以前はオヤジと一緒に庭園を歩いていたのが、そそくさと友達と二人で好きな場所へ走り去ってしまった。
なんだか遠いような近い将来を思わすようで、ほんのり物悲しくなった。
走り疲れたのだろうか、向こうからオヤジを探しにやって来た。
子供は巣立っても、何かあればまた巣に戻り、それを繰り返して独り立ちするのだろう。
吾人もやったことであるが、娘には「お父ちゃんとこに住んでいいよ」と腐らす言葉をかけているが、どうもこの子は親の言う事を聞きそうにない。
アイルランドは日本のように年々家賃や物価が高くなり、独り立ちして暮らすことが難しくなってきているが、学費などは日本とは比べものにならないほど安く、少子化へは向かっていないだけホッとする。
庭園を後にして、ウィックロータウンに行く。
かなり前に整備された海岸沿いに、公園と歩道があった。
実はこの国の象徴であるパトリックが、伝道の為にアイルランドに再び訪れた時、最初にこのウィックロータウンに漂着しようとしたが、当時のケルトの豪族が石を投げて追っ払
い、運悪くお伴の宣教師の口に石が当たって歯が無くなったとの伝説がある。
それから5~600年後にバイキングがやって来て、現在の街を築いた。
公園の横にはスケートボード用の施設と、なめらかにうねった地形のマウンテンバイク用の施設も設けられていた。
また、歩道沿いにはジム顔負けの運動器具も配置され、誰でも運動ができ健康維持ができるようにとの役所の配慮に感心した。
ひと昔前までは、国家の為の庶民で、民衆には権限など無く、国の為の捨て駒のような存在でしかなかったものが、今や庶民の為に国家が存在するようになってきた。
もちろんどの国も完璧ではなく、それぞれ課題が山盛りであろうが、国も地球も一個の人間のようで、失敗を重ねてそこから学び成長しているものではないだろうか。
国家のためから民衆のために、暴力から非暴力へ、軽い命が大切な命へと、ゆっくりとではあるが時代は移り変わってきている。
戦国時代ではなく、この現代の時代に生まれて本当に良かったとホッとしたものである。