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 葬式の日には雨が降っていた。それはよく見ていないとわからないくらいの細かな雨だった。参列者は少なく、灰色に塗りこめられたような式場には黒い服装の者たちが緩慢に動いていた。強士は後ろの方に座り、それをずっと見ていた。幾人か見知った人間がいることに気づいていたけれど、目を合わそうともしなかった。脚を前へ投げだし、背中を椅子に押しあてていた。弱く息を吐きつづけているのが自分でもわかった。

 

 式場にはピアノの音が流れていた。『雨だれ』がかかり、『木枯らし』がつづき、『モスクワの鐘』が流れた。周は実穂と一緒にやってきた。強士の脇を通り、空いている前の席に座った。献花のときも強士は動かず、ただ前を向いていた。自分が持っているはずの感情がどういったものかもわかっていなかった。もやついていて見えにくいものがあるだけだった。

 

 繰り返されるピアノの曲が『木枯らし』になったとき、強士はあの発表会を思い出した。舞台の上にいる美以子、光量の強いライト、聴衆は美以子の内なるものを見たいという欲求を持っているかに思えた。奏でられる音を聴いては、その先を知りたいという興味を持っているようだった。ただ、その先? と強士は思った。冗談じゃない。お前たちになにがわかるっていうんだ。なにも知らないくせに。美以子の寂しさ、不安、怖れ。誰ひとりとしてそれを理解してなかったじゃないか。知ろうとさえしていなかったんだ。

 アナウンスが流れ、まわりの者は立ちあがった。強士は椅子にもたれかかったままだった。なにを言われたのかもわかっていなかった。じっと祭壇を見つめ、ぼやけている遺影の顔はたぶん笑ってるものなのだろうと考えていた。黒い服装の者たちはぞろぞろと外に向かっていった。強士は目を細めさせた。周もその中にいた。実穂も青ざめたような顔をして近づいてきた。漫然と歩く者たちの中に周の顔を見たとき、強士は言いようのない怒りが湧き起こってくるのを感じた。それはもやついたものなどではなかった。対象のはっきりした怒りだった。

 

 周が横を通ったときに強士は顔をあげた。周も目を大きくひらいて見おろしてきた。手を伸ばし、強士は周の腕をつかんだ。
「なんなんだよ」
 喉に絡むような声を周は出した。実穂はその背後に隠れるようにした。ピアノの音はまだ流れていて、高い窓から鈍く光が射していた。実穂はあたりを見渡した。開け放たれた扉から最後のひとりが出ていくと、その先は濁った灰色の景色が見えるだけになった。


「なんのつもりだ?」
 周は手を振り払おうとした。強士は腕をつかんだまま立ちあがった。
「なにか言いたいことがあるならさっさと言えよ。どんな言い訳でも聞いてやる。言えよ」

 

 強士は周の目を見ながら囁くような声を出した。
「俺たちは騎士だった。そうだろ? お姫様を守る騎士だった。周、お前がそう言ったんだ」
 溜息を洩らし、周は歩き去ろうとした。しかし、強士は立ちふさがった。
「それなのに俺たちは守ってやれなかった。それだけじゃない。ずっと美以子を傷つけてきたんだ」


 腕を払って、周は首を振った。
「違う。美以子を傷つけてきたのはお前ひとりだ。いつまで子供みたいなこと言ってるんだ。騎士だって? ふざけるなよ。強士、お前が美以子を傷つけてきたんだ。これは全部お前のしたことだ」

 

 声を出しているうちに周は怒りがこみあげてきた。間違ったことを言ってるように思えたけれど、そのぶん腹がたった。
「いいか、強士、これは全部お前のしたことだ。お前が美以子を傷つけたんだ。それで、」
 そこまで言うと周は強士の襟をつかんだ。強士は椅子の並べられている中に押されていった。


「それで、美以子は死んでしまったんだぞ!」
 叫ぶように周は言った。手を突き出し、強士を押しやった。騒ぎを聞きつけた者たちがばらばらとやってきて二人を引き離そうとした。なにか言っているようだったけど、二人の耳には意味のある言葉として入ってこなかった。

 

「どうしてそんなことができたんだ! なんでこんなことをした!」
 襟をつかむ手に力をいれ、周は強士を引き寄せた。二人は息が吹きかかるほどに顔を近づけさせた。
「俺は!」
 叫びながら周は前へ足を出した。強士は後ずさった。椅子は音をたてながら列を乱されていった。まわりにいた者たちは互いを見るだけでなにもしようとしなかった。


「俺はずっと! 子供の頃からずっと! 美以子がお前を選ぶならそれでもいいって思ってた! それなのになんでこんなことになった! どうして美以子を苦しめるようなことをしたんだ! 美以子は死んだんだぞ! お前が殺したんだ! お前が美以子を――」
 強士はずっと真顔のままだった。ただ後ずさり、並ばれた椅子のかたちを崩していった。

 

 

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《恋に不器用な髙橋慎二(42歳)の物語です。

 どうぞ(いえ、どうか)お読みください》