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新宿の街並観察(=東京の街並観察20~24)では西新宿は取り上げませんでしたが、嘗て「 新宿 西口街区は超高層ビル街の先駆者 2013.07.12」で新宿西口の超高層ビル街の性格や特徴を紹介しましたので、今回は主に超高層ビル群の外観を観察してその特徴を述べてみます。
今では東京で40~50階建ての超高層ビルを見ることは珍しくありませんが、1970年代に西新宿で続々と超高層ビルが建ち始めた時は、日本でもニューヨークのような立体的な街が誕生したとして注目を浴びました。 (写真1) 新宿西口の超高層ビル街の街区は、東側は山手線に、西側は新宿中央公園に挟まれ、北側は青梅街道に、南側は甲州街道に挟まれた区域の中にあります。ここは東京都水道局の淀橋浄水場(約56ヘクタール)の跡地でしたが、新宿西口駅に近く、地型も矩形の纏まった広い平坦な土地でした。 新宿駅周辺は、山手線の内側(東側)が大いに発展したのに対して、外側(西側)の発展が遅れたのは、この淀橋浄水場の存在が邪魔になっていたためです。ですから、都市用地として開放されれば急速に発展したのは当然でした。 これらの超高層ビルたちは、先ず方南通りに沿って建ちました。方南通りの南側には新宿住友ビル(昭和49年1974年竣工)、新宿三井ビル(昭和49年1974年竣工)、新宿センタービル(昭和54年1979年竣工)が建ちました。北側には損保ジャパンビル(昭和51年1976年竣工)、新宿野村ビル(昭和53年1978年竣工)、新宿アイランドタワービル(平成7年1995年竣工)が建ちました。低層階には飲食店、最高層階には高級レストランが入居し、その他の大部分の階層は企業の事務所が入居しました。 (写真2、3、4、5、6、7) 方南通りの両側の超高層ビル群が誕生する前に、実は京王プラザホテル(昭和46年1971年創業)が建っていました。開発予定地に先ずホテルが建ち、それも日本では超高層ビル営業の第一号ということは、西新宿の副都心が総合的な都市として発展すると期待されていたのです。 (写真8) 遅れて平成3年(1991年)に東京都庁が丸の内から西新宿に移転してくると、更に多くの企業が事務所を超高層ビルに移転してきて、それに伴い飲食店、レストランなども数多く集まってきて、淀橋浄水場の跡地は、東京の副都心と呼ばれる大都市に発展しました。 (写真9) これらの超高層ビルで構成する都市は、ほかの高層ビルの都市と異なる二つの特色があります。 一つは、新宿西口の超高層ビル街区では殆どのビルの高さは40~50階建てで高さが揃っており、容積もほぼ同じ大きさなので、街並みを見渡したとき凹凸が少なく全体としての纏まりが良いことです。 もう一つの特色は、街区全体の地盤が二重構造になっていることです。これは浄水場の貯水池底に土盛りせずに、地表より低い地盤をそのまま地面として建設したビルが多いので、地表より一段下にも主要道路が敷かれていて、街区の主要道路は地上と地下の二層になっていることです。 この立体交差する道路交通網は、自動車にとっては交差点が減るので効率的ですが、歩行者にとってはビルからビルへの移動に不便となり、新宿西口は超高層ビル街は水平的な街並みは成長しませんでした。 (写真10) (以上) 人気ブログランキングに参加しています。応援をよろしくお願い致します。 人気ブログランキングへ 写真1 西新宿で続々と建ち始めた超高層ビル群 写真2 住友ビル(メタル色調で独特の三角柱状のビル) 写真3 三井ビル(ダークな色調はシックで異色な存在) 写真4 新宿センタービル(右に見えるのはモード学園コクーンンタワー) 写真5 損保ジャパン興和ビル 写真6 野村ビル(画面の左側のビル、右側は損保ジャパン) 写真7 アイランドタワー(屋上に蒲鉾形ドームが載る。左側に野村ビルが見える)) 写真8 都庁第一庁舎(左)と第二庁舎(右) 写真9 京王プラザホテル(ほっそりとしたスリムな超高層ビル) 写真10 新宿西口の中央通り(左手の煉瓦壁の高さは浄水場貯水池の深さに相当する) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.03.27 16:26:32
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