アフィリエイト広告を利用しています
検索
カテゴリーアーカイブ

広告

posted by fanblog

2017年01月07日

女帝の寵愛を得ようとしたオルロフ公のダイヤモンド

1774年、グレゴリー・オルロフ公がアルメニア人宝石商コージェ・ラファエルに薦められ、ダイヤモンドを購入することになったのには訳があった。
この頃オルロフ公はトルコとの紛争問題の処理を任されていたが、それがうまくいかずに女帝エカテリーナの不興を買い、宮廷から逃げ出していた。
彼にとっては女帝の機嫌を取ることが急務だったが、それにはダイヤモンドの贈り物をするのが最良の手段のように思えたのである。

Grigory Grigoryevich Orlov.jpg

このダイヤモンドによって女帝との愛人関係を修復しようという考えもあったのかもしれない。実はオルロフ公は、エカテリーナがまだピョートル3世の妃だった時代から彼女の愛人だった。宮廷革命によって彼女が帝位を奪ったときにも彼は大いに活躍し、その貢献もあって女帝の時代になってから伯爵の位に叙せられた程だった。つまり、かつてオルロフ公はエカテリーナの寵臣だったのである。しかし、今やエカテリーナ女帝は別な愛人と付き合っており、宮廷におけるオルロフ公の勢力は衰えるばかりだった。

Ekaterina II Alekseyevna.jpg

このような状況を打開し、再び女帝の寵臣となるためにも、ダイヤモンドの贈り物が必要であるように思えたのだ。何故なら、エカテリーナの王冠には2,536個のダイヤモンドがちりばめてあった程、彼女が宝石好きだったからだ。そこでオルロフ公は意を決し、ダイヤモンドを購入した。一説によると、ダイヤモンドの値段は9万ポンドで、その他に4万ポンドの年金を与えたという。

1776年、オルロフ公は聖エカテリーナの日を選んで、女帝にダイヤモンドを贈った。女帝は喜んでそれを受け取ると、王笏の頭部にある金の鷲の真下に嵌め込んだ。しかし、エカテリーナはオルロフ公との愛人関係を修復せず、彼や彼の一族を厚遇することもなかったのである。

実はこのダイヤモンド、かつては、インド南部にあった壮麗なヒンズー教寺院に祀られていた女神、スリ・ランガ像の片目に嵌め込まれていたものだった。インドの外人部隊を脱走したフランス人がこれを奪い去り、幾人もの手を転々とした後、オルロフ公が購入したのだ。

Sri Lanka goddess.jpg

そしてそれを更に遡ると、このダイヤモンドは、1650年代に発見された幻のダイヤモンド“グレート・ムガール”と同一のダイヤなのではないか、という伝説がある。“グレート・ムガール”は重さ280カラットのローズカットのダイヤであったと言われているが、インドのゴルゴダ鉱床で発見された当時は、何と787.5カラットもあったそうだ。

Great Moghul.jpg

現在、“オルロフ”ダイヤモンドはモスクワのロシア・ダイヤモンド財団にあり、重さ189.6メトリック・カラット、高さ47.6ミリ、横幅31.75ミリ、長さ34.92ミリのローズカットダイヤモンドであるが、伝説の“グレート・ムガール”と同一のダイヤモンドであるかどうかは判っていない。

この記事へのコメント
コメントを書く

お名前:

メールアドレス:


ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5801093
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
にほんブログ村 ファッションブログ パワーストーンへ
にほんブログ村
プロフィール
斉藤 珠樹さんの画像
斉藤 珠樹
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。