息苦しくなってきたら、自分が信じていることを疑ってみる。
それでね、
が〜〜〜〜〜〜〜〜ん
の続きです。
私が、自分が信じている世界を子どもたちに押し付けて、
子ども達が持っている種をダメにしようとしている。とPJに言われた続き。
「でも、私は子どもたちのことを思って」
「子どもたちは、そうしたいと望んだ?」
「そんなこと、子どもだからわからないよね?」
「あなたは、子どもより自分の方がエライ、自分の方ができると思っている。
だから、コントロールしたいんだ。自分のいうことを聞きなさいって。
でも本当にそうかな。それで子どもたちは幸せになれる?」
「まずは、やることをちゃんとやってから、基礎ができてから
ノビノビと自分の好きなことをやればいいんじゃない?」
「それは、レンゲ草の種に向かって、バラになれば幸せだから、バラになりなさい、と言っているのと同じでしょう。バラになれないレンゲ草は、自己嫌悪の中で生きて行くしかない。」
「もうなんだかワケがわからない!なんなの、このPJという人は!」
当時の私はこんな風に思っていました。
私は、PJに救われました。
PJに出会わなければ、まちがいなく、
私は自分の子どもたちを潰していましたね。
愛情とエゴを履き違えて
世間で素晴らしいとされている道を歩かせることに一生懸命になっていたでしょう。
親の仕事は、
見守ること。(観察=observation)
ちゃんと芽を出すかどうか心配して、毎日土を掘り返さないこと。(抑制=inhibition)
肥料(美味しい食事)と、光(暖かな愛情)で
十分に花を咲かせることができる、と信じること。(信念=trust )
異常がおきているサインが見えたら
手を差し伸べてあげればいい。 (方向を与える= direction)
これは私にとっては修行となりました。
明らかに、これじゃダメだよー、と私が思うことも
子どもたちから「失敗する経験」を奪ってはいけないと。
失敗だらけの私が言うのもなんですが、
失敗から学ぶことは、成功から学ぶことよりはるかに大きい。
だから、本当の意味の失敗なんてこの世の中に存在しない、
私たちがそのことに気づきさえすれば。
アレクサンダーテクニックに惹かれたのは、
このPJの教えと共通項がたくさんあったからでした。
自分が「思い込んでいる正しさ」が、
自分をダメにしてしまうことがある。
自分の体の使い方が悪いなんて夢にも思っていなかったのに
私ったら、立っている時も、歩いている時も、料理の時も、歯を磨く時も
すべてに余計な力が入っていた。
それで、慢性的な腰痛や肩こり、四十肩、ストレスからの胃腸炎、めまいなど
今にして思えば、当然だよね。。。と思うけれど、
ありとあらゆる痛みを経験しました。
もし、アレクサンダーテクニックに出会っていなければ、
その前にPJに出会っていなければ、
私は自分の心身の痛みを、自分の外側に要因を見つけ出して
最後には「もう歳だから」と勝手に諦めて、
自己矛盾と痛みとともに生きて行くことになっていたでしょう。
末っ子が今年、アメリカの高校を卒業します。
本人は「がんばるのが大嫌い」を公言するのんびり屋。
彼の芽をつぶさないように、私自身を抑制=inhibitするのに
アレクサンダーテクニックはとっても役に立ちました。
「まだまだやけどな・・・」(nobinobiくんのつぶやき)
その結果、いろいろなことが話し合える親子関係が築けたし、
がんばるのが大嫌いな子にしては、成績が驚くほどよかったのは
「オカアからのプレッシャーがなかったから」と本人。
「子育て大成功ですね」というお褒めの言葉を
何人もの方からもらったけれど、全然ピンとこない。
学校の成績がよくても、違うところでできていないことはたくさんある。
学校の成績が驚くほどよくない(笑)他の子も、違う分野では輝いている。
大切なのは、生き生きとした目をしているか、どうか。
それは、本当のところ
自分が一番大切にしなくてはいけないことなんだね。
今日も読んでくれてありがとう!