海南島のヨハネの黙示録

海南島のヨハネの黙示録

キリスト教の元宣教師・海南島のヨハネさんの不思議な体験の数々

私の肉親は、宗教的に見て、一人ずつ全く異なっていたように思われる。


父親は、全く無神論者で、75才で死ぬまで信念を貫いたかに見えたが、晩年、非常に死を恐れていた。


母は、宗教心に厚く、戦前は金光教、戦後は霊友会に熱心であった。


私がイエス・キリストによって救われてから、母と神について話しをした事が何回かあるが、全く平行線であった。


当時、母は村で最初の霊友会の開拓者であったらしく、何十人という信者を作っていた。


霊的にもかなり強く、私が救われて1、2年後、上京して私のアパ-トへ一週間位泊まった事があったが、私は霊的な圧迫を感じて、その間ずっと教会に逃げていた。


牧師さんからは、


「久しぶりでお母さんが息子に逢いに遠い所から上京して来たのだから、一緒にいてやりなさい」


と云って呉れたのだが、母子でありながら、霊的には相容れなかった(感情的には非常に懐かしいのだが)。


私が関西に移った頃、兄が自殺した。


兄は当時、東京に住んでいたが、全く親不孝者で、何か無心をする時以外は、何年も音沙汰無かった。


この兄の葬式の時、心の底から喜びと笑いが込み上げて、皆の手前困った記憶がある。


一日中そうであった。

人間的には全く理由がないのだが、何故そうであったのか、今だに判らない。



母の救いの為、祈っていたのだが、全く受け付ける状況ではなかった。

この母が、ある日、突然記憶を全く喪失し、勿論、霊友会も離れた。

日常的な事は自分で出来るのだが、異常な生活をするので、精神病院に入れられてしまった。

何度か面会に行ったが話しも全く判らず、記憶も回復せず、親兄弟、困っていた。

私は、神様に癒される様、又、どうするつもりですか?と熱心に祈っていた。

ある日、帰りのフェリーの甲板で、夜祈っていると、神様は大声で言われた。

「信ずるならば、神の栄光を見ると言ったではないか!」

これは聖書の一句ではあるが、私はそれ迄、神様から直接聞いた事はなかった。

それなのに、神様は叱責する様に云われた。

これを聞いて、私は母に何か奇蹟が起きる事を信じた。

しかし、数か月後、母は死んだ。

霊友会の人々が大勢で葬式をして呉れたが、その時、死んだ母には何の霊も感じられなかったので、一体どこに行ったのかと、不思議に思った。

葬式が終わって四日目、私は大阪へ帰って来た。

早朝に家に着いたので、仮眠をし、一寸目を覚まして二回目に寝ようとした時、声が聞こえた。

「○○○さん」(私の名前)

まさしく母の声であった。

はっ!とした時、強力な悪霊が来て私を金縛りに掛けた(目は開いたまま)。

次に、母は物凄い語気で私に云った。

「あんた!知ってたんね!」

私が見ていると、真っ暗な所に檻があり、丁度、サメよけの為、水中に吊るされた檻の様であった。

その中に母がいた。

よく見ると、その檻は悪い事をする霊を入れる為のものであり(動物の霊?)、人間を入れる為の物ではなかった。

しかし、母はその悪い霊に結びついて離れようとしなかった為、やむを得ず入れられているようであった。

そこで苦しみもがき、歯噛みして、

「あんたも、ここへ来なさい」

と言っている様であった。

私は心で母に物凄く反論した。

「だから、あれ程言ったではないか」(イエス・キリストの救いについて)

私は金縛りにあっていたので息が苦しくなり、天井はぐるぐる廻り出すし、あの優しい母が、苦しみのあまり私を殺して、地獄へ連れて行こうとするし、それは大変な親子げんかであった。

暫くして金縛りは解けたが、死んだ人と大喧嘩したのは、まあ、私くらいではないかと思う。

葬式の一週間か十日後に、霊友会の人々が大勢集まって法事の様な事をし、私は遺族代表で挨拶する事になったので、次の様に挨拶した。

「私は先日、死んだ母に逢ったが、その憑いていた霊と共に地獄へ落ちていった。あなた方が信仰している霊は動物の霊であって、あなた方も又、地獄へ行きますよ」

法事の席は全くしらけ、親戚はびっくりするのみであった。

母が死んで30日か40日たった頃、不思議な夢を見た。

早朝であったが、朝早く母が乞食の様な恰好で大阪の私の家へ足を引きずる様にしてたどり着いた。

私はびっくりして、家内に大声で云った。

「おふくろが帰って来たで!」

そうすると家内は、

「そんな馬鹿な。私は火葬場でお骨を拾ったのに」

夢はそこで終わった。

この母がもう一度、私に現れた事がある。

その数年後、父が死んだ時、私に電話が掛かってきたが何の急用な電話だろうと夜道を走っていたら、母は私に云った。

「○○○さん…お父さんが…」

これだけであった。

これは地獄に居る者の声ではなかった。



追記

数年後、前記の母にもう一度逢った。

朝、若い娘さんのような人の声で、

「もう起きたらどう」

というのを聞いて目が覚めた。

その時、その人が母である事がすぐに判った。



母が死んで2、3年後、父も病気になり、田舎の病院に入院した。

姉と妹が四国に住んでいたので、そちらの病院に転院して、しばらくたった頃、病院より呼ばれて、父が胃ガンの末期である事を知らされた。

かなり前から胃が悪く、食事もあまり進まなかったので、その時の父の状態を見ても私達兄弟は信じられない思いであった。

医者は曰く、

「胃に大きいガン二つと小さいガン二つがあるが、老体でもあるし、心臓も悪いので、手術は出来ない。結局は餓死する様になるだろう。2、3ヵ月でしょう…」

と云う事であった。

私達兄弟は半ば信じなかったが、医者の云った通り、暫くすると食事は全く受け付けなくなった。

水を飲むのさえ、嘔吐する様になり、私達は事の重大さに気がついた。

私としては、祈るより他に方法はなく、断食祈祷する事にした。

私は、神に祈って云った。

「父親がガンで死ななければ、ならないのなら、私も同様にして下さい。父親が食事が通らないなら、私も同様にして下さい」

悲壮な決意で祈り始めたのだが、1、2時間もしない内、非常な平安で満たされた。

次の日、妹から電話があり、不思議な事に、お父さんが何でも食べる様になり、

「いいかげんにやめておき!」

と云う位食べている…。

私は神様に感謝し、結局、断食祈祷は丸一日位でやめた。

その後レントゲンを取ったが、父親のガンは無くなってはいなかったが、症状は全く停止して、ガンになる前と同じになり、食事も普通に取れる様になった。

この父親も何年か後に死んだが、病名は老衰であった。

父親の入院中、近くの教会に何度も訪問して頂き、私もイエス・キリストを信じる様、度々話をし、祈りの言葉を大きく紙に書いて、読み祈る様に度々勧めたが、最後迄に信じたかどうかは判らない。

しかし教会で葬儀は行った。

父の死後、しばらくして、田舎に墓を作る事になり、多分、村で初めて仏教式でない墓を作った。

墓が建った後、初めて田舎へ帰った次の朝、夢を見た。

私の兄弟の一人が、

「水を掛けてくれ、水を掛けてくれ」

と私に言った。

これは何の事だろうと、私は考えたが、どうも、

「洗礼を授けて呉れ!」

と云っているのに違いないと判断し、朝バケツを持って墓に行き、父と子と聖霊の名によって死んだ家族全員に洗礼を授けた(墓の上から水を掛けた)。

これ迄に起きた私の家族に対する色々な不思議は、それぞれの断片的な出来事であるが、つなぎ合わせて見ると、何か神様の計画であった様な気がする。


【管理人のコメント】
最後の方の文章を読んで、新約聖書の以下の聖句を思い出しました。解釈は色々だと思いますが、一応載せておきます。

そうでないとすれば、死者のためにバプテスマを受ける人々は、なぜそれをするのだろうか。

もし死者が全くよみがえらないとすれば、なぜ人々が死者のためにバプテスマを受けるのか。

(コリント人への第一の手紙15:29)


関連記事
質問「霊友会について」 
人は死後どうなるのか 





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2020年 8月28日

地球の衛星写真を眺めていて感慨にふける。

今日も1時半に目が覚めて、寝たのは5時頃。

深夜にテレビはイタリアの遺跡を放送していた。

ローマでは、2千年前は新しい遺跡のようである。

教会の建物や彫刻を映していたが、私が見た幻と同じものが幾つもあった。

千年以上も前に天国や神の国を見た人があったようだ。

私は40年前から天地創造の神との会話を本職にしているが、もっと神様に近い人はいるようである。

おそらくは、誰からも相手にされないで気狂い扱いではないだろうか…。

大勢の人に認められたら、生きていけないであろう。

無視されるのが、神様の知恵であろう。

昔、イスラエルに行った時、ガリラヤ湖をぜひ歩きたいと計画した。

当日、神様は、

「しかし、あなたは血みどろになって帰ってくるであろう」

と言われて反対された。

大きな奇跡に対して、人々に揉みくちゃにされる。

聖書にも書いてある。

パンの奇跡の後、民衆はイエスを王様にしようとした。

彼は山に逃れたと書いてある。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−
【ヨハネの福音書 第6章】

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。

それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。

「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。」

もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。

イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。

「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。

「人々をすわらせなさい。」

その場所には草が多かった。

そこで男たちはすわった。

その数はおよそ五千人であった。

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。

また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。

「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。

すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

人々は、イエスのなさったしるしを見て、

「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ。」

と言った。

そこで、イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり、また山に退かれた。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−

奇跡を行う人が用心しなくてはならないのは、迫害ではなく称賛である。

褒め言葉は当人を駄目にする。

私は褒められる事もないが…。

イエス様が現れる前にバプテスマのヨハネが来て、イエス様の存在を預言したように、私も叫ばずにはおられない。


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神の忠告の記事をご紹介頂きました。

オニさんがどこに書いてあるか忘れたと言っておられた聖書の言葉(多分ここだと思うのですが)を貼っておきます。

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。


(テモテへの手紙第一 6章)


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2024年 4月23日

今日は朝から聖霊は教えてくれた。

「あなたは人々のおだてに乗るな。お愛想を信ずるな。人々に利用されるな。 生活は庶民に徹せよ。」 

以上、参考になる人は多いのでは。

昼前には昔の隣人から電話があった。

事業に失敗し自宅を手放したが、昔の生活が忘れられず…。

貧乏に耐えているようである。

庶民にはなんでもないようであるが、一度泡銭にまみれた人はもう不具者のようである。

私の父親も同じく、戦時中の闇成金で稼ぐことを経験し、生涯、色々なことに手を出したがうまく行かず、死ぬまでニートのような生活であった。

成金が不幸の元凶であった。

戦後10年くらい迄、こんな人は沢山あったようだ。


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2008年 2月12日


【質問】海南島のヨハネさん


昨年の年末に「神との対話」という本について質問した件なのですが、神様からの回答を待ってますが、かなり時間がかかりそうでしょうか?



【回答】海南島のヨハネです。


12月18日にご質問の件、神様に聞きました処、12月25日に次のような返事でした。


「あなたは人を批評してはならない。又、進んで批評されてもならない」


私は以前から、自分のように神様と会話をする人に興味がありました。


以前、知恵袋で質問した事があります。


該当者はありませんでしたが、


「ほう、これは面白い。それなら自分の心の中にある質問と回答を載せて下さい」


との回答で、神様から直ぐに返事がありましたよ。


本人が驚いたかどうか、私は知りませんが…。


他の人の神との会話の本は読んでいませんが、読むのはやめておきます。


知恵袋以外にも、色々な質問や祈りの依頼等ありますが、つい、いい気になって、自分の分際を越えてしまいます。


神様と会話できるのは多くの賜物の中の一つであって、普通の教会に何人か居られる、愛する賜物、賛美の賜物、感謝の賜物より優れているとも思っていません。


私も多くの教祖と同じように、自分が何か偉いように思い込み、単なる神の通訳の分際を越えるところでした。


通訳は知識が有ると、かえって邪魔になる様です。


ご質問は有難う御座いました。


直ぐに回答しようと、色々あなたの質問を捜しましたが、見つからず、お待たせしました。


又、何でも質問して下さい。


海南島のヨハネ



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質問「どうやって神様と対話してるんですか?」
救われてから3 聖書以外の本を読む事をやめる




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会社で宿直の時は、食堂が私の祈り場であった。


朝早く起きて、人が来る前に祈りをしようと思っていたが、よく寝坊をした。


だから、いつも寝る前に、


何時には起こして下さい」


と祈って寝た。

 

或る朝、首筋に一滴だけ水が落ちてきた。


それで飛び起きて頭上を見たが、水洩れしているパイプはなかった。


上に水道のパイプがたくさん通っているので不思議ではなかったが、とに角、時間通りに起きる事が出来た。

 

次の宿直の朝、


「ヤー!」


と云う大声で目がさめた。


(しまった!誰か来た!)


と思ったが、誰もいなかった。


時間通りであった。

 

その次の宿直の朝、右の横腹をつつかれて目が覚めた。


誰もいなかったが、時間通りであった。


その現象はその日からずっと続き、中断した時期もあったが、現在まで続いている。

 

私はその現象を「神様のノック」と名付けている。


神様が私に注意を引く時の唯一のハッキリした手段である。


ノックの場所は頭から足の先迄どこでも現れ、見ているとトントントン、と云う具合に全く誰かが指先で叩いているのと同じである。


だから人間が全く同じやり方で私の身体のどこかをノックしても判別しにくい。


よく見ていると、ノックしている処の皮膚が丁度、指先の大きさだけトントンと引っ込む(そこに神の指があるのだが、見た事もないし触った事もない)。

 

これは非常に判然とした神様から私への連絡方法であって、初めは驚きもし、感激もした。


神様のノックの賜物によって、私の生活はかなり変わった。

 

毎朝、横腹のノックによって目が覚めるので、家に時計は不要となったので処分した。


朝、外食をしていたが出勤時間を気にする必要がなくなったので、いつ迄もテレビ等を見ていてゆっくり食事した。


神様がノックした後に出掛けても会社には丁度間に合い、その為に遅刻した事は一度もなかった。


ある日などは、朝何かの用事で遅くなり、会社には絶対に間に合わないので、半日休暇を取る予定でいた。


ところが、神様は会社へ行く様、私にノックし、なおしぶっていると、後ろから背骨をかなり強い力で押し、私は前につんのめる様な恰好で歩き出勤した。


時間ギリギリではあったが、遅刻ではなかった。

 

上記の様な判然とした理由がある時は少なく、ほとんどの場合、何を言われようとしているか判らなかった。


多くの場合、神に注意を引かれるだけの事である事も知っていたが、とに角、一日に多い時は百回以上ノックされるのだから…。



【管理人のコメント】

管理人も朝早く起きなきゃいけない時などに神様にお願いする事があります。昨日も目覚ましをかけてたのに二度寝してしまったのですが、その後、ギリギリ間に合う時間にフッと目が覚めたのて、神様が起こしてくださったんだなと思い、感謝しました。



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聖霊よありがとう

聖霊のノック 



滅亡ではなく繁栄を選ぼうの記事をご紹介頂きました。オニさんいつもありがとうございます!




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私に聖霊が臨む時、多くの場合、頭の先から背骨を通って、背骨の先迄ゆっくり水でも注がれた様に感じる。

信仰の友で、全く同じ感じだと云う人があったが、他の人はどう感じるのか?

あまり聞いた事もない。

最近、不思議な経験が2、3あったので、記録しておきたいと思う。



1986年

ある日、いつもの様に神様に起こされた。

「滋賀県へ行きなさい!」

との事であったので、車を運転して大阪から名神高速を走った。

早朝ではあったが、2、30分も走ればすっかり眼は覚めていた。

高速道路を運転していて、ハッ!と気がついた。

確かに自分が運転しているのだが、全く感じが違う。

何かをしていると言う感じがない。

眼で前方を見ていると、手は勝手にハンドルを回している。

大津に到着する迄、自分に何度も問い掛けた。

(夢を見ているのだろうか?)

(居眠り運転をしているのだろうか?)

頭はこんなにハッキリしているのに、どう考えても私の中にもう一人の人がいて、運転しているとしか言いようがなかった。

私のする事は、只、なんとなく前を見ていれば良かった。

大津インタ-を出て大津市内に入り、ある所迄行った時、その感じは終わった(いつもの自分に戻った)。

その時、幾つかの聖句が実感として判った。

「もはや我生くるに非ず、キリスト我が内にありて生くるなり」(ガラテヤ2:20)

又、ペテロの出獄の経験(使徒行伝12章)

その事があって、暫く後、曲がりくねったドライブウェイを走っていた時(ほとんど連続してハンドルを回す様な道であった)、当時を思い出して、

(そうだ!聖霊に運転してもらおう!)

と考えた。

しかし、一寸でも運転を間違えると事故になる様な道であったので、躊躇した。

が、結局そっと聖霊に委ねて見た。

そうすると以前の高速道路の時と同じで、私はボンヤリ前を見ているだけで、勝手に手は動いて、おまけに足まで動いて、何の危険もなく麓まで下りて来た。

私はといえば、車に乗せてもらっているという感じであった。



1987年7月

病気の為、我慢出来ない程、気分の悪い日が一週間以上続いた。

癒される様祈っていたが、ある日神様に最後通告をした。

「癒すつもりがあるのか、ないのか?今日中に必ず返事をして下さい」

その日の夕方になって、不思議な事が私の心に起こった。

突然、私は身体の事も病気の事も仕事の事も世の中の事も全く興味がなくなってしまった。

自分は病気だと判っているのだが、何ともないし、まるで他人の感じである。

何かに不安と云う感じは全くない。

家の中を歩いて見たが、自分のする事に恐ろしい程の自信がある。

聖霊に満たされた時の感じであるが、これ程満たされた事は今迄になかった。

その時、この聖句が実感として判った。

「誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です」(Ⅱコリント5:17)

何とかこの状態を持続したいと思っていたが、3、4時間で元に戻った。

この事があって、私は非常に感謝し、又自信が持てた。

苦労して自分の性質を変えなくても、神様は、一瞬の内に超人間の性質に変える事ができる。


丁度、救われた時の様に。



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2007年 5月26日

(今日、神は私に何かを書かせようとしている)

との声で眼が覚めた。

しかし眠くて仕様が無い。

最近では目覚めから一日中、神に心が向かっている(逆に言えば他に考える事が無い)。

今日、一つの事を示された。

40年以上も前に神様が言われた言葉

「あなたの心が私のそばに居てください」

が、今頃やっと出来た。

献身を神様から拒否されて後、何ヶ月間、私は将来の仕事について本当に真剣に祈った。

神様の命令なら、便所の汲み取りの仕事でもするつもりであった。

何の返事もなく殆ど諦めかけていた頃、神様から、もう泣かんばかりの訴えがあったのが先の言葉である。

(一体これは何の仕事であろう?)

と判断に苦しんだが、何の仕事をしていても出来そうにも思えた。

実際、出来た時もあった。

しかし現実の社会では難しいことも多かった。

或る時、会社の中で、

「明日の予定は?」

と聞かれた。

それで私は、

「明日の事は、明日、神様が示して呉れます。だから今日は判りません」

と返事をした。

それを聞いた会社の同僚達は、

「そんな馬鹿な…」

と絶句した。

いま思うと、神様は私に本当に良い環境を永い間与えて下さった。

思い返すに涙が出る程である。

神様、本当に有難う。

28才の時に独立してから、私に指図する人は居なくなった。

何十年の永い間、明日以降の予定はなるべく持たない様にした。

これは、神様が朝何かを言われても、従い易くする為であった。


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2024年 4月18日

最近、また東京都知事の学歴問題が報道されているが、これの何百万倍ぐらいの大事件を私は聞いて知っている。

その真相を人類はほとんど知らないようだ。

キューバ危機の問題である。

老人なら知っている人が沢山いるであろうが、、、。

昔、キューバにミサイル基地をソ連が作ろうとして、アメリカと大戦争の直前までやりあった。

暗黒の日曜とか黄金の金曜日とか現在でも有名である。

最後はソ連が折れて大戦にならなかったが、、。

事実は、天地創造の神が働いてフルシチョフを恐怖に陥れ危機は回避された。

神様は一部の人を恐怖に陥れ世界を救われるようだ。

戦時中の小沢艦隊、謎の反転とか、沢山あるようだ。

私にも何度か経験があった。

大阪の地下鉄で漫才の巨◯さんと思うが、前に座っていて綺麗な口髭を見て感心していたが、他のことを思い出し私はプッと笑ってしまった。

梅田で降りる時、彼は私の腕を掴んで、

「おっさん、今笑っただろう。俺の事務所へ来い。」

と、私を引き下ろそうとした。

その時、側の人が立ち上がり、私は何のことか分からず当惑していたが、巨◯さんは電車から飛び降りてホームを全力で走って逃げた。

彼は何を見て血相を変えて逃げたのか長い間分からなかったが、その時神様は恐ろしい恐怖心を彼に与えたようだ。

いつも現れる天使の働きのようだ。

もう一つは中国の事である。

外出時にはカメラを持ち歩いていたが、ある日、官庁の入り口でデモがあった。

珍しいので写真を撮っていたが、二人の警察が来て私は逮捕された。

後で聞いたら、法律で報道の人以外は撮影禁止のようであった。

そして取調室の奥へ連れて行かれ、座らされた。

それで私は、

「私は日本人です」

と中国語で言ったら、本当に日本人か部下に尋ねていたようだが、私の正面で下を向いて怯えてしまった。

何分間もそのままであったが、彼の言いたいことは分かった。

日本人とは知らず逮捕したが、許してほしい。

もう命乞いの態度であった。

私は用事がないのなら帰ると帰ってきたが、大勢の警官の誰一人、口を開く者はいなかった。

取調官の恐怖は異常であった。

これも非常時に現れる天使の働きのようであった。

核戦争の叫ばれている現代、神様は関係者、一部の人に異常なまでの恐怖心を与えて世界を破滅から救われている。

ある時神は言われた。

「フルシチョフに恐怖心を与えたのは私ではなかったか」

…と。

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【質問】イエスの考えとキリスト教の考えは違うように思えます。

聞いた話では、イエスは、

「人が人を裁くのはいけない、裁きは神に任せなさい」

と、言っていたようで、とても優しい方だったのだと思います。

でも今のキリスト教には優しさがないと思います。

そんなことはないのでしょうか?

イエスの教えは何を間違えて現在のような宗教になってしまったのでしょうか?

何でもいいので、お気軽に答えて頂けると助かります。

【回答】聖書には、

「人を裁くな、自分が裁かれない為である」

又、

「復讐をするな、それは私のする事である」

とあります。

老人が加害者に対して優しい理由は、加害者を見る時、昔の自分を思い出すからだと思っています。

非常に腹が立つ事でも、落ち着いて考えると、昔は同じ事を自分もやっていた…と思い出しますよ。

日本のキリスト教、クリスチャンは結構優しいと見ていますが、数から言っても、アジアの中ですら、0.1%にもならないでしょう。

殆ど0です。

中国の地下教会では、日本の常識は通用しないですよ。

共産主義は残虐な事もやりましたが、従来のキリスト教会を潰したのは良かったですね。

5、6千万人とも言われている地下教会は、原始教会の姿に帰っていますよ。

教会堂もなく、専従の牧師もなく、献金も全くなく、だから収入も無く、ですが信仰は凄いですよ。

若い人もどんどん増えています。

教会に参加するには、紹介者を探して、頼んで了解を得ないと入れて呉れません。

伝道して信者を増やしている日本とは、天地の差があります。

宗教に限らず組織が出来ると、純粋さは無くなりますね。

豪傑と言われた西郷隆盛も、最後には生徒・弟子の要望に引きずられて戦争を起こしたようです。

キリスト教が良くないとすれば、神と信仰よりも、組織を優先させる人間の弱さでしょう。

海南島のヨハネ



上の記事をオニさんにご紹介頂きましたので、ぜひご覧下さい。(管理人)



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2024年 4月16日

久しぶりの神様からの朗報を聞いた。

老人は習慣で朝の一時過ぎには目が覚める。

神様との交わりの時間である。

その後、深夜放送でヨーロッパの街並みを見たり、自然風景を見たり、五時にはブログを見たり、眠くなれば寝てしまう。

午前中は市内循環バスでウロウロとーー神よ、この素晴らしい世界を滅ぼさないでーーと祈りではなく叫びである。

もう2、3年は続けているが、最近、聖霊は良いことを教えてくれた。

神の介入や支配を人類の多くが熱望するのであれば、世界大戦があっても人類を滅亡から助け、神様が世界の王になられるかもしれない。

そうなれば世界は今よりもっと幸福になる。

これは天使が教えてくれたが、現在の私の推定では半分の確率がある。

文明人の3分の1が死ぬほどの大悲劇をとるか、今の数倍の繁栄をとるか、人類は選ぶことが出来るようだ。

神の介入を認めれば、その命令は守らなくてはならない。

居酒屋を廃止する程度のチャチな物ではない。

生物は何十万年その選択を迫られたようだ。

でも多くの生物は神を選び、神は奇跡を起こして性質や形状を変え生き延びて来た。

進化である。

人類が戦争の悲惨を経験し、助けてくれる神に叫ぶのを神様は待っておられるようだ。

滅亡と同じくらい繁栄のチャンスがあるようだ。

人類よ、繁栄を選ぼうではないか。


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