信長の野望・創造・PK・プレイレポート・最上家・43(背後からの襲撃者と山形城の孤立) | 株式投資家の暮らしと夢

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永禄3年5月。

山形城を包囲した伊達家だったが、包囲軍の後方から襲撃を受けたので、包囲を解いた。

しかし襲撃者はいつの間にか消え失せ、付近を捜索しても見つからなかった。

永禄3年5月。

蘆名盛氏隊は再び城を包囲したが、この時もまた背後より襲撃が起こり、包囲を解いた。

遠くでは真室城や天童城へ向かう軍勢も確認できたため、盛氏は焦ることはあるまいと思い、背後からの襲撃者を捜索した。

永禄3年6月。

山形城城主は筆頭家老の氏家定直に変わった。

軍事的な能力では安東愛季の方が上だったが、城への撤収時に不興をかい城内の兵と険悪になったこともあり、定直がそっと城から逃がした。

 

 

 

永禄3年6月。

伊達家の戦の最中であったが、義守は蝦夷地の内政や城の修復を進めた。

戦の最中ではあったが、金のかかる軍事的政策を取りやめることで、資金を確保していた。

 

永禄3年6月。

伊達家に侵攻する佐竹家に対し、那須家が兵をあげて襲い掛かった。

那須家は北条家の傘下にある豪族クラスの小勢力だったが、佐竹家は伊達家への侵攻を取りやめた。

小さな戦を発端にして、大国の北条家が動き出すことがないようにとの用心からだった。

 

永禄3年6月。

武田家は斉藤利三らに総勢5000の兵で、今川攻めに加わった大垣城城主・長坂信政の留守をついて、松平家の大垣城に侵攻し包囲した。

 

 

永禄3年6月。

鳥取城に進軍する浦上家の部隊は、迎撃に来た山名家を部隊に圧勝した。

危機感を抱いた山名家は赤松家に救援を依頼した。

永禄3年6月。

羽衣石城を攻めていた尼子家に対し、毛利家は小早川隆景隊を救援に送った。

戦いは毛利家が勝利した。

 

 

 

 

永禄3年6月。

小倉城を攻めていた大内家だったが、大友家は必死の救援を各地から送った。名将・立花道雪もこの救援には駆けつけた。

大内家も冷泉隆豊隊が後詰し、城攻めを続けた。

永禄3年6月。

隈本城をめぐる島津家と大友家の戦いは、依然決着が見えなかった。

島津家は四方から隈本城にせまったが、救援に来ていた竜造寺隆信はかなりの戦上手で、なかなか城には取り付けなかった。

結局のところ、この時期においても、隈本城は傷一つない姿を見せていた。

 

永禄3年6月。

山形城の北方にある天童城が落城した。

伊達家がこの城を押さえたことにより、山形城は完全に孤立した。

また国人衆の林衆の支持も失い、この北羽前の地における戦闘力を喪失した。

 

 

 

 

 

 

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