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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、最近、アドラー心理学を紹介している雑誌などを見てみると、
「アドラー心理学では、承認欲求を持ってはいけない、とされている」、
と書かれていることがよくあります。
私自身は、これとは違う解釈をしています。
承認欲求とは、簡単に言えば、「人から認められたい」、「評価されたい」という欲求のことですが、この欲求を持つこと自体は、何ら問題はないと思っています。
たとえば、芸術家が、「社会に認められたい、評価されたい」と思うことによって、優れた作品を生み出す場合もありますし、スポーツ選手が、その才能を開花させる場合もあります。
問題は、欲求そのものではなく、その欲求をどのように利用しているかだと思います。
実際、アドラーは、
「衝動とは本来、方向性のない欲求であり、それに方向を与えるのは本人である」
ということを述べています。
つまり、承認欲求で問題が起きるのは、それを持っているときではなく、それが満たされないときです。
欲求が満たされないと、人は、そのことに対して劣等感を抱くようになります。
しかし、この場合も、アドラーが述べているように、問題は、劣等感そのものではなく、劣等感に対するその人の態度にあります。
即ち、劣等感を克服しようとするか、それともそこから逃れようとするか、ということです。
劣等感を克服しようとするのは、先にも示した通り、芸術家がそのことをバネにして努力を重ねて自らの能力を高め、優れた作品を生み出す場合などが当たります。
これに対して、劣等感から逃れようとするのは、自分はダメだと自分を責める場合を指します。
人は、自分を責めることによって、自らを苦しめることになります。
また、アドラーは、
「人が問題を抱えるのは常に、自分にしか関心がないためだ」
とも言っています。
従って、承認欲求によって人が苦しめられるのは、自分にしか関心がないときです。
このようなときには、承認欲求は、
「私は、人から認められなければならない」とか、
「私は、人から評価されなければならない」
という「ネバならない思考」に人を陥らせたり、あるいは、
「誰からも嫌われたくない」とか、
「誰からも好かれなくてはならない」
というような、不可能な願望を持たせるようにしてしまいます。
そのために、人は、周囲の人たちの顔色ばかりを窺うようになり、自分の言いたいことも言えず、自分のしたいこともできなくなってしまうのです。
それゆえ、問題は、承認欲求そのものにあるのではなく、自分のことにしか関心が持てない、その状態にあるのです。
では、どうすればいいのか。
この続きは、次回に書きたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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