼晩の食事。その間に散歩したり、図書館や近所のコーヒー店に行ったりする。今日が何月何日なのか、時間がどれくらい経過したかがはっきりしないけれど、不便だと感じることはあまりない。夫婦2人だけの生活で、やるべきことは毎日ほぼ同じだからね」

    ■     ■

 ――医師として働いていたときには思いもしなかった発見は、何かありますか。

 「『デイサービスに行った方がいいですよ』と患者さんに言っていたのに、今度は自分が行くことになった。昨年6月に転んで骨折してから週1回通っているが、学ぶことが多いね。午前中に入浴があって、スタッフが体を洗ってお風呂に入れてくれる。いかにスタッフが訓練を受けて、一人ひとりの利用者の情報を持っているかがケアでは大事なのか、その言葉やしぐさからわかる。自分の体を通して、勉強している」

 ――振り返って、患者さんに「ああしておけば良かった」という思いはありますか。

 「ある男性の診察をひと通り終えたとき、僕に一つ聞きたいと言ってきたことがある。『先生、どうして私は認知症になったんですか。他の人ではなく、どうして私なのでしょうか』。切羽詰まった感じで、何と答えたらいいか、わからなかった。何も答えられなくて、その人の手を握って。目を見つめて、そうだよね、と言った。今はより、彼の気持ちが、あの質問の思いがわかる。それでも同じことしかできないと思う。だって、神様ではないから。答えなんて、わからないよ」

 ――現役時代に開発した、九つの質問で測る簡易診断テストの「長谷川式認知症スケール」=キーワード=は、広く臨床の場で用いられてきました。

 「元々は、てんかんの診療をしていたが、1960年代に東京都内の老人ホームの利用者を対象にした健康調査を任され、初めて認知症の人の診断をした。上司から、誰が調べても診断が一致するような『ものさし』をつくりなさい、と言われて考えた」

 ――誰が検査しても、ほぼ同じような診断結果が出るのが、特徴です。

 「困ったな、と思うこともある。安易に使われすぎて、本人の気持ちを考えずに検査をする医者がいる。質問で『お年はいくつですか』と、のっけから大事な個人情報を聞く。それからいい大人に『100から7を引くと、いくつですか』とも尋ねる。『冗談じゃない、何を言っているんだ』と怒るのは当然でしょう。診察に必要だからと、医者の側が本人と家族に協力をお願いする姿勢が、必要なんだ」

    ■     ■

 ――介護保険制度が始まる20年近く前に、認知症の人が集まって日中を過ごす「デイケア」も始めました。当時は画期的な取り組みでした。

 「やむを得ず取った策とも言える。長谷川式を発表したこともあって、多くの患者さんが外来に集まってくるようになった。本人も家族も、色々と聞きたい。たとえば『もう80歳を超えていますから、田舎に帰って1泊か2泊して、近所の人に会って別れを告げてきたい。でも、環境が変わると症状がひどくなるという話もありますけれど、大丈夫でしょうか』と。大勢がひしめくなかで、そんな長い話をしたら大変でしょう」

 「これは困ると思って、看護師にデイケアをやってみようと思う、と相談したら、二つ返事で引き受けてくれた。外来の延長線上でデイケアを始めた。歌を歌ったり、ゲームや座談会をしたり。その様子を、一方からだけ見える鏡を使って、隣の部屋から家族に見てもらうこともできた」

 ――医師として認知症にかかわり始めてから、50年が過ぎました。「痴呆」の名称変更を要望し、国に働きかけましたね。

 「2004年まで、『痴呆』と呼ばれていた。差別的な表現で、何もわからなくなる、というイメージでとらえられてしまう。痴呆になるのは恥ずかしいことだという偏見から、早期発見や診断を妨げている原因にもなっていた。昔、調査で首都圏の郊外に行ったら、納屋のような所に隔離されていた人を目の当たりにした。かぎもかけられ、隣は馬小屋だった。隠す存在という、ひどい時代もあった」

 ――社会は、変わりましたか。

 「まだまだ不十分だけれども、10~20年前に比べたら知識は著しく広がった。『認知症の人と家族の会』の功績は大きい。国に対して提言する力を持つようになった。全国に支部があり、国や地方自治体に声を上げているから、もう無視できない」

    ■     ■

 ――「認知症になっても心は生きている」と言い続けてきましたね。「心は生きている」とは、どういうことでしょうか。

 「『特別な病気になった何にもわからない人、だからなんとかしてあげないとかわいそうだ』。それは、だめだよ。自分と同じ『人』だということ。根本的な治療がないのは知っているが、それ以上のことは多くの人が知らない。なんていうのかな、周囲は本人に尋ねることはしても、本当にその人の話を聞いていることは少ないように思う。確かに、できないことは増えていくけれど」

 「何も話さなくなるかもしれない。ご飯を食べなかったり、暴れたりするかもしれない。その時も『大丈夫よ』と言って、その人が好きなものを尊重する。同じ目線の高さになって、ね。得意なことを生かして、その人に役割を持たせることも大事。人という漢字は、人と人が支え合ってできている。それが『パーソン・センタード・ケア』だ」

 ――当事者や家族が暮らしやすい社会とは、どんな社会ですか。

 「観念的になるかもしれないけれど、ぬくもりや人と人との絆がある社会。たとえば、おいしい梨が届いたら、隣近所に分ける。今度は、うちに柿が届いたからあげましょう、といった交流があるような。少しずつでもいいから、広がっていけばいいね」

 「一気にバラ色をつくるのは難しい。一人ひとりに考えが染み渡り、努力してつくるより道はない。まじめに、地味に、やっていく。それは僕も心がけている」

 ――でも、診断を受け入れられない人もいるのでは。

 「希望は捨てない。今は暗く、つらいかもしれないけれど、明日は明るくなる。そう念願して欲しい。当事者からの発信も、最近は増えている。本人が発信することで、『隠すことはない』『年を取ったら誰でもなるんだな』と皆が考えるようになれば、社会の認識は変わる」

 ――これから、どう生きていこうと考えていますか。

 「人生の色々なことを体験して、最後の段階に来た。老いることは、死に近づいてきたこと。この世に生きている間は、講演に限らず、自分ができて、他の人の役に立つことをやり続けていきたい」

 (聞き手・及川綾子)

    *

 はせがわかずお 1929年生まれ。認知症介護研究・研修東京センター長などを歴任し、医療やケアの普及、教育にあたった。現在は同名誉センター長。

 ◆キーワード

 <長谷川式認知症スケール> 認知症診断のための簡易スクリーニング検査で、長谷川さんが1974年に発表。91年に改訂された。「今いるところは、どこか」や、少し前に覚えたことを思い出してもらうといった九つの質問に答える。30点満点で20点以下の場合に、認知症の疑いと判断される。この検査だけで認知症の確定診断はできない。


医師も信用ならない?そうなりますか?信用できない医師もいるから二重三重のチェックがある社会にするのが目標なんでしょう。心の問題ですね。でも心も間違えがない方にきちんと使わなければいけません。忖度に心を使って、事実をねじ曲げてはいけませんものね。財務省さん?ごきげんよう。

 

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