神さま、愛に渇いているすべてのいのち達、霊魂達に
あなたの愛の喜びを体験させてください。
きょうだいに、寝たきりで動けないことをメールで伝えたら、カウンセラーに話すことを勧められた。感情というものが全く感じられないメッセージで、わたしに関わりたくないというオーラが感じられた。
「お大事に」「つらいね」という言葉をかける余裕さえないようだった。そのひとことで、どれほどの希望をもらえたかわからないが、無理なのだろう。自分のことで精一杯で余裕がないのだ。責めるつもりはない。きょうだいは、何も悪いことはしていない。出来ないことは出来ないのだから。
いずれにせよ、カウンセラーと電話で話すだけで、寝たきりの自分にはエネルギーを消耗するから無理だ。というか、双極性障がいのことを一般のカウンセラーに話して理解してもらえるか疑問でもある。きょうだいには、わたしの病名はまだ言っていない。言えばさらにドン引きされることは目に見えている。
寂しくて、仕方がない。
寂しくて、寂しくて、うつが苦しくて、耐え難い。
世間は、わたしのような者に関わっている暇などないほど、忙しい。
それはわかっている。誰も悪くない。
でも、来る日も来る日も、耐え難いうつ。
見捨てられているという感覚が、うつにさらなる追い打ちをかける。
神さま、もうわたしは、だめかもしれません。
あまりに辛くて、苦しくて・・・どうやってこの苦しみに耐えたら良いのかわからないのです。
わたしは、出来ることなら、人を、共感を持って理解したり、受けとめたりする余裕のある人間になりたいです。
人を、いのち達を、愛することの出来る人生を送りたいです。
でも、こういう病気で、うつ真っただ中のときには、とても難しいと思う。
神さま、わたしのいのちも、あなたの御言葉によって創られたのであれば
わたしのいのちは
あなたの祈りです。
わたしの苦しみにも喜びにも
神さま、あなたの祈りがこめられているのなら
どうか、その祈りが叶いますように。
わたしは、自分が苦しんでいればこそ、常にほかの苦しむ存在のことが気になります。
わたしのいのちの中に、たくさんのいのち達、霊魂達を、抱きしめているのです。
苦しい時、悲しい時、受けとめてもらえない人達を、憐れみ、慰めてください。
もうだめかもしれない。
でも、自分で自分がわかるうちは、
最期まで、生き抜くことが出来ますように。
今、苦しみ、悲しみにあるいのち達と、連帯して祈ります。
どうか、何かの深い尊い意味がありますように。
希望をください。
癒しをください。
愛に渇いているすべてのいのち達、霊魂達に
愛を注ぎ、愛される喜びを、体験させてください。
愛がなければ、生きている意味などない。
神さま、どうか、私達を、助けてください。
生きる希望を
自分の正気を失わないように守ってください。
そして、出来れば、この病の苦しみゆえに
人の痛みや苦しみを感じて、受けとめる愛を
自分のいのちに育てられますように
主イエスキリストの御名によって
アーメン
今日も来てくれたあなた、ありがとう。
尊いかけがえのないあなたのいのち、存在、大事にしてね。