『幸せになりたい』と思ったとき、
『不幸になりたくない』という思いが生まれた。

 

『金持ちになりたい』と思ったとき、
『貧乏は嫌だ』という抵抗が生まれた。

 

『よくなりたい』と思ったとき、
『そのままではいけない』という思いが生まれた。

 

『自分は正しい』と思ったとき、
『相手は間違っている』という思いが生まれた。

 

『愛されたい』と思ったとき、
『愛されていない』という観念が生まれた。



自我は 

何かと何かを比較して
はじめて違いを認識できる。

 

その違いに優劣と善悪という

観念を持ち込むことで、


人は 今この瞬間を忘れて

問題を発明することに成功した。

優劣や善悪という観念が無ければ、
ただそこには違いがあるだけなのに。

親指と中指。

親指が言う。

中指くんはええよなぁ。

背は高くて、イケメンで 

近くに人差し指くんという親友と 

美人な薬指さんがおる。

 

それに比べて 僕なんて

ずんぐりむっくりな体系で、近くに誰もいない
本当に不幸だよ

 

 

もし、あなたが 神様であり、

手全体だったとしたら、

 

こんなふうに親指がしゃべったら、
あなたは どう思うだろうか?

 

 

 

 

「一人で自由気ままに生きよう」

すべてを捨てアラスカへと放浪の旅へ出た

青年を描いた実話に基づいた映画があります

 

「イントゥザワイルド(荒野へ)」というタイトルの映画で

見てから10年ほど経ちますが、

 

幸せとは 何かを考えさせてくれる

自分の人生のベスト5に入るくらい好きな作品です。

 

主人公は 厳格な両親の

「お前は弁護士(医者?)になれ」という

圧力に反発して家出するんですね

 

俺は 一人で 自由気ままに生きてやるぜ!」と自分探しの旅をするなかでいろんな人と出会い、大自然の美しさを感じたり、生きる喜びを実感したり、時に孤独を感じたり、既存の社会に苛立ったりします

 

 

で、、ずーーーっと

一人で自分探しの旅してきた主人公ですが

 

ラストの方に

 

アラスカの果ての地で、

誤って毒キノコを食べてしまい

 

衰弱死していくときに

彼は 幸せの真理に気づくんです。


幸福が現実となるのは、

それを誰かと分かち合った時だ」と。

 

 

OH----MYーーーーGOD-----!

 

まじかーーー。。。えーん

 

 

誰かと喜怒哀楽の経験を

分かち合うことが幸せだったんだ・・・

 

悩みやイライラって

「分かち合う誰かがいるから」

こそ感じられるんだ・・・

 

ホントは さみしかったんだ

ホントは 親と仲良くしたかったんだ

 

親のせいで自分が犠牲になってる気がしてきたけど、

それって すごく幸せなことだったんだ・・・

 

子供のせいで自分の自由がないような気がしたけど

それって すごく幸せなことだったんだ・・・

 

その分かち合える「誰か」が

いなくなった時 

 

人は 

「イライラしてもいい」から

「迷惑かけてもいい」から

「落ち込んでもいい」から

 

そばにいてほしい、

生きていてくれるだけで

ありがとう

ってなるんだと思います

 

 


昨今「ワクワクしよう」

「頑張るのをやめて、やりたいことをやろう」

「自分らしく生きよう」みたいなのがブームだけど、

 

そこを 生き切ると 今度は反転して

この映画の主人公のように

新しい何かを見つけるのかもしれない。

 

 

 

 

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