老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

いや~になっちゃう

2017-02-17 10:34:18 | 俳句
   

友人と電話で長話。

共通の友人の名前が出ても、(みんな身体がどうみたいだった)、(元気そうだ)、(ずいぶん老けていた)
等々、先行き暗くなるような話ばかり。
電話の相手は
(免許証を返納したので、買い物が不便だ)
そんな話で終始する。

おしゃべりに飢えている私がしゃべりだしたら止まらない。

「あなたは、とりも直さず俳句三昧の毎日ね」
彼女からの結論はこれだった。

そうです、そうです。
昔から今友人たちの直面をしている身体的能力は、私は若い頃から病という事ですべて経験済みだ。

みんな、元気で一生を暮らしてきて今老年期に突入している。
何で自分の年齢を意識するかといえば、身体の痛みと運動能力の低下だろう。
口だけ達者になって、同じ話を会うたび、初めて語るような脳の衰えには気がついていない。
私をふくめ、(お目出た人間)になっていることには気づいていない。


     

彼女は事故で旦那さまを亡くしている。
長男家族と一緒に暮らしていて、孫さんの成長も共に参加をやっている陽気な未亡人である。

昨日は夫と森林公園に散策に行く。
椿の小道があってそこが目的であったが、遅かったらしく、椿はすでに散っていた。
残っている花は雨や風で花びらが痛んでいるのばかりであった。
竹の緑が目に沁みた。

彼女に亡くなった旦那さまの事を想い出させると寂しいだろうと、その事は黙っていた。
杞憂だったかな。


     ★    永き日の気づけば何と遠くまで

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